短篇小説(連載)忘却の文治(3)
白樺湖から家に戻ると和子が、「どうだった?」と聞いてきた。
文治は「家が一番だ」とボソッと応えた。
その後、家に一カ月ほど居て、文治はまた旅に出た。今度の旅は、北海道の襟裳岬。
文治が生まれた故郷だ。親戚は何人かいるが、親の代で交流は途絶えている。
数年前まで様似までJRの電車が通っていたが、今は鵡川でおしまい。その先は、バスで行くしかない。
文治が生まれて七年ほどしかいなかった土地であった。
小さいころの記憶は、どこかへ消えつつあった。わずかに心の隅に残っている昔の画像とちっとも変っていなかった。大きく変わったと言えば黄金道路くらいのものだった。
庶野の旅館に泊まりながら、遠い過去を振り返ってみた。しかし、思い出すのは父母の姿のみだった。
文治は毎日、漁港へ行ったり、岬まで足を延ばしたり、海岸の砂場で寝そべり、コンブ干しを思い浮かべたり、ドンドン岩で釣り竿を垂らしたりした。空気が美味しかった。
ここにずっといると、寂しさが募るばかりだった。一週間ほどで、札幌に戻った。
札幌駅に着いたとき、なぜかほっとした。どうしてそのような気持になるのだろう。文治はすすき野のスナック「渉」でウィスキーを舐めながら考えた。
自分の心身は、すでに自然に適応した身体から見放されたのだと、その時ふと思った。そして、大きなため息をついた。
今度はどこへ行こうか? 漠然と考えながら飲み、カラオケで森進一の襟裳岬を歌った。