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新聞販売店の未来(過去から学ぶ) 前編

新聞販売店の未来についての記事が1400ビュー超えたので第二弾を書いてみたい。前回の考察は非常に浅いので今回は内容があるものにしたい。
特に、過去から学ぶことについては各系統会の話題等に参考になると思う。

この記事を読んでいる人は、新聞販売店の未来について関心がある人も多いと思う。そんな皆さんに対して一つ質問をしたい。

「新聞販売店の歴史について、皆さんはどれくらい知っていますか?」

「今更、過去を学んぶことに何の意味があるのか」という声が聞こえてきそうではあるが、未来は確実に過去の延長線上にある。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 ビスマルク


過去を学ぶことは、未来を考える上で大きな意味がある。
直近の出来事である「新型コロナウイルスによるパンデミック」も、「ロシアのウクライナ侵攻」も、過去の出来事を学べばより深く理解出来る。
当然、新聞販売店の現状も過去を学べば深く理解が出来ると思う。


新聞販売店の歴史


新聞販売店の歴史は非常に古く明治時代にも遡る。ということは新聞販売に携わっている方であれば百も承知の事実だろう。
しかし、皆様の知っている歴史は新聞の歴史、新聞販売の歴史であって、新聞販売店の歴史では無いかもしれない。
その時に新聞販売店の現場で何が起きて、何をやって、何を考えていたかを知っているだろうか?

さて、ここで皆様に再度質問である。
以下の見出しは、とある新聞業界紙の、同じ年の記事の見出しと概要であるが、いつの年の記事であるか予想してみて欲しい。
*見出しはそのままの表現にしています。

①「販売一線の緊急課題 反省と自覚を高め正常販売で経営を豊かに」
記事概要:スタッフ不足と人件費高騰、それにより営業力が落ちて読者数が急速に減少し経営が厳しくなっている。危機に直面している業界を立て直すために、今こそ古い本社の販売政策にメスを入れるべきだ。販売店も大いに反省しなければならない。お互いに多額の拡材、無代紙により、強引な拡張をしてきたことは新聞の価値を下げ、信頼を失っている原因だ。
今こそ、本社と店主の双方が、お互いに尊重と信頼する観点から出発していかないと業界はさらに混迷を極めていくだろう。



②「業界に底流する思潮 新聞販売も新時代へ」
記事概要:店主の年齢は時代と共に若くなり、各系統会も若い店主と古い店主との間で考え方の違いが大きくなってきている。
家族経営の小さな販売店を除いて、ほとんどの販売店では配達員不足が深刻だ。他の企業は時代の要求に応えて労務条件を整えていっているが、新聞販売店は旧態依然のままである。
A店主の話:新聞販売は人がいないと成り立たない。しかし、現状の新聞販売は利幅が無く新聞社に補助金をもらわないとやっていけない。営業は拡張員に依存して、配達は店主自ら2区域も3区域も配達している。
*以下同様の内容でE店主の話まで続く。


③「拡張員の素質向上とPR拡張に重点を」
記事概要:新聞販売に対する読者の評判は良くない。特に拡張員の行動は聞くに忍びないような問題すらある。
編集の発展とともに販売も立ち遅れてはならない。保険セールスは常時研修を実施して、研究を重ねて勧誘に当たっているが、新聞拡張も押しの一手から、PR拡張へと切り替えていくべきである。


さて、何年頃の記事か答えは決まっただろうか?

正解は・・・19・・・



1960年5月〜10月の「新聞販売評論」という業界紙の記事である。
今から64年も前のことである。
今とほとんど変わっていないのが新聞業界であり、64年間も同じことを繰り返しているのである。


新聞販売評論 昭和35年10月14日号
新聞販売評論 昭和35年5月9日
新聞販売評論 昭和35年9月26日号


1960年の新聞販売店


1960年の新聞販売店は、新聞社の部数追及が販売激化へとつながった。それに加えて経済成長による構造変化で、新たな産業が生まれ賃金水準が大きく変わり、急速な人手不足が始まった時期である。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台は1958年、映画の舞台の年は、まさしく新聞販売激動の時代だったのである。

