短編小説「鎌倉段葛」
鎌倉小町通りには、二五〇店以上の店が長さ三六〇メートルほどの両脇に並ぶ。
その小町通りから徒歩一〇分ほどの場所に、一一九一年に創建された鎌倉八幡宮がある。
七月中旬から八月には、源平池のハスの花が咲く。西洋の建築家ル・コルビジェに師事した板倉準三が建てた建物が、周囲の景色に馴染んでいる。その建物の名称は、神奈川県立近代美術館鎌倉(後の鶴岡ミュージアムは、鎌倉の歴史や文化、自然を紹介し、社寺や史跡、近隣の文化施設への情報を提供する文化交流施設)という。
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段葛の二の鳥居寄りの道端で今日も谷口詩はギター片手に路上ライブを行っていた。火曜日、木曜日、そして土曜日と曜日はほぼ決まっている。夕方から始めて十九時頃まで三時間ほどライブをする。ただ冬場は日が短いため早めに切り上げる。
路上ライブを段葛で行おうと思い立った詩は、道路使用許可が必要かどうか、全く考えも及ばなかった。
ある日の夕方、鎌倉駅前交番の二人の巡査がライブをしている場所に来た。
二曲ほど歌い始めた時だった。男性の巡査が、
「君、ちょっと演奏やめてくれますか」
詩は、驚いて演奏を止め、
「どうかしましたか」と聞いた。
「どうかしましたは、ないよ。ここでライブする許可もらっているの」
「いいえ」と驚いた詩は、困惑した顔で答えた。
「ライブをする場合、事前に警察署に申請して許可をもらわないといけないね」
「そうでしたか、知りませんでした。すみません」詩は冷や汗をかきつつ、申し訳なさそうな表情をした。
詩の歌声を聴いていた人は、ふたり・三人とその場を離れていった。
「ここは、日本でも有名な段葛ですよ。ここで路上ライブをやるとは、君、度胸がいいね。鎌倉警察署に行って申請して下さいよ。今日はこれで中止ですよ」と男の巡査が言った。
遠巻きに聴いていた何人かは、何事かと訝った。詩はやむなく、その日のライブを中止せざるをえなかった。
同行していた、それも若い女性警官が言った。
「歌、お上手ですね。鶴岡八幡宮にも一言、話しておいた方が良いですよ」とアドバイスしてくれた。
事前に許可が必要だとは、まったく知らなかった詩だった。彼女はある種の桎梏を味わった。
後日、詩は鎌倉警察署に出向き、申請書に記入して申し込んだが、すぐには許可が下りなかった。
その後も何度か警察署に足を運んだが駄目だった。
詩はライブ場所を変えようと考えたが、鎌倉の小町通りでは観光客が多く、ほぼ無理だと判った。つまり、ライブができる場所は見つからなかったのである。
詩は鶴岡八幡宮にも足を運んだ。
偶然ある神職に直接お願いすることができた。また、その神職が鎌倉警察署にも掛け合ってくれ、段葛での路上ライブが、その一か月後、再開できるようになったのである。
谷口詩は、和歌山県の出身である。
とは言っても養子として小さいころ東京からその地に来た。高校受験の時、戸籍を取り寄せたときに判った。
詩は(うそでしょ)と驚いた。両親に問い詰めたところ、詩が二歳の時、東京の知り合いから養子縁組をお願いされて、縁組をすることにしたと話してくれた。
養父母には子供がいなかった。
自分がそうだと判った時点で、自暴自棄になり悩む人もいるのだが、詩は違った。あっけらかんとして、すぐに現実を受け入れた。
地元の高校を卒業した詩は、鎌倉の女子大を受験した。
日本の政の中心であった古都鎌倉にあこがれての合格だった。4年間鎌倉で過ごした詩は、その後、第二の故郷として鎌倉に定着してしたのである。
高校時代の友達は殆どが大阪に出ることが多かった。詩だけが遠く離れてしまった。だが、彼女は決して寂しくはなかった。大学を卒業した詩は、鎌倉市内の会社に就職した。
詩の勤めている会社は、ウェブ広告の進行管理をしている。
彼女は在宅勤務が多い。出社は月曜日だけ。概ね時間は作れる。時代を先取りした会社であった。
詩は稚い時分から、音楽に興味を抱いた。
ピアノやギターを必死に練習した。高校を卒業するころ、腕前はかなり上達していた。
詩が音楽へ向き合うそのポリシー(信条)は、自分の気持が盛り上がるし落ちつくし癒されることだった。早い話が、好きだからである。
いまだ人を楽しませることに重きを置く考えではなかった。しかし、路上ライブを続けるうちに、彼女の心に変化が芽生え始めた。
自分の歌を、みんなに聴いてほしい。そして元気になって欲しい。
