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地獄へ落ちてから考える日本人 重力説は責任逃れの道具 人望の無いパウロは性格破綻者 分割統治 2000年ごと

1、手遅れ思考
自分が被害に落ちてから考える日本人は、自分が地獄に落ちてから考えるから、完全に手遅れになる。

自分が地獄に落ちてから考えても遅い。
自分が地獄に落ちそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。
他人が地獄に落ちた時にでも、気付く・調べる・考える・動く。
他人が地獄に落ちそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。

自分が被害に遭ってから考えるのは遅い。
自分が被害に遭いそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。
他人が被害に遭った時にでも、気付く、調べる・考える・動く。
他人が被害に遭いそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。

妙な液体の注射の接種でも同じ。
自分が接種してから気付いても遅い。
自分が接種しそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。
他人が接種してからでも、気付く・調べる・考える・動く。
他人が接種しそうな時に、気付く・調べる・考える・動く。

2、政府による大衆コントロールの分断工作
妙な液体の薬害で高い勉強代になったけど、今からでも神に立ち帰れば、地獄に落ちなくても済む。
疫病は背教者に対する神の天罰だから、その天罰を妙な液体で蹴散らそうと考えた時点で神を冒涜しているから、接種者は背教者になる。
しかし、無知なのだから反省して聖書を読んで立ち帰れば許される。
これに懲りたら、自分が被害に遭ってから考える癖を辞めて、自分が被害に遭いそうな時や、他人が被害に遭った時や、他人が被害に遭いそうな時に考えよう。
未だに、自分が被害に遭ったモノだけで、自分の救済を叫んでいる人が存在するからな。
他のモノで被害に遭った人たちと団結すれば、もっと政府を動かせるのに、何かコントロールされている感じだな。
別々の物体で被害を受けた人たちと団結させないようにコントロールされている感じだな。
被害に遭う原因は「自分が被害に遭った時だけ自分の救済を考える」という思考法にある。
こういう自分の被害だけ救済を考えているから、政府は分断工作をすればいいと考えて、軽々しく被害者が出るような政策をする。
分割統治 - Wikipedia

分割統治(ぶんかつとうち、英語:divide and rule、ラテン語:divide et impera)とは、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法であり、分断統治分断工作とも呼ばれる。

権力者と民衆は、敵対関係にあるから、殺そうとするのが当たり前と考えた方が良い。

3、俺の回避法
ちなみに俺は、動物愛護だったから、動物虐待の新薬は論外だから、自分と他人が死ねばいいと思っていたから、回避できた。
他人が被害に遭ってから考えるタイプだから回避できた。
動物が被害に遭ってから考えるタイプだから回避できた。
何らかの信念が有れば回避できたと言ったのは、こういう理由だ。
天国は、動物の全てが仲良く暮らすというから、良い感じだと思った。
俺は動物愛護だったから、動物同士が仲良く暮らすのを読んで、天国に入る方法を考えるキッカケになった。
肉食獣が捕食するのを見るだけで、結構ストレスになっていたから。
俺は、自主的で自業自得の自滅を見殺しにする趣味は有っても、悪人の餌食になる人を見殺しにする趣味は無い。
俺が動物愛護の時は、動物実験の動物虐殺で新薬を注射する連中に対して、むかついていたから、ほったらかしにした。
自分が被害に遭ってから考える人は、他人が悪人の餌食になっても見殺しにするらしい。
自滅を見殺しにするのと、悪人の餌食を見殺しにするのは、全く違い。

4、サタンの罠の思考法
サタンが人々を地獄へ道連れにするために、自分が被害に遭ってから考えるように仕向けるのだろう。
そのために、自分が被害に遭ってから考えても間に合う成功体験ばかりを経験させて、思考力を壊すのがサタンの罠である。
「自分が被害に遭ってから考えても間に合う」という成功体験を積み重ねると、地獄へ落ちる前に考えるという思考方法が身に付かない。
地獄へ道連れにしてしまえばコッチのモノというのがサタンの考えである。
今回の妙な液体の件で気が付いて良かった。

