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【連載】しぶとく生きていますか?㉑

 松江がフンコツに来てはや一年が経とうとしていた。フンコツの人たちとも馴染み、徐々に内地の人から襟裳の人になりつつある松江だった。

 そのころ、松江に嫁の話が舞い込んだ。相手は庶野の自転車屋の長女の澄子という二十二歳の乙女だ。
 その話は派出所の田村が役場の人間から聞いた。初めは田村本人がまだ独身なので意気込んでいたが、当の澄子が内地から来た松江に一目惚れをしてしまったらしい。
 田村がある日、茂三にその話を持ち込んだ。茂三が松江の面倒を見ていたので先ずは、茂三に話を通したのであった。

 松江が茂三の家で、晩飯が終わってお茶を啜っていたとき、茂三からはなしがあるからと言われた。松江はもうこの家で三度の飯が貰えないのかと早合点した。
「茂三さん、奥さん、これからも飯食わしてくれないべか」と松江はすっかり浜言葉になっていた。
「お前そんなこと心配してたのか。当分ここで飯食え」と茂三が苦笑いを浮かべ、淑子の方を見ながら松江に言った。
「いやな.…、お前に縁談が来ている。どうだ、一度会ってみるか」
 びっくりした声で松江が、
「えぇ! この俺に縁談?」
「そうだ、庶野の自転車屋の娘だ。考えてみてくれないか」と茂三が松江に聞いた。松江は下を向いて、じっと考える素振りでお茶を啜っていた。
 淑子は松江の湯呑茶わんにお茶を注ぎながら、
「いい話でないかい。松ちゃん考えてみたら」と言うと、松江は低い声で、
「そだな」と言った。はにかんだ物言いだ。茂三が、
「そういえば、お前は香川の高松の出と聞いているけど、どうしてまた北海道に来たのさ。
 詳しいこと、いままで一度も聞いていないけど、聞かせてくれないか。言いいたくないことなら言わなくてもいいけど」
 松江はじっと下を向き、黙ったままだったが、暫くして話し出した。

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