この時代の新聞販売店の収入は、新聞購読料と本社補助金の2つである。
実は折込広告はまだ少ない。

そのため、売上を増やすためには部数を増やすしか方法はなかった。
新聞社の思惑も重なって大きな販売競争を生み出していたのだが、人手不足と競争激化による採算悪化で新聞販売店は苦境に立たされていた。
また、1959年、1962年、1965年、1968年と3年ごとに新聞購読料値上げがあった時代であり、購読者数の減少も大きく響いていたようである。

さて、激動の1960年に生き残ったお店はどんなお店だったのか?
キーワードは5つである。
①合売化
②大型化
③ハードワーク
④前向き
⑤近代化

この5つであったと分析する。


1960年の新聞販売店から学ぶ


さて、1960年の新聞販売店から学ぶことは新聞販売の生き残り方である。

①合売化
これは今でも起きている現象であるので説明する必要はないだろう。
経費を落として、エリア占有率を高め、生き残りを図るためには一番わかりやすい方法である。
全てが解決するわけではないが、生き残り策としては有効である。合売化と専売化を繰り返しているのも新聞販売の特徴である。

②大型化
これもわかりやすい。
いわゆる規模の経済性というものである。
こちらも経費を落として効率化を図るという点では合売化と同じである。
合売化と異なる点としては、営業力は合売化よりも比較的に担保しやすいという点だろう。
適切な競争相手がいるという点は営業力の維持には重要な点である。

③ハードワーク
これは現代の日本人が忘れているものかもしれない。
欧米のスタートアップも、熊本に工場を作って話題の台湾TSMCも、労働基準法なんて関係ないハードワークが基本である。
もちろん、法令遵守は必須である。
しかし、時にはハードワークは必要である。
毎日毎日を無難にこなすだけの仕事では、ブレークスルーは生まれない。
メリハリをつけたハードワークは取り戻す必要があると思う。

④前向き
厳しい話が踊る1960年の業界紙であるが、元気の良い店主は元気が良い。
厳しい話と前向きな話が混在しているのが1960年の業界紙の紙面だ。
「専売は頭脳戦だ」
「根気誠意粘りで」
「人の問題が極めて重要」
「維持と増紙に懸命」
などと前向きな店主の言葉と、潰れる店が多い中で、増紙を達成する店の情報も掲載されている。
ちなみに、店舗名や個人名が書かれているので、とある新聞社の方に聞いたら、今でも実在するお店のお爺さんとのことであった。
やはり老舗とは変化出来るお店のことである。

⑤近代化
1960年代の労務難に打ち勝つため、新聞販売店はスタッフの正社員化を進めている。それ以前は新聞少年などが主体であったが、雇用出来なくなってきたからだ。
また、拡張員も新聞社の社員化を模索するなどの、新聞社と新聞販売店両方の近代化が進められている。
現在も同じ状況である。
人材も、情報管理も、全てにおいて近代化が進んでいく状況である。
より効率よく、より効果的に業務を進めるため、近代化を進めて行かなければ業界ごと社会に置いて行かれる。

時代は繰り返す


さて、そろそろ今回のまとめに入る。

この結論が正しいかは、私の孫の代でないとわからないだろう。
しかし、歴史を学んだ時に気づくのは時代は繰り返すという事実である。
新型コロナのパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻、中東問題、世界の二極化・・・それは人類がいつか見た景色である。

身近な例で言えば、ファッションは一定間隔でトレンドは繰り返すことがわかっている。
デリバリーだって、サザエさんの時代では三河屋さんがやっていたのだ。

新聞販売店であっても、明治時代の1875年から続いている。もうすぐで150年である。
新聞販売店も時代と共に、厳しい時代と良かった時代を繰り返してきている。
私は、きっと新聞販売店の未来はあると信じている。
確かに今のようには行かないかもしれない。
しかし、書籍が電子に飲み込まれなかったように、きっと新聞も完全には電子に飲み込まれないだろう。
それは間違いなく、紙の優位性が現段階で存在するからである。

新聞販売店の未来を作り出すのは自分たちである。
新聞販売店の未来は予測するものではなく創り出すものである。
未来を信じで行動することでしか未来は創れない。
最後は、パソコンの生みの親であるアラン・ケイの名言
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。」
で締めくくりたい。


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