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自称弱者は感受性が弱いタイプの弱者 謝罪

他人の行動から事実を分析できない感受性の弱い人間が存在する。

若者の浮浪者は、もしかしたら感受性が弱い弱者なのかもしれない。
そうだとしても、助ける対象にはならない。
感受性が弱くても、キチンと育てば、道徳的になれる。
聖書でも弱者を救えというのは、旧約では書かれていても、新約では書かれなくなった。
弱者を偽装する人間が新約以降に現れるから、弱者を救えと言わなくなったのだろう。
実際、今の日本には、弱者を偽装して金を集る人間が多いだろう。
新約以降は、助ける対象は、貧困者・未亡人・孤児である。
貧困者を助ければ、弱者も十分に助けられるからフォローできる。

感受性が弱いと、本当の弱者が存在していても、認識できなくなる。
本当の弱者とは、外出で有害物質に暴露したら血を吐くとか、数十分の運動で高熱で苦しむとか、そういう健康状態の人の事を指す。
毎日、数時間も外でたむろできるのは、体力に恵まれている。

感受性が弱いと本当の弱者を見ても、同情しないし、可哀そうとも思わない。
小中学校の時に、一度ぐらいは、そういう本当の弱者を学ぶ授業はあるはずなのに、全く認識できなかったのだろう。
学習できないなら、人生はどうにもならないだろう。だから、路上で集まるしかできる事がなくなる。

感受性が弱いと、普通の人間関係を築くのは難しい。
相手の立場や気持ちを理解できないから、人間関係がおかしくなる。
まともな人間関係を築けないから、最終的に広場で若者同士で集まるようになるのだろう。
親がまともではないから、感受性や人間関係の築き方を学べなかったのだろうか。
親が悪いとするなら、やはり聖書にあるように「家族を捨てろ」という諭しに従うべきだ。
親に未練があるから、親が悪いと思うのである。俺は、毒親の俺に対する加害は赦したけど、非信者に挨拶してはならないと聖書にあるから、非信者の毒親を受け入れない。
自分を傷つける若者は、親が悪いと思っていて、親に嫌がらせをしたいから、親に未練がある。

感受性が弱いと、他人の行動から真実を把握する能力も低くなる。
相手の行動よりも、相手の言葉を妄信するようになる。
相手がパワハラをしているのに、相手がパワハラではないと言うと、パワハラではないと妄信してしまう。
感受性が弱いと次のようになる。
現実の出来事をそのまま解釈できなくなってしまう。
現実の出来事よりも、言葉を優先してしまう。
現実の出来事よりも、詐欺師の騙し文句を妄信してしまう。
誰かが良し悪しを評価してくれないと信用できなくなる。
自分で物事を評価する自信がなくなる。

神の信者なら、神の目で出来事の良し悪しを照らし合わせて評価するから、迷わない。

聖書解釈でも、神の行動を解釈できなくて、言葉で書かれている事を優先してしまう人間が存在する。
ワザと捻じ曲げるためにやっているのか、単純に読解力がないから解読できないのか。
神は全員に等しく恵みの雨を降らせているけど、万民を愛しなさいとは言っていない。こういう場合は神が行動で全員を平等に恩恵を施しているのだから、全員に等しく対応するのが人間のあるべき姿になる。
正常な人間なら、言葉だけで判断しないで、行動から物事を判断する。
悪人には厳しくして、善人には優しくするのが、平等な対応である。悪人に厳しくして正道に戻すのが本当の優しさである。

前にも書いたと思うけど、こういう感受性の弱い人は、問題文を自分で作れないのである。
現実の出来事から問題文を自分で抽出できない。
現実の出来事から問題点を自分で抽出できない。
何が問題なのか判らない。
問題文を用意してくれないと問題を解けない。応用力もない。

若者の浮浪者も、自分が落ちぶれたのは何が問題なのか判らないし、何が原因なのか判らない。そういう思考状況に陥っているから、訳の判らない行動をする。
だから、ある意味ではこの部分だけは弱者だから、ここに気付いてやれなかったのは俺の落ち度だから謝罪する。申し訳ありませんでした。

本当の弱者の存在を知らないで、自分の事を弱者男性なんて言っている人間は、悪ふざけだとしても感受性が欠落しているから、そんな性根ではまともに人間関係を築けない。
そういう感受性の面で本当の弱者だから、弱者という部分は本当の事だ。
そこまで気付かない俺の落ち度だから、この部分に関しては謝罪しておく。申し訳ありませんでした。

中途半端に才能があると、反省するチャンスを得られないから、人生が台無しになるため、才能はない方が良かったりする。
俺も虚弱体質で知能も平均より低いおかげで、神に立ち帰れたし、神のおかげで自主的に反省する事も可能になった。

広場でたむろしている若者たちは、オーバードーズで薬を大量に飲めるというのは、凄まじく体力がある。
その割に感受性は弱いと生きづらいだろう。
虚弱体質だと、少し薬を飲むだけで吐くから、大量なんて不可能だ。
あるスポーツ選手は、普通の人の何倍の麻薬を使っても死なないというから、体力に恵まれると大量の薬を服用できる。
ある程度の年齢までは強い体力で自信満々だったのに、急に感受性が必要な年齢になると落ちぶれるから、落差が激し過ぎて激怒して暴走するのだろう。
ある年齢まではチヤホヤされていたのに、次の年齢になると急に「お前、邪魔だ、有害だ、役に立たない」と言われてしまう。
体力があるけど、体力で活躍できるほどの体力ではない。
体力があるけど、運動神経がないからスポーツなどで活躍できない。
ただ体力があるだけだから、どうしようもない。
自信やアイデンティティーが崩壊してしまう。
最初から成功体験の無い人なら何ともない。地面から地面に移動するだけだからだ。
しかし、チヤホヤされた後で落ちぶれるのは、高いところから叩き落されるから、ダメージが大きい。
本当の弱者を叩く偽装弱者・自称弱者は、高いところから叩き落されたのだろう。
極端から極端へ揺さぶられると、人間は混乱して思考停止に陥って、人格が異常になる。

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