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東京の変遷

 東京市十五区
 明治十一年(一八七八年)に市内(朱引内町奉行所管轄)を十五区に分け、夫々に官制の区長を置きました。
 麹町・日本橋・京橋・神田・下谷・浅草・芝・麻布・小石川・本郷・四谷・赤坂・牛込・本所・深川。十五区を行政区域とするのが、東京市です。
 現在この十五区を旧市内と云います。
 江戸っ子は「牛込の伯父さん、小石川の叔母さん」と言っても「新宿の伯父さん、文京の叔母さん」とは言わないようです。

 東京市三十五区
 昭和七年(一九三二)に東京市は三十五区となりました。増えた二十区は以下です。 品川、目黒、荏原、大森、蒲田、世田谷、渋谷、淀橋、中野、板橋、向島、葛飾、杉並、豊島、滝野川、荒川、王子、足立、城東、江戸川。
 昭和五年の東京市の人口二〇七万人でありましたが、これで一挙に五三一万人となりました。


 東京府
 東京市と郡部・島嶼部とうしょぶを包括したのが東京府です。その長は知事です。
 明治二十二年(一八八九)に六郡三支庁が成立しました。
 東多摩郡・南豊島郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡荏原郡と大島支庁、三宅島支庁、八丈島支庁です。
 明治二十六年(一八九三)に神奈川県に所属した三多摩が東京府に編入されました。理由は玉川上水の水源に絡んだようです。
 さて、東京府の府とは何ぞや?
 律令の昔から地方官制として京職という役所があり京都市内の司法行政を担っておりました。明治新政府は京職のテリトリーを京都府としました。東京、大坂もこれにならって東京府、大阪府となるわけですが、いっときですが、もう一つ府がありました。甲斐府です。

 山梨は全県が幕領でしたが、廃藩置県で府中(甲府)、市川、石和の三県となりましたが、明治二十六年に甲斐府となり、まもなく山梨県となり現在に至っております。

 明治時代は東京ばかりでなく日本全体が二つの戦争(明治二十七年~二十八年の日清戦争と明治三十七年~三十八年の日露戦争)を経験しながら大きく変わっていくのでありますが、東京西部は皆、農民地でした。
 目黒・自由が丘なんて、気取っていても、昭和に入るまでは便所は汲み取りでした。
 当時水洗式は市内に限られておりました。
 大正十二年のあの関東大震災のあと、市外は急激に住宅が増えたのです。

  


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