南部陽一郎との思い出。

私は友人ら、からは「歩く事故物件」と呼ばれている(汗)。

確かに48年間生きてきて色々なことがあったけども。

今回は割と明るい話になるかと思う。
もし良かったら
しばしの間、おつきあいいただきたい。

あれは2001年の話なので
もう20年以上前の話だ。

ちょっとしたヤボ用でニューヨークへ行くことになった。

当時、私は東京都新宿区に住んでおり
新宿がまだギラギラしてた時代を間近で見て育った世代である。
とにかく、ありとあらゆるタイプの人々がいて
それが面白かった。

今でいう「多様性」ってヤツか。

色んな人がいたし、色んな人がいてもいい
という新宿の街の雰囲気が大好きだった。

「多様性」というものを真剣に考えた場合
「あなたは人と違っていてもいいんだよ」というのは
とても有り難いことだし場合によっては救いになるけども

これは同時に

「あなたと考えが違う人がいてもある程度、認めて
受け入れてあげる懐の深さもないとダメだよ」
という意味でもあって

これを肌で実感しながら20代を過ごせたことは
本当に人生の宝物だと今でも思っている。

話を戻そう。

2001年、たしか6月だったと思う、ニューヨークに行く直前
知人から「ニューヨーク行くの?だったら僕のおじさん、紹介するよ」
「レオちゃんとだったらきっと仲良くなれると思う」

と言われて、現地で彼と会うことになった。

それが南部陽一郎との出会いであった。

初対面でいきなり

「自分の息子にレオナなんて名前つけるだなんて
君の親御さんは、君にノーベル賞でも
とらせたいのかね?(笑)」

と、にこやかに言われて正直ムッとした。
(2023年12月現在、存命の日本人ノーベル賞受賞者で
最高齢なのが江崎玲於奈である)

私にそう言い放った南部陽一郎本人が
それから7年後に
ノーベル賞を受賞した。

初対面でこの件でちょっとムカついたので
からかい半分で質問してみた。

「一辺の長さ1の正四面体を空間上でいろいろと動かした時
それを座標平面α上に正射影したときにできる
図形の面積の最大値と最小値は?」

1988年に東京大学の入試問題で出題された伝説の難問である。
この問題が出題された時、受験者全体で
正解者はゼロだったらしい。

南部陽一郎は20秒ぐらい目をつむった後
「最大値 2分の1 最小値 4分のルート2」

、、、、、正解である。

当時、彼は80歳だったけども
「コイツはガチの天才だな」と仰天した記憶がある。

まぁ、そんなことがあって、しばらくしたら
打ち解けて、すぐに仲良くなった。
そしてその友情は彼が亡くなるまで続くことになる。

彼は人格者であった。

東京帝大、いまでいう東京大学を卒業して
研究者として頑張っていたが
あまりにもアタマが良すぎて嫉妬され、干されて
日本では研究できなくなって
アメリカに渡った、という経歴がある。

私と知り合った時、南部陽一郎はシカゴ在住で
国籍はアメリカに帰化していた。

まさか、そのあとノーベル賞を取るような
偉大な学者だとは全く知らなかったのと

私が20代の怖いもの知らずな若造だったのと
(今思い出したら、冷や汗が出る)

彼が飾らない鷹揚で穏やかな性格だったおかげで

この奇妙な友人関係は続いた。

若造であるがゆえの悩みとか焦りとか
いろいろあったのだけども
彼には割と正直に打ち明けられた。

打算とか利害関係が全くない二人だったから
それが結果的には良かったのだと思う。

「君は面白い子だねぇ」と彼はいつも笑ってたし
「この爺さん、変わってるけど大好きだな」といつも尊敬していた。
それは彼がノーベル賞をとったあともお互い変わらなかった。

自分の人生がうまくいかなくてイジけそうになった時

彼はいつも諭すように、穏やかに言った、
「つらいこと、かなしいこと、理不尽なこと
そういう経験があったぶんだけ
その人は誰かを
励ましたり、勇気づけたり、笑顔にさせる
力があると私はいつも思うのだけども
君はどう、思うかね?」

と。

妙に説得力があったのと
彼の穏やかな笑顔が
妙に心に沁みた。

その通りだなぁ、と思った。

南部陽一郎は、生きていて
思い通りにならないことがあっても
努力が認められなくても
理不尽なことがあっても

誰かを呪ったり
人生を恨んだりとか
そういうのが一切ない人であった。

「自分にできることをやりきったら、あとはそれを受け止めるだけ」

というか、飄々としているというか
何が起きても
魂の健やかさを失わない芯の強さがあった。

物理学には疎いけども
彼のそういった人間性には
いつも敬服していた。

晩年、彼は日本に帰ってきて
大阪で暮らしていたのだけども
「よかったらいつでも遊びにおいで」と言われ

「はい!」と額面通りにそれを受け止めて、二つ返事で

東京から大阪へ移住した。

さすがに彼も少し引いてたのは秘密だ(笑)

いままで48年間生きてきて
彼が亡くなった時が
一番泣いた。

とにかく、これでもか、ってぐらい泣いたし
涙がとまらなかった。
本当に心の底から尊敬し、感謝していた人だからである。

「つらいことや、かなしいことがあったぶんだけ
その人は誰かを
励ましたり、勇気づけたり、応援できるんじゃないか」

今は心からそう思っている。
人生における人と人との出会いやつながりは
本当に不思議なものであるが

この御縁については
神様仏様に
心から感謝している。

生きてるって不思議なもので
本当に絶不調だった時に
地獄で仏というか
思いがけない出会いがあったりするものである。

これを読んでくださった皆さんに
素敵な御縁があることを祈って
筆を置くことにする。


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