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白河夜船『狂人教育』舞台映像を鑑賞して

~白河夜船『狂人教育』舞台映像を鑑賞して~


《感想》
とりあえず生さん、演劇集団Qで演じてたブッ壊れな役の印象が強いのでこんなヒロイン的美少女だっただろうか?とビックリした。見たことあるけど誰だか思い出せないなぁと思いながら観ていた。声も見た目もヒロインだ。この家族の中で唯一他人への想像力があって異質だからあの結末は序盤から予期せられる。

祖父役の大崎緑さん、飛び抜けて美しいなぁと思いながら見てたが、後で調べると元タカラジェンヌ…!そりゃキレイなわけだし演技もずば抜けてるわけだ!すごい人脈!

阿僧祇さんが好色なアル中役は「そう来るか!」という感じだった。ただの清潔な美女ではなく、身を持ち崩して酒飲みのリアルと頽廃があるルックスに仕上がっていて素晴らしかった。冒頭の額縁の中に顔を収める人物紹介シーンで彼女だけが額縁の中に顔を写さず、グラスを揺蕩わせていた。酩酊によって越境するのだろうか、登場人物の中で唯一黒子や人形について言及する役を劇団主宰者が演じるのは意味深で趣深い。観客と舞台の境を超えて酩酊、狂人の世界に誘うのは酒かそれとも…?

また祖母役、父役、兄役の方といい、役者さんが全員お顔が良い…。耽美な世界観にあうヴィジュアルの方をよくもここまで集められたなぁ、という。ゴシックな衣装との相性も抜群だ。抜かりなく整った美しさ。

上演時間が40分と短い分、食材の持つ良さをシンプルな調理法で上品に仕上げた作品に感じた。舞台は真っ黒で、照明は主に黄色を保ち、仕立ての良い凝った衣装も白と黒のみ。

とくればそこに浮かび上がってくるのはやはり「人間の振る舞いと声」だけだ。狂人という趣向で絵付けされた皿に載せられてはいるが、照らし出されるのは人間。

難解さや舞台をギミック化するアングラ演劇でありながら、とてもシンプルに観劇の喜びにアプローチする良い演出だと思った。

観劇の本質の一つとして、良い役者の良い演技をただ楽しむ。これはとても贅沢な提案だ。

ざるに盛られた蕎麦の薫りの上質さを楽しむような、官能を素朴に楽しむ良い時間のような贅沢さ。



《考察》
白河夜船という団体は、極めて高い美意識でアングラと京都らしいアカデミズムを調理する劇団という風に理解している。

今回は寺山修司『狂人教育』ー昭和のアングラ演劇ということで、演劇集団Q出身の主宰二名(阿僧祇さん、深森さん)から続くキャリアらしいチョイスだ。

Q時代に阿僧祇さんが演出をされた『流血サーカス』『毛皮のマリー』では衣装、小道具、舞台美術の一つ一つに至るまで寸分の妥協がない美しい世界観が非常に高いレベルで具現化されており非常な驚きと快感を覚えた。神は細部に宿る、という凝り方である。学生演劇の水準を遥かに超えた夢の世界を現出させる、徹底的な美意識、美学、意志の強さ。それはQを卒団して以降の作品でも変わることなく貫かれている。

しかし本公演では劇場(@green garden)が非常に狭いこともあり、黒いカーテンのみで覆われた舞台空間が採用されている。

非常にシンプルな分、必然性のあるアイデアで新鮮に感じられた。
徹底的に拘り抜かれた舞台美術、舞台装置を思い切ってほぼゼロにしただけあって、衣装やメイクの美しさ、役者そのものの身体の使い方に目が行く。声と身体、佇まい、色気。引き算の美学だと思った。

集まった役者さんも素晴らしい。狂的で耽美な世界観らしいルックス、宝塚的に芝居がかった声の美しさが際立っている。

家族が集合するオープニング、額縁の中で喋る演出はまさに絵画のようだった。また物語のギミック的にも二重包装された視線の暗示として非常に綺麗だった。黒子に操られていることを自覚する人形たち、を見つめる観客席、の後ろにある『観劇行為』を強制的に自覚させる仕組み。デウスエクスマキナ。

しかし観客席は観客席でじっと座り、言葉を発することは許されない。物語に干渉することは出来ない。兄の人形が閉じ込めた蝶々は我々観客なのかもしれない。



最後にこうした貴重な映像を視聴する機会をくださった白河夜船さんに感謝を述べて、本稿の結びとしたい。(了)

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