生来の勝気な性格がそうさせたのではなく、皆の前で歌いたいという気持ちだけだった。だが、詩の心の中には、独りよがりな気持、私は歌がうまいんだ、という思いあがった気持があったことに、のちに彼女本人が気づいたのだった。
そのことに気が付いた詩は、その後のライブの姿勢に現れ、人びとを感動させていくことになる。
詩は、今年(二〇一二年)三月で、二十四歳になった。
段葛に立って歌い始めて半年ほどになる。
路上ライブを始めたころは恥ずかしい気持ちのほうが勝っていた。しかし毎回三時間弾き語りをしていると、大きな満足感が得られた。集まってきてくれた人たちが、聴き入ってくれていると思うと嬉しかった。
度胸も付き始めた。自分で作った曲も歌うようになった。
人だかりとまではいかないが、立ち止まって聴いてくれる人が出始めた。 この時期には梅雨も明け、暑さがじわじわと厳しさを増してきているが、夕方からの暑さにはなんとか耐えることができた。しかし、歌っている詩の額からは汗が噴き出た。
ある土曜日の夕方、いつものようにライブの準備をしていた時のこと。
詩は人混みの中で、以前見かけた男性が、こちらを見つめている姿が気になった。
そして路上ライブが始まった。十九時頃までに二十曲ほど歌う。
演奏をはじめてから、いつの間にか人だかりができていた。
その男性が後ろのほうで、じっと佇み聴いている。
半年ほど前にもその場所に佇んでいたのを詩は思い出した。
60歳に近い年かさで、白ワイシャツの上に黒色のくたびれた背広を身に着けている。背丈は170センチほど、多少猫背気味で、顔は面長、顔には深い皺が幾筋も刻まれている。
十八曲ほど歌い終わったころには、既に十九時を過ぎていた。
詩は帰り支度を始めた。まだその男性は佇んでいる。そして、彼女の傍に近付いてきた。
「お嬢さん、歌上手いね」やや掠(かす)れ声で詩に話しかけた。
「ありがとうございます」
「いつも、このあたりでやっているの」
「はい」
「週に何回?」
「火曜日と木曜日、そして土曜日です」
詩は怪訝そうな素振りでそう答えた。当然だが、見ず知らずの人とかかわりたくないと思った。
なかには絡んでくる人も過去にいたのだ。
その日も詩はギターやら楽譜本、マイク、スピーカーなど多くの荷物を抱えていた。そしてその場を離れようと、その男性に会釈をした。
「もしよければ、その荷物を持ってあげましょう」とその男性が言うではないか。
詩は、警戒しながら、
「結構です、大丈夫ですから」と断った。
「僕はこれから駅に向かいますから....…なあに、ついでですから」と言って、詩の手からギターケースを受け取り、先に歩き出した。
詩は、
「どうもすみません」と礼を言った。
「以前にも来ていませんでしたか」
「えぇ、半年前になるかな」
「どちらから来たのですか」
「東京は上野から。いや、今日は前の職場の同僚が、この近くにいるもので」
「そうですか.…」と詩は言いつつ、その男性の後ろを歩いた。
「遅いですが、もしよろしければお茶でもご一緒しませんか。お嬢さんのコンサート料金よりも安くて申し訳ないのですが、僕の驕りで」その男性は笑顔で詩に言った。
詩は、躊躇したが、思い切って言った。
「すぐ近くに、ミルクホールがありますわ」
「そこにしましょう」と男性は言った。
そのミルクホールは一九七六年創業の店で、一番屋という煎餅屋を右に曲がってすぐ近くに在る。
二人はその店に入った。閉店まで小一時間しかない。
その男性は珈琲を頼んだ。詩はここで夕飯を済まそうと、オペラライスとプリンを頼んだ。組み合わせは良くないかもしれないが、ここのオペラライスとプリンはけっこう有名なのだ。
「まだ自己紹介していなかったね。僕の名前は坂東次郎と言います」
「あ、すみません、私は谷口詩と言います」食事が終わり、珈琲を追加注文しながら詩は自分の名前を言った。
「僕は度々ここ鎌倉に来ています。先ほどはあなたに嘘をついちゃった。
実は妻の入院先の病院がこの近くでしてね。詩さんの歌う声を聴いていたら、落ちつくのです。なにかこう、とにかく癒されるのです。
妻はもう長いこと生きられない......。あ、すみません。見ず知らずの方にこのような話をしてしまって」とテーブルに目を落とした。
店内にはジャズっぽい曲が流れている。しかし耳障りでは無く、心地よいテンポの曲だ。
「どうして鎌倉なのですか。東京には大きな病院がたくさんあるでしょう」
