高校生でも理解できるように、ダンテの「神曲」について本気で語ってみた。

クリスマスも終わり、世間では一斉にお正月に向けての
歳末商戦が始まった。

今回の記事は筆者から読者の皆さんへの
日頃の御愛顧に対する感謝として、また
おそまきながらのクリスマス・プレゼントとして
上梓させていただく。

この記事をきっかけにダンテの「神曲」に
興味をもってもらえる方が
一人でも多くなることを願って。

この作品について語る前に
この作品が生まれる時代背景として

「ルネサンスとは何であったのか」を
明確にしておく必要がある。

某コメディアン二人組が
フランスの貴族風のいでたちをしつつ
「ルネッサーンス!」といいながら
ワイングラスをカチンと合わせるギャグ
が流行したせいで

ルネサンスとは「乾杯」の意味だと
誤解している方もいらっしゃるが
本来の意味は全く違う。

高校の世界史なんかだと
「ルネサンスとは文芸復興という意味である」
と習うが、これでも
「なんのこっちゃ?」となるのが普通だ。

ルネサンスという言葉の原義でいえば
フランス語で「再生、復活」
という意味が正しい。

うん、こっちの方が意味あいとしてはしっくりくる。

世界史上の大雑把な定義でいくと
西暦476年の西ローマ帝国の滅亡をもって
中世、「暗黒の中世」の時代がスタートする。

西欧の歴史において中世を語るとき
必ずといって「暗黒の」という枕詞がつくのは

簡単に言うと「政教一致」の時代だったからである。

現代だと日本とか他の先進国でもそうなんだけど
「政治と宗教は別だよね」っていうのが原則としてある。

「政教分離の原則」というのは
「政治が宗教に口出ししたり弾圧したりしたらダメだよね」
「宗教が政治に関与して国策を動かそうとしたらダメだよね」

という現代人ならば「そんなの当たり前じゃん」
な、話なのだが
西欧でいう「中世」という時代は違った。

ローマカトリック教会という宗教組織が
政治、軍事、学問、経済、裁判等にいたる
あらゆる分野に絶大な影響力、権力をもっていた時代であった。

一国の王様ともいえど、カトリック教会のトップである
教皇の前では単なるパシリでしかない時代である。

この時代、カトリック教会から「破門」されるというのは

「コイツが殺されても、殺したヤツは罪に問われませんよ」
ってことを教会が宣言したことと同一であり
社会的抹殺を意味する。

一国の王様でも命の危険にさらされる時代であった。

ローマカトリック教会、とくにそのトップである教皇の権威は絶大であり
教皇権の権力が絶頂だった時代、ときの教皇インノケンティウス3世は
「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉を残している。

みなさん御存知の通り
夜、月が輝いてみえるのは
月が太陽から光を浴びているからである

「王様を輝かせてやってるのはローマ教皇だぞ」というわけだ。

そして、月というのは常に満月ではなく、満ち欠けを繰り返す。

「王様の生殺与奪を握ってるのはローマ教皇だぞ」という意味でもある。

こういった意味を踏まえて
「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉を見てみると
現代の我々からしたら傲慢、尊大というしかないけども

中世という時代はこれが当たり前であった。
そしてこの時代が約1000年続く。
中世という時代を語る時に「暗黒の」という枕詞が
必ずついてまわるのには、こうした背景があった。

政治、経済、税制、裁判、法律、学問にいたるまで
すべてがローマ教会の言いなりであった。

一般人が少しでもたてつこうもうのならば、一発で火あぶりの刑である。

・あれをやったらいけません、これをやったらいけません
・職業の自由、移転の自由はありません
・教会が「禁書」に指定されたら即、発禁処分です

とにかく、なにからナニまで息苦しく
がんじがらめの世の中であった。

で、ある時ふと気づくのだ

「俺たち1000年近く、キリスト教のおしえを忠実に守ってきたけど
それでも怒り、憎しみ、嫉妬といった人間の持つ悪徳は
けっきょく、全然克服できなかったではないか?」