5、推進派
妙な液体の推進派は、死んだ後で、最後の審判で天の主を相手に自己弁護を頑張ってね。
一文字でも言い逃れの言葉尻を捉えようという考え方が、神に通用するかどうかは判らんけど。
アリバイ作りが神に通用するかどうか判らんけど。
妙な液体の種類を特定していないという屁理屈が神に通用するか判らんけど。
何を言っているのか判らないと、とぼけるなら、死んだ後で神の前でとぼけるのを頑張りなさい。
天の主は、全ての人の心の中まで見破れるから。
一応、警告したから。
エゼキエル書33章で、悪人に警告しなさいと命令されたから警告した。
反省して自分の罪を認めて世間に謝罪するなら、少しは罪が軽くなるかもしれない。

6、重力を気にする人々
重力を解明する必要性が有るのか。
自分が天国へ入るか地獄へ落ちるかよりも重要な事なのか。
仮説を言うなら、この世を作られる前から重力や引力は存在していて、神が引力を下にするように世界を上下の水に分けたと説明するけど。
それを知って何か意味があるのか。
神を否定したくて重力の屁理屈をこねているだけではないか。
自分が安心して背教行為をしたくて引力をでっち上げているだけではないのか。
大事な事だから何回でも言うけど、自分が天国へ入るか地獄へ落ちるかよりも重要な事なのか、考えて見ろ。
重要だというなら、死ぬ(地獄へ落ちる)まで頑張れ。
聖書的に死ぬとは地獄へ落ちるという意味。
ニュートンそのものがサタンの手先だからな。
科学者そのものが、サタンの手先だ。
出世したくて悪魔に魂を売った人間が科学者として名声を得られる。
サタンは人々を地獄へ道連れにするのが目的だ。
神が存在しないと考えられる方法を常に捏造しようとする。
神を否定するために重力を利用しているだけで、重力が存在するかどうかに全く興味のない人たちだな。
本当に科学的な人だと、重力が発生するには、どれぐらいの磁力が必要だとか、どれぐらいの質量が必要だとか、どれぐらいの惑星の構成物質が必要だとか、そういうのを徹底的に研究するけどね。
マントルが重力を発生させるなら、何で流動的なのに地表での重力に変動が発生しないのか、というのを考える。
そのわずかな変動を測定する機械を何で作らないのかとか、色々と考えて突き詰めると、判る。
ニュートリノはでっち上げだけど、ニュートリノを測定する大型の機械を作るくせに。
そして、突き詰めた結果、地球や惑星など存在しないと判る。
中途半端な人ほど、何も考えずに思考停止で重力説を悪用する。
世の中の99%の人は中途半端だから、中途半端な人間が騙されるように仕組みを作るのがサタン側である。

新約聖書:ヨハネの黙示録:3章:15節
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たい熱いかであってほしい。

突き詰めて考える科学者の人に対しては、脅迫したり、ハニトラで弱みを握ったり、出世などで釣って言論統制する。

7、元から結婚したくないだけの男
男の8割9割は、元から結婚したくないだけ。

「年代別にみますと「必ずしも結婚する必要はない」と答えた人の割合は30代が最も高く88%に上った一方で、最も低いのは70歳以上で43%でした。

「必ずしも結婚する必要ない」7割近くに|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB

少子化の原因を左翼政策に擦り付けている人は、自分の責任と思いたくないだけ。
それを責任転嫁するために、ごちゃごちゃ屁理屈をこねるから、ドンドンおかしな方向へ行ってしまう。
恋愛ドラマとか、結婚圧力とか、同調圧力で、みんなが結婚していただけだ。
他人に濡れ衣を被せるのが癖になっている人たちだな。
俺は左翼は嫌いでも、何でもかんでも少子化の責任を左翼に押し付けない。
知り合いの男を見たら、結婚願望の有る無しは判るだろう。
とりあえずで、根拠もなく他人のせいにする人たち。
地獄へ落ちてから自分だけ助かる方法を考える日本人。
その思考方法で他人を地獄へ道連れにしたことも考えずに、自分だけが助かる方法を考える日本人。