「終末医療のためです。妻は、最後は静かなところで過ごしたいと言いましてね」
坂東の表情には、今までの人生の深い苦悩のようなものがにじんでいた。
閉店時間が来てしまった。坂東はレジに向かい清算した。詩はお礼を言い、その店をでて、鎌倉駅まで歩いた。
「坂東さんはこれから東京まで大変ですね。時間かかるでしょう」
「電車に揺られながら、妻との過ごした日々を思い出すのが、それはそれで僕と妻の思い出を辿ることなのです」
二人は駅で別れた。詩は今日初めて坂東と会話をしたが、なぜか以前からの知り合いのような気がするのだった。
詩は江ノ島電鉄に乗り、住まいのある次の和田塚で降りた。
それから半年がたった正月のある日の土曜日、いつものように詩は段葛で路上ライブをしていた。
柳の木が寒々と枝を揺らしている。
午後六時ごろ、坂東がいつもの場所で佇んで詩の歌を聴いていた。詩は、坂東が前回会ったときよりも、一回り小さくなった気がした。
時には詩の歌う曲に、涙ぐんでいるようなそぶりを見せた。
ライブを終え、楽器などを仕舞い始めたとき、坂東が詩の傍にきて、
「谷口さん、良かったら、ミルクホールに行きませんか」と言うのだった。
坂東の様子になにか言い知れぬ寂寥感を感じた詩は、図々しくも、
「坂東さん、少々荷物を持つの、手伝ってくれませんか」とお願いした。
「いいですよ」と、坂東はにっこり微笑んだ。
詩はおなかがすいていたので、また前回と同じく、オペラライスとプリンを注文した。坂東は珈琲を注文した。
「その後いかがですか、奥様の容態は」
「実は一週間前亡くなりました。今日は病院の手続きなどありましたので、鎌倉に参りました。すい臓がんでした。それと判ってから一年で旅立ちました」
「そうだったのですか」
「今日は午後から病院に来て、種々用事を済ませました。帰り際、ふと谷口さんのライブを聞いてみようと思い立ちました。
半年ほど前、あなたとお会いしたことを妻に話しました。
詩さんの横顔が妻に似ているのです。そのことも妻に話しました。
妻はフォークソングが好きな人でした。是非、谷口さんのライブに足を運びたいと申しておりました。が、叶いませんでした。本当に残念です。
妻が僕に谷口さんはどういう曲を歌っていたのと聞くものですから、僕の判る範囲で伝えました。
妻は穏やかな顔で遠くに目をやり、ハミングしていました。今でもその時の顔が浮かびます。彼女なりに、谷口さんに心寄せる気持ちがあったのだろうと思います」と坂東は話した。
詩はじっと坂東を見つめながら話を聞いていた。詩は何か言い知れぬ惜別感を感じた。その時思わず、涙がこぼれた。ひょっとして、私の実母ではないかと思う気持ちが過った。しかし、詩はその気持ちを打ち消した。万が一、そうであっても、過去に戻れない。
坂東は徐にまた話し始めた。
「妻と僕が知り合ったのが、平成六年だったかな。
東京の上野駅でした。同じ職場だったのです。駅の清掃業務に従事していました。広い場内の床清掃やトイレの清掃、新幹線の車内の清掃もしていました」
朴訥と話す坂東の話を、詩は時を忘れて聞き入った。
「彼女は、独身でした。 若い時分に一度結婚して、女の子が授かりましたが、その子が二歳の時、事情があり、手放さなければなりませんでした。
つらかったことでしょう。
相手の男性は、飲む・打つ・買う の三拍子が揃った人で、極貧生活を送っていたようです。極めつけは他の女と駆け落ちして、行方知らずとなってしまったそうです。
やむなく彼女はその子を和歌山の方へ養子縁組として手放しました。彼女の気持ちを考えると、胸が張り裂けんばかりの状態だったでしょう」
詩はその話を聞きながら、何かしら胸が熱くなるものを感じた。
店内を眺めると、ミルクホールの客は他に二組いるだけであった。
「僕は、上野駅で働く前は、足立区にある運送会社でドライバーとして働いていました。働き出して三年ほどした昭和四十六年の暑い日、今でも覚えていますが、配達を終え、会社に帰る途中、大変なことに巻き込まれてしまったのです。
そのことは、今思い出しても遣り切れないのです。
都道五十八号線を北に向け走っていた時、夕方の四時ごろでしたでしょうか。ちょうど舎人公園の入り口あたりを通ったとき、一台の軽トラックが中央分離帯を越して反対車線に飛び込んできたのです。
一瞬、自分の体が硬直するのが分かりました。避けようがなく、正面衝突、お互い時速50キロメートル以上は出ていたと思います。
