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【連載小説】『晴子』12

 大学の誰もいない教室で、気が付いたら机に突っ伏して眠っていた。イヤホンからはLOVE PSYCEDELICOが聴こえてくる。寝る前に聴いた覚えのある曲だから、アルバムを一周していたのだろう。
 眠りに落ちる前は、誰もいなかったはずの教室は、もう半分くらい席が埋まっている。次の時間、授業で使うのかもしれない。俺は隣の席に置いてあった鞄を手に取り、他の場所に移動した。
 次に俺が考えたことは、そもそもなんであいつは人の話を聞こうとないんだ、ということだ。合コンなんて、絶対に行きたくない。それに主催者があいつときた。きっとろくなことが起こりやしねえ。あいつというのは、井川悟のことだ。
 井川は大学内の食堂で俺と偶然会うや否や、俺の予定を躍起になって聞き出した(ひいては予定さえ変更させようとしてきた)。
「ね?ね?この日どうよ?空いてる?空いてないなら空けて?ねえ、いいっしょ?」
断ろうとすると、さらに彼は無謀なやり方を選ぼうとする。
「逆にいつなら空いてる?それによっちゃあ、合コンの日程変えてもいいんだよね。」
奴の女の子に対する執着は、恐ろしいものがある。どこかで訴えられなければいいがと思う反面、そうなれば少しはゾクゾクするかもしれないとも思う。
 そうは言っても、コイツと合コンに行くなんて、真っ平ごめんだ。この前も、コイツに誘われて参加した時も、井川が女の子のケツを触ってヒンシュクを買った。その後の雰囲気は最悪で、女の子達の機嫌を取り結ぶのが大変だったのだ(当然、許してもらえるわけもない)。その前の会では、カラオケで女の子そっちのけのレパートリーをひたすら歌い上げ、女の子から愛想笑いを引き出していたが、その愛想笑いの奥にある退屈を見破れる程、井川は賢くない。よく大学に受かったと思う。
 合コンの何が嫌って、女の子に気を遣うよりも、惨敗した男子を表面的にでも励まさなければいけないことだ。もし井川があの子に訴えられる機会があったら、友人を代表してコイツに不利な証言をしてやる。
 結局、井川の誘いは曖昧に濁しておいたが、奴の方では俺が乗り気でないことは視野に入っていないようだ。ある意味では、こうした自分の視野に収まる物事への集中力が、人を巻き込むエネルギーを妨げることなく、加速させているのだろう。
 教室を出てから、どこに腰を落ち着けようかと考え、歩き回る。平日。木曜日の昼。授業が始まって、学内の往来は落ち着いている。夏休み終わりのキャンパスはまだ秋の気配は感じられないくらい暑く、時間の流れが怠く緩やかで、イヤホンから聞こえるLOVE PSHYCEDELICOとシンクロする感じを覚える。結局、学内のカフェが最適解になるのだろうか。当然カフェでは授業が行われることはないのだから、さっきいた教室みたいに時間を気にする必要はない。
 カフェに着くと、イヤホンを外してコーヒーを注文する。席に着くと、周りを見渡す。3コマ目に授業を入れている人が多いのか、人の出入りもそんなにない。落ち着けそうで安心した。知り合いがたまに通り過ぎては、こちらと目を合わせ、軽く手を挙げて会釈していく。
「竹下さん。」
 唐突に後ろから呼びかけられる。振り返ると、声の主が島田美里であると認めた。島田は、一つ下の大学の後輩で、バイト仲間の一人でもあった。セミロングの髪を後ろに束ねて、涼し気で軽やかなスカートにTシャツという姿だった。
「今日はバイトはないんですか。」
「うん。美里ちゃんは?」
「私は6時からシフト入ってるんです。」
 手元を見ると、トレーに載ったホットドッグと紙のタンブラーがあった。
「座る?」
 テーブルを挟んで向かいの椅子が空いていたので、促した。
「あ、でも、友達と来てるので。」
 申し訳なさそうに島田は断った。その代わり、島田は新しい話題を持ち出してきた。
「あの、井川さんから話聞きましたか?」
 かつて井川に彼女を紹介したことを後悔し、申し訳なくさえ思った。

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