8、責任逃れの道具としての重力仮説
重力など地球が存在しないことを認めると、自分の先祖の4000年間の背教行為を認めないといけなくなる。
そして自分の悪行も認めないといけなくなる。
責任から逃げるための理屈として、重力仮説を利用しているだけだから、中途半端になる。
大衆自身の4000年の自己欺瞞という責任逃れ。
その責任逃れが癖になっているから、とにかく責任逃れが出来る理屈に飛びつく。
責任逃れの道具だから、突き詰めて調べようとしない。
責任逃れが出来たと自己満足できればいいだけだから、調べない。

新約聖書:ヨハネの黙示録:3章:15節
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

神の「わたしはあなたのわざを知っている」とは、自己満足で中途半端で自己満足な責任逃れの生き方の事を知っている、と言っている。
天の主は、全知全能だから人の心の中を全て見破る。
神は、なぜ、こんな中途半端な人間たちを見逃すのか。
それは、こんな人間たちの子孫から、神に立ち帰る人が出てくるからだ。
実際、俺の親も、片方は乱交カルトにハマるし、もう片方は天の主だけをピンポイントで冒涜して他の偶像には媚びる。
そんな両親からでも、天の主に立ち帰るキッカケを掴む人間は出てくるから、天の主は背教者たちを見逃してやっているのだ。

9、人望の無いパウロ
目が見えなくなった時にファリサイ派の誰も世話をしないのだから、人望が無いのだろう。
普通、自主的に集団リンチの殺人をやっていたら、それなりに仲間意識が芽生えるはずなんだけど、誰もパウロの盲目の世話をしなかった。
実家も誰も世話をしに来なかった。
実家は、パウロが集団リンチの殺人をやっていたから、勘当したから、パウロの世話をしない理由は判る。
それでも家族が盲目になったら助けそうなものだけど、殺人しているから切り捨てられているのか。
だけど、ファリサイ派が誰も世話をしないのは、よほどパウロが嫌われていたのか。
どれだけ嫌われるような言動をしていたら、自主的な集団リンチの殺人で芽生える仲間意識が吹き飛ぶのか。
犯罪組織では、数年ぐらい犯罪を仲間とやってたら、仲間意識は芽生えるものなんだけどな。
ヤンキーとか極道とかマフィアも、仲間意識は芽生える。
天啓を受けるのが30歳ぐらいだから、数年から十数年は一緒に集団リンチで殺人をしていたのだろう。
それだけの仲間意識が芽生える時間が有ったのに、誰一人としてパウロの世話をしなかった。
どれだけ嫌われるような言動をしたら、そんなことになるのか。
やはり、パウロは殺人集団の仲間からも嫌われるレベルで性格破綻者なのだろう。
ファリサイ派は、学生運動のノリで宗教活動をしているのか。
もしくは、趣味のサークルの感覚で集団リンチの殺人をやっているのか。
仲間内で社会福祉とかは、考えていないのか。
病気になったら助けるとか。
そんな性格破綻の集団ならば、相当に性格の悪い人間が多くて、性格の悪い人間に慣れているはずなのに、慣れていてもパウロが嫌いなぐらい、パウロは性格破綻者なのか。
そんなファリサイ派に入っているパウロも、相当に節穴で人を見る目が無い。
人を見る目が無いから、弟子をまともに育てられないのだろう。
20年も天啓後に宗教活動をやっていながら、誰も育たない。
聴衆は、全く成長しない。
ただ、聴衆はローマ帝国のサクラの仕込みという確率もある。
パウロをチヤホヤして、のぼせ上らせて、思考誘導するのは、洗脳の典型的な手法だからだ。
ローマ帝国に都合が良い事を言えば拍手喝采して、都合が悪い事を言えば良い反応をしないで怪訝な雰囲気にする。
芸能の世界でも、テレビ局がチヤホヤして、タレントを思考誘導したり、ご機嫌を取ったりする。
芸能の世界でも、簡単に良い反応をする客にばかり対応していたら、成長しないという話が有る。