気がついたら、病院のベッドの上でした。
幸にも、 一週間後に意識が戻りました。
相手の人は若い男性で、即死でした。
僕は、どうにか生き残りましたが、内臓破裂と脳挫傷でした。奇跡的に一命を取り留めました。
相手のドライバーは、運転中に脳梗塞を起こしたらしいです。それでハンドルを切り損ねて、反対車線に突っ込んできたみたいです。
退院後、僕はその運送会社を辞めました。
都内の清掃会社に雇ってもらい、新宿御苑のビル二棟の清掃を任され、毎日朝早くから清掃業務を熟していました。
幸い事故の後遺症は殆どなく、助かりました。しかし、そこの会社で有らぬ噂が広まり、辞めざるを得ませんでした。
ある清掃員が僕を陥れたのです。
詳しくは話したくありません。声に出してしゃべると、いやな気持になるのです。許して下さい」
すでにその日も閉店の時間が迫っていた。詩は腕時計をチラッと見た。その仕草に気づいたのか、坂東は、
「あっと、すみません。もう閉店ですね。出ましょうか。僕のくだらない話を聞かせてしまいましたね。よかったら、僕は一か月後にまた鎌倉に来ます。その時にまた歌を聞かせてください。ライブが終わってから、またお付き合いください」
しかし坂東さんは、その後一か月たっても二か月たっても詩のライブに顔を出すことはなかった。
次の年の梅雨は例年に比べ早く明けた。年を追うごとに梅雨時期には、大雨などで河川の氾濫が激しくなりつつあった。
その日、土曜日の夕方から詩は段葛に立った。詩の透き通った歌声が、二の鳥居に響き渡った。常連の客や観光客が足を止め、聴いてくれていた。
人混みの中で、坂東の姿があった。
十九時をまわった。
詩はライブを止め、帰り支度を始めた。久方ぶりに見かけた坂東だった。
「谷口さん、暫く来られなくてすみませんでした」
「坂東さん、お久しぶりです」と詩は懐かしそうに応えた。
その日、坂東は何とか時間をこじ開け鎌倉に来たのだった。
明日の朝は早い。仕事が待っている。少しでも睡眠をとらなければ、体力的にしんどくなってきていた。
坂東は詩に挨拶をし、すぐ電車に乗るつもりだった。しかし、詩はそうとは知らず、ミルクホールに寄ろうとした。
「谷口さん、僕はすぐ失礼します。明日の朝早いもので」
「この前の坂東さんの話の続きを聞きたいのですが」
坂東は、嫌とは言えず、店に入って珈琲を注文し、詩も珈琲を注文した。
「今日は亡くなる一週間前に妻が書き残したポエムを持ってきました。妻があなたに渡してほしいと言ったもので。
多分、曲をつけて歌ってほしかったと思います」と詩に小さな紙切れを渡した。
そして、坂東は前回の続きを話しはじめた。
「彼女と知り合った当時、そうそう、妻の名前を佳乃と言います。
初めて彼女を見掛けた時、何か寂しそうな、影のある女性だなというのが、印象でした。大袈裟に言えば、この世を儚んだ姿でした。
私は彼女からいままでの一部始終を聞きました。彼女自身の口から宿命なのでという言葉を聞いたとき、内心違うだろうと思いました。
そこから這いあがるというか、抗う姿を、彼女に求めたかもしれません。
僕たちは、その後、再出発をしました。
上野公園の傍の古いアパートが新居でした。僕は今でもそのアパートに暮らしています。春には二人で桜を愛でました。あたたかい家庭でした。佳乃は僕に限りなく、尽くしてくれました」
その話を聞きながら、詩は思わず涙ぐんでしまった。
「僕は今も清掃関係の仕事をしています。来年の桜の花の咲く頃は、上野公園に、一升瓶を持ち込んで、佳乃と会話しながら花見をしたいと思っています」
ミルクホールを出て、駅までの道すがら、下弦の月が夜空をうっすら彩っていた。詩はこれっきり、坂東とは会えないだろうと感じた。
その夜、坂東から渡された紙切れを読んだ詩は、鴛鴦の契りの故事を思い、泣きながらメロディーを口ずさんだのであった。
あなたへ
意識が薄れる前に
あなたと過ごした日々が
ぽっかりあいた心の穴を
埋めてくれました
かけがいのない日々をありがとう
桜の花が散りゆく中で
思い出だすのはあなたと過ごした日々
幸せでした
娘へ
意識が薄れる前に
胸に大きな棘が刺さったままで
慚愧の涙を流してきました
あなたを手放したことを
幾年も悔やんできました
分かっています
決して許してはもらえないことを
貴女の幸せだけを
瞼に浮かべながら
了
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