私の海
三津の港で釣りをした。岸壁の上から竿を突き出すと小鯵が釣れた。私に釣られるなんて気の毒な魚だ。 海の匂いがして、少し曇った空の遠くの方に夕日が見える。足元でピチャピチャと水音がして、垂直のコンクリートの壁が、海水で濡れた跡で潮の満ち干を知らせている。
子供の頃に親しんだ海は、砂浜があって、ザブンと打ち寄せる波があって、サラサラと引いていく水があって、それぞれに心地よいリズムがあった。 ふるさとの海は自然の渚が残っていて、澄んだ海水がいまも美しい。
日盛りに遊んだ砂浜の跡が、 ひたひたと満ちてくる潮にのまれていく。次の日にも同じ場所は現れるけれど、きのう楽しく遊んだ跡はもうみつからない。そのことを知っているから、満ちてくる潮の気配を感じ始めると、ああ、今日の遊びはこれでおしまいと、ことさらに名残惜しい気持ちになるのだった。
海に囲まれたこの国だから、磯と砂浜に囲まれた陸地に人々は暮らし、海の幸山の幸に感謝しながら過ごしてきたに違いない。それが、もっと豊かになれる、もっと便利になるだろうと、そこまで望んではいけないほどに欲張りになってしまったために、困ったことが目立つようになった。
海が埋め立てられ、湿地が埋め立てられ、山が削り取られ、谷がつぶされていく。 干潟の生き物が少なくなった、野鳥がすみかを追われてしまうと、ことあるごとに話題にはなるけれど、解決策はあるだろうか。
港湾整備のための護岸工事、発電施設の建設、石油コンビナート、商工業団地の造成、空港やその滑走路用地、道路の改修、ごみの処分場などとして海や磯や砂浜が姿を消していく。
西の空の夕焼けはいまも変わらないのに、海の音は消えてしまった。コンクリートの壁を上下する音のない海面しか知らない子供達に、本当の海の音を聞かせてやりたい。
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