10、ファリサイ派
ファリサイ派を現代の日本で例えると、どんな集団になるのだろう。
仲間がケガや病気になっても見殺しにする。
神道系の新興カルトに傾倒して、どこかの大社の神主を集団リンチで殺す。
パウロは、30歳の手前で入るなら、その年齢でこんな集団に入るのだから、どういう社会経験と神経してたら入ろうと思えるのか。
今の日本の平均寿命や社会活動で換算すると、30手前どころか、40手前50手前で神道系の新興カルトに入って、どこかの大社の神主を集団リンチで殺す活動をするために入るようなもの。
10代でもヤバい。十数年、こんな集団に入り続けている事になる。
しかも、使徒ステファノを集団リンチで殺した後に、後悔するわけでもなく、殺人を続けるような宗教団体だ。

同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

使徒言行録 9章7節8節 新共同訳

「同行していた人たち」と書いてあるから、ファリサイ派の仲間たちなのだろう。
その仲間たちは、天の主の声を聞いているのに、改心しようという動きすらなく、集団は自浄作用が全く働かない。
「人々」と書いてあるから、同行者の仲間ではない人々がパウロの手を引いて行った。
ファリサイ派の仲間たちは、天の主の声を聞いて、恐ろしくなって、パウロに近づきたくなくて見捨てて逃げたのか。
見捨てた割には、他のファリサイ派に反省をうながさなかったのだからな。
うながしたけど、全く信用しなかったのか。
神の声を聞いたという仲間の話を信用しないのか。
仲間の話を信用しても、神に逆らい続けたのか。
色々と考えても、ファリサイ派は、とんでもない集団だな。
とんでもない集団に何年も入っているパウロもパウロだけど。

11、色々
色々と言ったけど、パウロの手紙の内容は、九割は正しいから、普通に読めば良いと思う。
集団殺人犯だろうと良い事を言えば褒める。悪い事を言えば叱る。
パウロだろうと、良い事を言えば褒める。悪い事を言えば叱る。
前科者だろうと、良い事を言えば褒める。悪い事を言えば叱る。
善人だろうと、良い事を言えば褒める。悪い事を言えば叱る。
等身大で判断したらいいだけ。
崇めると偶像崇拝になってしまう。
聖人扱いして思考停止になるのは偶像崇拝である。

12、原典を読まないで議論する人たち
他人の解釈だけで議論をする人たちは、何を考えているのだろうか。
聖書に限らず、そういう他人の解釈だけで議論をする人が存在するけど、何を考えているのだろうか。
そんなやり方は間違う危険性が有るのに、聖書で間違ったら地獄へ落ちる危険性が高くなるのに。
もしかして、原典を読まない癖もサタンの罠なのだろうか。
原典を読まなくても議論が成立するような成功体験で脳を麻痺させれば、聖書でも同じような事をする人々が増える。
人間は変なもので、真実の探求より、議論が成立したら喜ぶような、変な癖がある。
議論を成立させるのが目的になって、真実の探求をないがしろにする人間も存在する。
「議論を成立させたぞ」と自己満足に浸って、実質的な成果を全く考えない人間が存在する。
パウロの弟子たちが、手紙の20年の前後で全く成長しないのは、こういう議論を成立させたことに満足するような傾向を持っていたのかもしれない。
パウロの弟子たちが、ローマ帝国のサクラである確率もある。
もしくは、パウロが特権階級だから、付き合いでやってるだけか。

13、真の黒幕は大衆
闇の勢力を倒しても、真の黒幕は大衆だから、また勢力が出てくる。
大衆自身の4000年間の自己欺瞞が諸悪の根源である。

歴史の省略版
4000年前に神の手元から逃げた。
2000年前にイエス・キリストに100年間は立ち返った。
その後、厳しい律法から逃げて、甘い宗教の神道で聖書を捨てる。
その後、厳しさが恋しくなって、上辺だけ厳しい仏教で苦行ゴッコ。

