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【連載】しぶとく生きていますか?㉕

 その晩の午前二時頃だった。
 家の外では、ゴーゴーという不気味な音がしていた。
「おい、皆起きろ! 津波の音かもしれない」と茂三が大きな声をだした。
 隣の部屋で寝ていた松江夫婦にも茂三の声が聞こえたと見えて、起き出してきた。
「寝間着から着替えろ! 厚着しろ! 外は寒いぞ。貴重品と水を持ったか?」と茂三が己に確認するように話した。
「茂三さん、俺ちょっと外を見てくる」と松江が玄関をでて、真っ暗闇の中へ出て行った。そして戻ってきた松江が、
「みんな! 早く裏山に逃げるぞ。階段の上まで波が来てるぞ!」慌てふためいて飛び込んできた。
 茂三、淑子、松江夫婦の四人は裏山に向かった。まだ外は真っ暗闇で、空には星々がキラキラと瞬いていた。
 茂三を先頭に無我夢中で山へと登った。
 下の黄金道路の方で、バリバリと不気味な音がした。多分、家が津波に押し流されている音だろうと、四人は途方に暮れた。
 この津波で四人とも助かったのは、自然の脅威の前触れを敏感に感じた茂三の判断だった。
 
 一夜明けたフンコツの姿は、過酷な状況だった。家という家は波にさらわれ見当たらなかった。他の四軒の家の人たちも、事前に茂三から津波が来るかもしれないと言われていたので難を逃れたのであった。これは、奇跡だった。
 その夜の津波は、遠く離れた南アメリカ大陸の西岸で起きた大地震の津波だったのである。この津波で北海道の東海岸から東北地方沿岸で大きな被害が出た。
 庶野の漁港でもほとんどの船が沖に流されたり転覆した被害があった。その規模は甚大だった。

 家を失ったフンコツの六世帯二十四人は、庶野小学校に避難した。そして、一カ月ほど、小学校の校庭にテントを建て、そこで避難生活を送った。
 北海道の秋は短い。朝晩寒いなかでの避難生活は過酷を極めた。なかには体調を崩す老人も出始めた。
 松江夫婦は、とりあえず澄子の実家に身を寄せていた。茂三と淑子はテント生活を余儀なくされた。
「あんた、私風呂に入りたい。暖かい食べ物が欲しい」と淑子が茂三に愚痴をこぼした。
「淑子、もう少しの辛抱だ。北海道や国の方で、俺たちが住む家の再建を検討しているらしいぞ、もう少しの辛抱だ」と淑子を宥めた。
 茂三夫婦のテントに、毎日のように松江夫婦が来てくれて、不足している物資を届けに来てくれた。たまには澄子の実家で風呂を使わしてくれたのである。
 その年の十一月の半ば、フンコツから見晴台に向かう高台に仮設の家ができた。
 テント生活よりもまだましだった。当時は電気が通っていない。飲料水も定期的にトラックで運んできた。
 茂三夫婦、それに松江夫婦もその仮設住宅に入った。やっとこれで落ち着けると思ったが、今度は強風に悩まされたのであった。特に冬に向かう季節は海からの風が仮設住宅を打ち付けた。

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