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太宰治『斜陽』読書感想

『走れメロス』『人間失格』『女生徒』『燈籠』に続き5作目の太宰。

中学生の時に読んだ『人間失格』がよく分からず、以来敬遠していましたが、最近少しずつ読むようになりました。

『人間失格』も再読したのですが、大人になった今だからこそ響くものがありますね。

本作にも期待が高まります。



作品紹介

「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の長編小説。初出は「新潮」[1947(昭和22)年]

母、かず子、直治、上原の四人を中心として、直治の「夕顔日記」、かず子の手紙、直治の遺書が巧みに組み込まれるという構成の作品で、没落していく弱きものの美しさが見事な筆致で描かれている。

発表当時から現在に至るまで賛辞の声がやまない、「人間失格」と並ぶ太宰文学の最高峰である。


こんな人におすすめ

○儚い描写が好きな人
○生きづらさを感じている人
○戦後の空気感を知りたい人


感想(※以下ネタバレを含みます)



書き出し

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をお挙げになった。

書き出しから引き込まれましたね。
ここだけで、品格の差を見せつけられたような気がしました。

ここから、お母さまの食事の作法や可愛らしい振る舞いが記されます。直治が、「ほんものの貴族」と称していたのにも頷けました。 


なんで笑った?

お母さまが、卵を捜している蛇を憐れむ場面がありましたよね。
そこで、かず子が仕方なく笑った、という記述があるんです。
初読の時には、「なんで?」と少し可笑しかったのですが、単にどうすればいいか分からなかったからかなあと後から思いました。

笑ってごまかすみたいなイメージですね。コミュニケーションが苦手な人(私)がよくやるやつです。 

何かの記事で見たのですが、極度に緊張したり不安を抱えていたりすると、その恐怖心を回避するために笑うことがあるそうです。

かず子にもそういった側面があるかもしれませんね。


絶望的な詩

昨年は、何もなかった。一昨年は、何も無かった。その前のとしも、何も無かった。

戦後直後の新聞に載っていたというこの詩が、妙に心に引っかかりました。

なんというか、虚無感を感じますよね。
存在そのものをも、否定されているような気持ちになってきます。

戦争の無意味さを謳っているのかもしれませんが、それ以前のもののことを嘆いているようにも感じました。


お母さまの台詞

「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら」

うわあ、言いそう。初読時の感想はこれでした。

ことごとく「貴婦人」ですよね。同時に、私はある本の一節を思い出していました。

この世のことより、この世以上のものを求めていたい

萩耿介『イモータル』

お母さまは、終始この世以上のものを求めているように見えます。心ここに在らずといった感じでしたね。


夕顔日誌

麻薬中毒で苦しんでいた頃の、直治の手記。読んでいて心が痛くなりました。

「人をきらい、人にきらわれる。ちえくらべ」

特にこれは心にきましたね。
完全に私個人の解釈ですが、人をきらうというのは保身だと思うんです。先にきらわれるより、自分からきらいになったほうが傷つかずに済みますよね。
そういった意味で「ちえくらべ」という表記しているのかなあと思いました。

また、「不良でない人間があるだろうか」という表記に対しては、かず子も思いを巡らせていましたね。

「不良とは、優しさのことではないかしら」

この所感には考えさせられました。
人間誰しも弱い部分があって、その弱さをうまく消化できない優しさこそが不良そのものなのかもしれません。


直治の叫び

「なんにも、いい事が無えじゃねえか。僕たちは、なんにもいい事がねえじゃねえか」

悲痛の叫びですよね。戦後に生きる没落貴族のすべてが、この台詞に込められているような気がしました。

やがて亡くなったお母さまは、「ピエタのマリヤ(死んで十字架から降ろされたキリストを、聖母が膝に抱いて追悼する絵画)」と表現されていましたね。

まさに「美しい滅亡」という感じがしました。


かず子の決心

「これは、直治が、或る女のひとに生ませた子ですの」

この部分は難解ですよね。こういうものに正解はないのでしょうが、私なりの解釈を。

貴い犠牲者になった直治のささやかな弔いとして、せめて血の繋がった子を抱いて欲しい。そして、そういった不道徳をもって革命を成し遂げたい。

かず子は、かず子なりに恋と革命のために生きていく決心を固めたかったのではないでしょうか。

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