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ゴメが啼くとき(連載3)

 佐藤家の玄関先で、文江は大きな声を挙げた。
「文江です!」
「はーい」と嫁の返事がした。嫁の名をシゲという。叔父嫁である。
「文江ちゃん、よく来たね。あら、背中に昌枝ちゃん負んぶしているの」
「はい、今日は爺様に坂本の旦那様からの手紙を届けに来たの」と、懐からそれを取り出した。そして、
「爺様は?」と、文江が嫁に聞いた。
「昆布小屋に行っているよ。もうじき戻るから」と、シゲが封書を受け取った。
 背中の昌枝はぐっすり寝込んでいる。
「文江ちゃん、上がんなさいよ」
「はい、だども遅くなるといけないから、わち直ぐ帰ります。昼までには戻らなくては怒られますから」
 すると奥から、この家の婆様が顔を出し、
「あら、文江、さあ上がれ、あがれ」と言いながら文江の体を勢いよく引っ張った。はずみで文江の体がよろけ、背中の昌枝が泣き出した。

 佐藤家に上がり、文江は背中から昌枝を降ろし、オシメを取り換えた。そして、薪ストーブの傍に座った。今の時季では珍しく薪ストーブが薄っすらと燃えていた。
「目黒からじゃ、遠かったべ」と佐藤の婆様が、目を細め文江に同情した声で話した。
 佐藤家は、文江の親戚筋にあたる。実母の実家である。
「お前の父さんは、エフリコキ(見栄っ張り)で仕事もしねえで、バイクさ乗り回している。困ったものだ。お前の母親のハナがどれだけ苦労をしているか」と婆様が涙ながらに言った。
「婆様、文江ちゃんの前で、そんなこと言うもんでねえよ」と佐藤の嫁のシゲがたしなめた。
「文江ちゃん、目黒に奉公に行って、何年になる?」とシゲが聞いた。
「二年ぐらいたつかな」
「そうかい、お前も苦労してるね。他人の家の飯を食うことがどれほど大変か・・」
 シゲは、文江を見つめながら涙を流した。
 婆様も頷き、
「文江、いまの苦労が、大人になったら必ず生かされるよ」と言ってくれた。
 丁度その時、佐藤の爺様が、近くの昆布小屋から戻ってきた。
「おう、文江、来てたのか」
「坂本さんから手紙を持ってきてくれたさ」と嫁が、封書を爺様に渡した。
 爺様はその封書を読み終えると、微笑を含んだ顔を文江に向け、
「来月からこの家に来ることになった。文江、いいな」と、諭すように言った。
「え? わちが」
「そうだ」
「なして」
「奉公は今月でおしまいだ。来月から学校さ いけ」
「え?」

 半年前に文江の実母のハナが夫と離縁したことは、まだ文江には、知らせていなかった。
 佐藤の爺様は、文江に初めて、そのことを話したのだった。
 また、文江の苦労を痛いほど知悉していた爺様は、一時も早く文江の奉公を終わらせ、とりあえず佐藤家で引き取ることを坂本家にお願いしていたのであった。文江が持ってきた封書には、その返事が書かれていた。
 封書を文江に持たせてよこしたのは、坂本家の配慮だった。

 文江は、一時間ほど佐藤家にいた。
 佐藤家からの帰りは、昌枝を背負い、おしめ袋を片手で持ち、もう一方の手には坂本家への土産物を持っていた。
 両腕が塞がり、歩き始めてすぐに文江は音を上げそうになったが、心は爽やかだった。
 もうすぐ、辛かった二年間の奉公に終止符が打たれる。学校にも行ける。
 文江は自分の将来がパッと明るく輝きだしたことを感じながら、一里ほどの距離を歩いて坂本家に向かった。

 昼過ぎに目黒の坂本家に戻った文江は、遅い昼飯をもらい、寝ている昌枝の側で暫く転寝うたたねをした。が、興奮して寝付けなかった。
 今日、父母が別れたと佐藤の爺様から聞かされた。弟妹はどうなるのか。
 文江の下には、二人の弟と二人の妹がいる。
 一か月後、フンコツの母親の実家の佐藤家に身を寄せることになる。
 文江の小さな頭の中はグルグルと何かが廻っていた。そのうち夢をみた。
 家族そろってスイカを食べている夢だった。
 皆の顔が笑っていた。しかし、母親の顔だけがぼやけて、はっきり見えない。
 どうしてだろう?
 文江には、母親のハナの苦悩が判るはずもなかった。
 

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