これが日本の歴史である。
世界中のどこの民族も似たようなモノ。
そのため、闇の勢力である偶像崇拝の「甘い宗教」と「上辺だけ厳しい宗教」が、どれだけ潰しても沸いて出てくるのは、大衆自身の自己欺瞞が原因なのである。
大勢の人々が、先祖と、自分の罪を認めれば、闇の勢力は消滅する。

14、異邦人のために
旧約聖書の時代は、イスラエル人は、異邦人のために敬虔な者と成る義務が有った。
旧約の時代で天国に入れるのは「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」だけに定められていた。
だから、イスラエル人が敬虔でなくなると、異邦人は絶対に天国へ入れなくなる。
そのイスラエル人は、そんなものも構わず、自分の神に背いて、異邦人が天国へ入る唯一の道である懸け橋を潰して踏みにじる。
自分が異邦人の立場になって考えてみたら判る。
自分が地獄へ落ちたくないのに、唯一の懸け橋が勝手に暴走して崩れ落ちて、地獄へ落ちて千年か一万年は全身と魂を火に焼かれないといけなくなる。
エノク書では一万年と書いてある。講談文庫・旧約聖書外典220ページ・五行目。
旧約では敬虔なイスラエル人が、異邦人の弁護人を務める義務が有った。
イスラエル人は、その義務を果たさない。
だから、新約でイエス・キリストが、全ての敬虔な信者の弁護人になった。

15、2000年ごと
天地創造からアブラムの召命の2000年間は、誰でも生前携挙されるチャンスが有ったけど、エノク一人だけだった。
ノアとか死後に天国へ入れたかも。
アブラムの召命から、イエス・キリストの復活までの2000年間の旧約では、「敬虔なイスラエル人」と「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」が天国へ入るチャンスが有った。
イエス・キリストの復活以降の新約では、敬虔な信者が天国へ入るチャンスがある。そろそろ2000年は経ちそう。
天地創造からアブラムの召命まで2031年。
アブラムの召命からイエス・キリストの復活まで2124年。
イエス・キリストの復活から現在まで1991年は経っている。

16、愛の解釈
あくまでも、俺の主観と解釈である。
聖書における愛の定義とは何か。
愛とは、天国へ入るという事。
愛するとは、天国へ入国させるという事。
愛したいとは、天国へ入国させたいという意味。
信者同士で愛し合うとは、互いに天国へ入る方法を教え合うという意味。
自分のように愛しなさいとは、自分が天国へ入る勉強をするように、他人が天国へ入れるように教えなさい、という意味。
天国へ入るには、聖書を読んで、神が自分の国である天国へ入国させたいと思う人間は、どのような人間かを考える必要がある。

自己犠牲の愛とかは、どこかの集団の解釈である。
何か、世間に対して当たり障りの無い内容に曲解している感じがする。
背教者を罰したり排除するのも、天国に入るために必要だから、どこが自己犠牲なのだか。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙2 1章10節 新共同訳

家に入れてはいけないから、排除しろ、という意味。
挨拶をしてもいけないから、話をするな、という意味。
制度上の通告だけする。

新約聖書:ペテロの第一の手紙:2章:13節
あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。

「人の立てた制度」に従えと神は言っている。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

ヨハネの手紙1 2章15節 新共同訳

「世」とは世間とか社会とか国家とか世論とか、そういうもの。
だから、世間に迎合して、世間に対して当たり障りの無い解釈をする教団は、神に背いている。

17、読んでも
俺の解釈を読んでも判るのは、俺の事だけ。
神学を読んでも判るのは、神学だけ。
他人の解釈を読んでも判るのは、他人の事だけ。
神を知りたいなら、聖書を読む必要がある。
聖書を自分で読んで自分で解釈しよう


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