と。

「なんか、これってやっぱりおかしくね?」
と皆が気づきだしたわけである。

ここで
「だからと言ってキリスト教の信仰をやめるわけじゃないけどさ」

「信仰は維持した上で、もっと個人の自由とか
個人としての人間らしさを認めてもよくね?」

みんな:「そーだ!そーだ!」

で、ここで皆はあることに気づく。

1000年近くもの間、ただひたすら
教会の決めたこと、ルールに
盲目的に従って生きていくことが正義

とされて生きてきた人々にとっては

「あれ、それで『人間らしさ』ってなんだったっけ?」と。
「人間ってそもそもどうあるべきなのよ?」と。

これを割と真剣に考え始めた。

「とりあえず、個人の感情としての喜怒哀楽を素直に認めてもよくね?」

みんな:「そーだ!そーだ!」

これが「再生・復活」という意味での
ルネサンスのスタートであった。

そしてこれは政治、文化、学問
あらゆる分野において根本的な社会変化をうながすこととなる。

それゆえ一言に「ルネサンス」といっても
その定義はきわめて広範囲におよび
イマイチ「これだ」って言い切るのが難しい側面がある。

高校の世界史だとルネサンスを「文芸復興」と訳して教わるけども
これにはちゃんとした理由があって、

先述の通り
「じゃ『人間らしく』ってどういうことよ?」
ってなった時に

その手がかりとして彼らが頼ったのは
世の中の倫理・規範がキリスト教一色になる前
の時代の文化であった。

たとえば紀元前1世紀のローマの詩人ホラティウス
この人はキリストが生まれる前に活躍した人なんだけども
彼の詩の一説に

carpediem mement mori
というのがある。

直訳すると
「今日という日をつかみとれ! 死を忘れるな!」
程度の意味か。

私ならば意訳として
「今日という日を精一杯、楽しめ!
いつかは滅びゆく身であることを胸に刻みつつ」

ぐらいに訳す。

で、1000年以上まえの作品であるにもかかわらず
みんな:「あれ?なんかこれよくね?共感するわぁ」
「人間的、ってこういうことなんじゃね?」

となって
古代ローマ、古代ギリシアの文化を
掘り起こして研究し、再評価する、という動きが
非常に活発化した。

これが「文芸復興」という言葉の定義から見たルネサンスである。

これ一つとってもルネサンスという言葉の意味は
多種多様で掴みどころがないんだけども
そんな中でも数ある研究者たちですら

・ルネサンス時代の第一ランナーは?
・ルネサンスを代表する作家といえば?

となると「ダンテ」一択である。

ダンテのおよぼした文化的、歴史的な影響力は
それほどまでに偉大である。

ヨーロッパの文学史上でいったら5本の指には必ず入るぐらいのレベル。

では、次にダンテの生涯について
ざっくりと見てみよう。
詳しいことはウィキペディアなりにゆずるとして
これは私の視点からみたダンテ像を記す。

日本で生まれ育った平均的な人たちの価値観でいうと
ダンテの人物評としては
「典型的なキモオタ」である(笑)

キモオタ、というのは
「気持ち悪い、オタク」という意味の略称で
オタク、については
もう説明の必要はないかと思う。

現代の日本人の価値観からしたら
まちがいなく「キモオタ」である。

ダンテ自身の人生を振り返ったら
「幸せ」とかには程遠いし
「勝ち組」と「負け組」とに
人生を分けるのであれば

職業上のキャリアとして考えた場合
ダンテの人生は明らかに「負け組」である。

にもかかわらず、ダンテは
今日、ヨーロッパ史上で最も偉大な人の一人として
称賛されている。

なぜなのか?

これは、私の持論なんだけれども
「殺したいヤツがいる」
「自殺したい」

という願望をもっている人は

作家になるか、俳優になるかしかない

と私は常々考えている。

あとは人の道を踏み外して
犯罪者になるか、ぐらいか。

やっぱり人を殺したり、自殺したりするのは
よくないよね、たとえ
どんなにつらいことがあったとしても

というのが、私の価値観なので
「なんとかギリギリふみとどまる」
っていうのが

人が生きていく上で
とても重要な要素となってくる。

「アイツなんか死んでしまえ」と
思ったとしても、そのあと
「あぁ、なんて自分はバカな事考えてたんだ」
と、ふみとどまったり

「生きてるのがしんどい、死にたい」と
思ったとしても、そのあと
「しんどいけど、なんとか明日まで生きていこうと思う」
と、ふみとどまる、

「人間らしい」というのは
こういうことなのではないかと
私は思っている。

人は生きているかぎり幸せになりたいと思う。

それでいいのではないか?と?

人間の幸せには大きく2つにわけられる
・他人を踏み台にして幸せになる人
・自分にできることをやりきって幸せになる人

マウンティング(アンタよりアタシの方が上、という上下関係)
の世界の中で幸せを実感できる人と

やれることをやりきって、それで試合で負けても
「あー、こんなもんやな。次、いこか」
「負けたけど、今まで応援してくれた皆、ありがとな、ありがとう」
という人とでは

長期的に考えると、後者の方が強い。

なぜならば
「自分は自分」という確固たる価値観の軸を持っているからである。

話がそれすぎた
本題に戻る。

ダンテの「神曲」という世界は
どこまでいっても「笑いばなし」であり
「虚構(ウソ、つくりばなし)」の
世界の話である。

ただ、その物語の展開が
かなりブッ飛んでいて
なおかつ
キリスト教の倫理観には、ちゃんと基づいており
読んでいて
「これ、めっちゃ面白れーわ」

っていうのが
今日にいたるまで
ヨーロッパの文学史上で屈指の作品と言われる理由だ。

私なりに
「ダンテの神曲」のフォーマットを利用して
「日本版:神曲」を書いてみるとするならば
こんな話になる。

西洋と東洋とで若干の価値観とか宗教上の表現の違いは
でてくるけども

おおっざっぱに「こんなもんか?」と読んでいただけたら幸いである。

(以下、ダンテの神曲のパクリで話をすすめる)
(以下、完全に筆者の創作、フィクションである)

以下、あくまでフィクションです。

おっす!おらニート!(笑)

仕事はリストラされるし
長年、片思いいてた相手には
やっぱり、こっぴどくフラれて(笑)

もういい歳だし

「もう、いきてても意味ねーよな」
「もう、死ぬしかねーじゃん」

そう、思って
富士の樹海にいって
首釣って自殺しようと思ったのよ。

そしたら
「東京で死ね」という
わけわからん標識があったり

「いや、もうそういうの、いいから」
とか思って
俺、死に場所(首吊り)をさがしてたのね。

眼の前に普通にあちこち
首吊り死体あるし
「あぁ、俺もこれで自由になれる」

って割と平気で
樹海をさまよってた。

そしたらね、樹海のど真ん中だよ?

