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【短編小説】昼メシ男のユウウツ

このオレが?
あと2年でめでたくも、かどうかは分からないが、定年を迎える、このオレが出向?
今さら?

いや、そんな噂がなかった訳ではない。
ここ数年、会社の業績は悪化の一途をたどっている。
グループ会社の中でもオレの会社はダントツ赤字を計上している。
3年前にはそれがどういうわけか一発あてて、赤字から奇跡のV字回復したのだった。結果、僅かだが初の黒字となった。
まあ、Vとは言えないか。Vには数センチほど足りないかも知れない。

それはともかく、「来期はこの黒字をもっともっと伸ばしていこう」と社長を頂点として社員一同息巻いていたのは一昨年度最後に開催された社員総会の場だった。
あれから2年が経とうとしている。
また今年度も終わろうとしている。
梅が咲いてメジロを見かけるようになったと思ったら川津桜がぷっくりと咲き始めた。そんな季節だった。

そう世の中は甘くはなかった。

出すもの、出すもの、まったくヒットする気配はない。
経費ばかりがかさみ、会社は手っ取り早く人件費を削っていく。
ある者は契約を切られ、会社にとって有望な社員はこの泥船からはささっと下りたほうがいいと見切りを付け、転職していった。
今朝も若い社員が辞めると人事から一斉メールが届いたばかりだ。

オレは思ったね。
オレだって辞めたいんだよ。
こんな泥船からはさっさと下船したいんだよ。できるもんならさ。
だけどさ、こんな定年間際のオッサンを雇ってくれる会社なんて、どこにあるんだよ。
辞めたい気持ちとは裏腹に、オレはこうも考え直した。
少なくともあと2年は嫌でもこの船から下りる訳にはいかない。
嵐が来ようが、カンカン照りの太陽が容赦なく照りつけようが、泥船のヘリを必死に掴んで振り落とされないように岸までたどり着かねばなるまい、と。
そしてめでたくも定年を迎えることができたなら、そこから5年間の嘱託社員という道もひらかれている。
給料はだいぶ下がるだろうが、とりあえず毎月の収入は保証されている。

さっさと辞めたい気持ちとイヤでも会社という船にしがみついていたい気持ち。

ああ、みみっちい。

オレはいつからこんなくたびれたオヤジになってしまったんだ。

しかし現実ってそういうもんだよな。

首を縮めて時が過ぎるのをまっていればなんとか定年を迎えられると思っていたが、ここに来てまさかの出向とはな。

出向先は関連会社の倉庫での管理業務らしい。
縁の下の力持ち的な仕事ってことか?
クビになるよりはまだマシだよな。

辞令も今はネットでのやりとりだ。数年前に導入された企業の管理ソフトにログインして同意書にサインするのみ。

一端ログインしてみた。
同意書も一通り読んでみた。
サインするか?
いまサインするか?
まだ期限までには数日あるが。
どうしようか。
先延ばしにしたところで、いずれは同意するしかないのはわかっている。
うーん。思い切れない。
どうしようか。
逡巡しつつ壁に掛かった時計を見る。
針は12時7分前を指している。

ここは潔くエイヤッと「同意します」をクリックするか。
どうするオレ。

いまだにタッチパッドの操作がどうも苦手なオレは、手垢のついたマウスを動かし「同意します」のボタンの上をスルーして、ログアウトボタンをクリックした。
そしてラップトップの蓋を静かに閉じた。

ふう。

昼飯の時間だ。
いつもだったら近所のコンビニ弁当をイートインで食べて、その後はこれまたコンビニのコーヒーをすするのが定番の昼飯だが、今日はそんなしょぼくれた昼飯を食う気にはなれない。

よっしゃ、景気づけだ。
歩いて5分の評判のそば屋に行くことにするか。
そこはこの辺りで一番、評価の星が多い店だ。

ガラガラと引き戸を開けて二人席に案内してもらう。
はなから決めていた、合いもりの大盛りに舞茸の天ぷらも頼んだ。
本当ならキンキンに冷えたビールでも一気飲みしたいところだが、さすがに昼間からビールは飲めないよな。

スマホでどうでもいいニュース記事を眺めながら待つこと10分弱。

「お待たせしましたあ」という声とともに、うどんと蕎麦の合い盛り、揚げたてサクサクの舞茸の天ぷら、蕎麦つゆ入れた徳利と蕎麦猪口、それと香のものの小皿が載った朱塗りの盆が運ばれてきた。

うどんも蕎麦も蘊蓄をたれるほど詳しいわけじゃない。コシがあって噛みごたえがあればオレはそれでいい。
啜ったあと、うどんは小麦、蕎麦はそば粉の香りがほんのりとでも感じられれば満足だ。

舞茸の天ぷらはどうやって食べるか迷うところだ。
この店は天つゆも塩もついていない。そのまま食べるか、蕎麦つゆに浸して食べるかだ。
蕎麦つゆに天ぷらを浸すとどうしてもつゆが油っぽくなって、お楽しみのそば湯がしつこくなちゃうんだよな。
このまま何もつけずに食べるのがベストだよな。

満腹になったオレは最後に運ばれてきたそば湯をほんの少しだけ残した蕎麦つゆに注ぎ、ゆっくりと味わった。
本当はそば湯だけを飲むのがオレの好みだ。
そば湯専用のお猪口を別に用意してくれるといいんだけどな、といつも思う。
違いの分かる粋な常連さんなら、そんなこともサラッと店員にお願いできるかも知れないが、小心者のオレにはとても無理だ。
そんなこと言ったら店員に腹の中でバカにされて笑われるんじゃないだろうかと思ってしまうのだ。

そば湯をすべて飲み干し、満腹になったオレは会計を済ませて店を出た。

ふう。

交差点で信号待ちをしていると向こうの通りを駅に向かって歩く若い女の子の姿が見えた。どこかで見たような横顔だ。
誰だっけかな。どっかで見たことある気がするんだよな。
最近は人の顔をなかなか覚えられなくなってきた。

信号が青に変わり、歩き出すと、もうすっかり女の子のことは忘れていた。

ああ、また午後から仕事か。
アレをクリックして承諾するとしようか。

そんなことを考えながら横断歩道を渡り終えた。

(この小説はポメラで書いています)

※この小説は「【短編小説】ピーマンの肉詰め」の続編です。


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