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免罪符は過払でサタンの手先のカトリックの威力偵察 免罪符を話す者は裏切り者 実質未亡人

1、罪は肩代わりされた
イエス・キリストが人類の罪を肩代わりしてくれた。
だから、罪は無くなった。

2、偽装キリスト教団の免罪符
偽装キリスト教団のカトリックは、サタンの手先である。
聖書を読んでいたら、新約では、罪は肩代わりされたから、「罪を免れる符」の免罪符は、意味がないのが判るはずだ。
判るのに、免罪符を売るのは、人々を侮辱しているのだろう。
今でも、免罪符を全く判っていない人間が多い。
罪がないのに、「罪を免れる符」など何の意味もないに決まっている。
罪を犯していない人に対して、犯罪歴を消してあげるよ、なんて言っても意味がないのと同じだ。
犯罪歴のない人に「犯罪歴を消してあげるから金を払え」と言っているようなものだ。
そして、中世ヨーロッパで、騙されて金を払う人が多い。
こういうのを過払いというのだろう。
もっと細かく言うと、犯罪歴のない人に対して、偽装キリスト教団が人々に対して「お前らは犯罪歴がある」と洗脳して、犯罪歴を消して欲しいと人々が願って、そこで「犯罪歴を消してやるから金を払え」と言うようなものだ。
ブラックリストに載っていないのに、ブラックリストから消してやるから金を払え、と言って金を騙し取る詐欺のようなものだ。

3、罪がないのに免罪符を売る
なぜ、罪がないのに免罪符を売るのか。
罪がないのに、罪を免れる符を売るのか。
単に金儲けをしたいのか。
それとも、罪を肩代わりされたのを信じているか信じていないか、人々の信仰の度合いを調べるために、サタン側が仕掛けたデータ収集か。
普通に、聖書を読めば、すでに罪は肩代わりされて、罪は許されたのは判るはずである。
つまり、人々が聖書をどれほど読んでいるかどうかを調べるための威力偵察みたいなものだ。
威力偵察とは、軍事行動で、実際に敵陣を攻撃してみて、反撃能力が有る無し、強さを調べる情報収集である。

4、情報を取られる
今でも免罪符を判っていないで話す人は、聖書を読んでいるか読んでないかをサタン側にデータとして与えている。
裏切り者は、息をするように裏切る。
裏切り者は、裏切った事を自覚できない。
ユダですら、裏切った事を自覚した。
まあ、エヴァの時点で裏切っているけど。
むざむざと敵にデータをくれてやるのだから、利敵行為の裏切り者だ。
免罪符を買って、裏切る利敵行為の中世ヨーロッパ人と、知的レベルが同じである。
聖書を一度も読んでないなら黙ってろと言いたい。
黙ってたらデータを敵に盗まれる事もない。
少なくとも、聖書を一度も読んでいないのに、聖書関係に口出しをするのは、ダメだな。
せめて、聖書を一度でも全て読んだら、口出しがようやくできる資格はあるだろう。

5、五つの献げ物
旧約の時代では、「焼き尽くす献げ物」「穀物の献げ物」「贖罪の献げ物」「和解の献げ物」「なだめの献げ物」の五つが必要だった。
新約の時代になると、イエス・キリストが十字架に掛かって罪の肩代わりをしてくれたから、「贖罪の献げ物」をしなくて良くなった。
贖罪とは、罪を贖ったという意味であり、贖いとは肩代わりである。
だから、人間は、贖罪をしなくて良くなり、献げ物をしなくてもよくなり、後は人間が自力で和解となだめをするだけである。
和解とは、前に書いた未亡人が和解権を持つところにある。

6、和解
ダビデとナバルの争いで、ナバルが神に打ち殺されて、ナバルの妻であるアビガイルはダビデと結婚して和解した。
ナバルとアビガイルの親族が誰も出てこないから、未亡人が和解するかどうかを決めるのである。
未亡人が和解すると決めれば、親族は復讐したくても復讐してはならない。
未亡人が和解しないと決めれば、親族は復讐したくなくても復讐しなければならない。

人間は、エヴァが盗み食いをしたことで、神を未亡人にしてしまった。
だから、和解権を持つのは未亡人だから、人間と和解するかどうかを決めるのも神である。

7、エヴァの優先順位
エヴァは、盗み食いしたら、神を未亡人にしてしまうと思わなかったのだろうか。
そういえば、エヴァは、自分が死ぬかどうかを気にしているけど、神を未亡人にしてしまう事を少しも考えていなかった。
こういうエヴァの自分を優先して、神を二の次三の次にする思考回路が裏切りなのだろう。
死ななければ、神を裏切るのか。
知恵の実を食べても死なないとしても、神を裏切ったことに対する死はあるのだろう。
もしかしたら、知恵の実は食べても死なないけど、だけど、食べてはいけないと神に言われたのに食べたから、神を裏切ったから死ぬ事になった、とも解釈できる。
楽園は神が所有しているのだから、所有者を裏切れば死ぬ事になるのは、当たり前だ。

8、実質未亡人
エヴァとアダムは、楽園を追放されただけで、別に死んでないから、神を未亡人にしたというのは変な言い方だけど、正確な言い方である。
むしろ、本当に死んだ方が神は孤独にならなかった。
なぜなら、敬虔な信者が死んだら、死後は天使のような存在になって、神と一緒に暮らすから、神を孤独な未亡人にする訳ではない。
だけど、神を裏切る盗み食いをしたら、生命活動的には死んでないけど、それは実質的に神を孤独な未亡人にしている。
相手を裏切れば、相手を孤独にするからだ。
だから、聖書では、自分の命を捨てて神に従う者が、本当の信者であり弟子であると書かれている。

新約聖書:ルカによる福音書:14章:26節
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
新約聖書:ヨハネによる福音書:10章:17節
父は、わたしが自分捨てるから、わたしを愛して下さるのである。捨てるのは、それを再び得るためである。

9、人類の罪を肩代わりした理由
そもそも、どうして罪を肩代わりしたのかというと、献げ物の環境負荷が大きすぎるからだ。
旧約なら、イスラエル人数百万人が献げ物で家畜を焼いたり生血を流せばいいだけだ。
そして、イスラエル人以外は、「敬虔なイスラエル人を助ける異邦人」としてイスラエル人を助ければ天国へ入れた。
しかし、新約になると、全員が改心すると、世界人口の数億人数十億人が一斉に献げ物で家畜を焼いたり生血を流すようになる。
とてもではないけど、環境負荷がすさまじすぎる。
だから、神は数十億人が立ち帰れるように、環境負荷の大きい献げ物をなくしたのである。
神は、全員を救いたいと思っているから、献げ物をそのまま続けさせると、環境負荷が大きすぎて、全員が救われなくなるから、罪を肩代わりして献げ物を取り消しにした。
人類全体の共通の罪を肩代わりしただけで、一人一人の罪は肩代わりしていないから、自分の十字架(罪)を背負いなさいと聖書に書いてある。
「自分の十字架」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
そして、和解となだめは、一人一人が、聖書を読み、聖書を解釈して、祈って、神を信じて、律法を守る生活をする事で達成できる。

10、偽装キリスト教団の解釈
偽装キリスト教団の解釈など信用に値しない。
偽装キリスト教団は、信者を獲得して、金儲けと権力を手に入れるのが目的で教義を捻じ曲げている。

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