【連載】しぶとく生きていますか?④
そのヒグマは銃弾を右肩に受け、すぐ方向を変え裏山の茂みの中に消えた。
傷を負ったヒグマのことを『手負い』と謂って、非常に危険なのだ。
茂三の左頬から血が滴り落ちていた。
「茂三さん、大丈夫か?」
「駐在さん、救急箱持ってきてや」と茂三は田所に頼んだ。
田所は、駐在所の中へ走り、救急箱を探し当て、茂三の手当てをした。
ヒグマの爪でやられたと見えて、結構な深さの傷のようだ。
「茂三さん、撃った弾が、ヒグマの肩に当ったようだ」
「駐在さん、厄介なことになってしまった」
駐在の田所の顔は真っ青になっていた。
田所巡査は、派出所から浦河の警察署に電話を入れ、応援を要請した。流れ着いたクジラよりも、いまは手負いのヒグマの捜索が急を要する。
応援が来るまで、茂三は派出所で待機した。出涸らしのお茶を飲みながら二人とも暫くは無言だった。茂三は時々顔をしかめた。左頬が痛むのだった。
左頬を手で押さえながら茂三は、
「庶野では鉄砲撃ち、何人いたべか」と田所に聞いた。
「確か、吉阪さんと今野さんのふたりかな」
「駐在さん、その二人に頼んでみるべ」
「おれ、これから二人に知らせて頼んでくるわ」
「浦河から応援が来てからでもおそくはないべさ」
「それもそうだな」と田所は落ち着きなく、所内をうろつき始めた。
普段は平穏な庶野の街で、クジラとヒグマという大形動物の出現によって、街中が急に騒がしくなった。
これから子供たちの通学の時間だ。田所は庶野村立尋常小学校の校長宅に電話をかけた。
「朝早くから申し訳ない校長さん。たった今、駐在所の裏手にヒグマが出た。わしが撃ち損じた。手負いだ」
いまから生徒父兄に伝えるにしても時間が無い。
「駐在さん、どうするべか」と校長の志賀は、駐在所の田代に問いかけるように話した。
「私とフンコツから来ている加藤さんの二人で、学校の周辺を見回りますので、校長さんは先生方に連絡をしてもらいますか」
「ああ、そうします」と校長はすぐに電話を切った。
田所は傍にいた茂三に、
「二人ですぐ、学校にいくべ」と言った。
応急手当はしているが、左頬にあてた包帯が血で赤く染まっている茂三は、平気な様子で、田所の後を追った。振り向いた田所は、
「茂三さん、後で診療所に行こう」と茂三を気遣いながら、先を急いだ。
田所、茂三、志賀校長、出勤してきた先生方で、通学してくる子供たちを直ぐ帰らせ、とりあえずその日は休校にした。
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