「オマエ、なにしてんだ?」

って話しかけてくる爺さんがいた。
「いや、もう人生、つかれたんで、死にたいだけっす!」
「死に場所みつけにここきました」

と、俺は正直にこたえた。

すると相手の老人は
「なに、さらしてくれてんのじゃ、コラァー!」
といきなり俺をグーで殴った。

「おまえは、まだ死んではならん。
ある人から言付けをうけてここにきた。
このままでは樹海の中で野垂れ死ぬするだけじゃ。
ワシについてこい。」

ほぼほぼ、おどしではあるが
俺はそれに従った。

爺さんの正体はあとになってから知ることとなる。

爺さんは言った
「ここから先は、いわゆる『あの世』の世界じゃ、
あまたの常人には理解できぬ。

貴殿はまだ存命だが
これからは
貴殿のあずかり知れぬ世界を
御覧いただくことになる。

なーに心配するでない。

貴殿が地獄に堕とされるわけではない。

地獄に堕ちるのも一興
極楽にいくのも一興

貴殿には、それを
おのれのマナコでしっかりと見届けてほしいのじゃ」

こうして俺はオッチャンの言われるがままに
一緒の旅路をしばしの間
すごすこととなった。

やっぱり避けて通れない
地獄の入り口、一丁目一番地

ここでは
清少納言と紫式部が
とっくみあいのケンカをしていた。

紫式部:
「アンタ、ちょっと頭いいからって調子に乗ってんじゃないわよ!」

清少納言:
「あらー、アタクシ、頭よすぎるのよ、ごめんなさいね(笑)」

紫式部:
「だいたい、アンタのこと、前から大っきらいなのよ!
消えてくれる?めざわりなのよ!このヤリマン!」

清少納言:
「あら、あなただって、しょせんは
藤原道長の愛人でしょう?
道長あいてに両股ひらいてマンコ拡げて
道長に援助交際ねだって
それで源氏物語、書いたんでしょう?(笑)
やってること、ヤリマンじゃないの(笑)」

紫式部:
「あ?うるせーんだよ、テメェ、殺すぞ?」

清少納言:
「あらぁ、こわい、こわいぁ。なんとお下品なことですこと(笑)」

紫式部:
「てめぇ、しょせんは派閥闘争に負けた、負け犬じゃねーか(笑)
アタシのおつかえしてるとこ、無事、天皇の御后になりました(笑)
負け犬、ご苦労様でした(笑)」

清少納言:
「てめぇだけは許せねえ!死ね!殺す!」

こうして、主人公は
1000年前の醜聞をあらためて目にする。

この世とあの世との境の中で
「わたし」はあらためて
「ああああ、」と思う者を目にする。

得体の知れない相手に先導されながら
「私」は地獄というものを色々みる過程で
さまざまな歴史上の人物とであう。

地獄の手前で

織田信長は
明智光秀に
馬乗りになって

「テメーのせいで、俺は」と言いつつ
数時間かけて
明智光秀を殴り続け
殴り殺す

それが済んだあと
織田信長は
四つん這い待機で
森蘭丸にケツを掘られる。

本能寺で

四つん這いで森蘭丸にケツ掘られ
信長がアヘ顔で焼け死んで行くのを見ながら
「私」は彼と一緒に

これも「歴史の上での業というものだ」ということを悟る。

信長は永遠に
四つん這いで
森蘭丸にケツ掘られて
アヘ顔で喜び

それを焼き討ちされた
比叡山の人々があざ笑う

これが、人間の業(ごう)というものなのか、

と、「私」は悟る。

これ以降の間を(略)

地獄と天国との間をさまよっていた私は
「彼」の導きで

なんとか次へと向かうこととなる。

そこにはなんと
桜田門外の変で暗殺された

井伊直弼がいた。

しかも、いわゆる「あの世」では
井伊直弼のとなりに
伊藤博文と原敬と高橋是清がいて

「貴殿は志、なかばで倒れましたけども
私らはあなたを目指して
国益のために生きようと思いました。
ありがとうございます」
と言って

お互いに泣きながら慰めあっている。

導かれるまま
そして「私」は次へと進んでいった。

ダンテの「神曲」を
現代風に表現で、やってみると
こんな感じになる。

かなり問題になると思う。

まぁ、読者の皆さんからの
要望があれば、続きは書くけども
今回は、この程度で。





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