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note連続投稿は辞めるべきでは無い理由

noteの連続投稿を辞めてから気付いたことがある。
それは、アウトプットの習慣化は非常に重要であるということである。
どういうことかと言うと・・・。


note連続投稿は内容の品質が下がるのか?


note連続投稿をやっていると、記事を書くネタに悩む。
毎回、絞り出すような感じになる。
これを私はスポンジ効果と呼んでいる。

このスポンジ効果は強制的にアウトプットし続けることで、自分のインプットの量が非常に上がっていくこということである。

note連続投稿は結構面倒なので、辞める言い訳として「記事の品質が低下」というものを言いがちである。
私もその言い訳をしたい気持ちがある。
しかし、note連続投稿を続けている時と、辞めた時で比べたら連続投稿の方が品質が高いと感じる。

いや、そうではなくて、10本記事を書いたら1本は中身のある記事を書けるという方が正しいだろう。
そもそも、私は素人なので中身のある記事を書こうと思うことが間違いなのだ。


量を追えない者には、質は追えない


これはビジネスにおいても同じことが言えると思う。
営業現場においては、より効率的に効果的に・・・という意識が働く。
最小の努力で最大の効果をあげたいのは、誰もが望む共通の欲望である。

当然、トップセールスになれば営業の質をあげることは可能である。
しかし、新人の時から同じように質ばかり追求しても結果が出るのは一部の天才だけである。

スポーツでも同じだと思う。
例えば、歴代の打率上位者を見た場合、
1位 バース(阪神・1986年) 3割8部9厘
9位 中根 (名古屋・1936年)3割7部6厘
(*中根さんを出したのは、現在と試合数が全く違うのであくまでも数値比較のためです。悪いということではなく数値の比較対象と捉えて下さい。)

では、2人が打った安打の数はどうだろう?
バース 453打数 176安打
中根   93打数  35安打
打率だけを見ても見えないものがある。
求められる結果は安打数だろう。

質を追求するということは、打率ばかりを意識するということである。
しかし、そもそも打席に立たなければ安打を打つことは出来ない。

量を追うから、質を追求できるのであり、
質を追求するために、量を追うのである。


まとめ


noteを連続投稿することは目的ではない。
しかし、noteを始めた理由がアウトプットのためであると感じている方、
なかなか記事が書けない方。

是非とも、最初は10日でも、20日でも良いと思う。
連続で投稿してみて、自分を出し切る体験をしてみて欲しい。
きっと、自分のインプットの量と質を推し量ることが出来るだろう。

もしかしたら、愕然とすることもあるかもしれない。
でも、そこからがチャンスであり、そこからが勝負である。
その打席に立てているのは自分を出し切ったからである。
きっと、そこから始まる自分がある。

さあ、新年度、新しい自分を探すために。
noteの連続投稿という目標を自分に課してみて下さい。



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