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パウロ組み立て力ない パウロと皇帝の八百長 両建て擁護 携挙廃止 汚い清潔社会

1、パウロ 
パウロは結婚をしないように勧めるけど、俺の聖書解釈では全く違う。
俺の解釈としては、子供を育てて、制度に従って未成年は養って、成人したら家族を捨てるモノだと思う。

ペトロの手紙一 2:13 (新共同訳)
主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、

マタイによる福音書 19:29 (新共同訳)
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
マルコによる福音書 10:29 30 (新共同訳)
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
ルカによる福音書 14:26 (新共同訳)
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。

あと、「地に満ちよ」は自分の子供の必要はない。
パウロはイチイチ夫婦間の性交に関して、不純みたいな書き方をするから、自分自身で性交して、自分の子供である事が前提なのだろう。
聖書は孤児を助けろと書いてあるから、孤児を養子にしたら不純ではなくなる。こういうのを組み立てて考える事だ。
聖書で家族を捨てろと書いてあるから、自分のモノにならないモノを最初から作りたくないとか、そんな考えではないだろうか。

パウロは、2つ以上の概念を組み合わせる能力が欠落しているのか。
新しいアイディアは、既存の知識を組み合わせて作る。

パウロは、相手の言動に対して1つのルールで咎める事はできる。

パウロ教の偽装キリスト教団のカトリックは長ったらしく話をして、ミスリードして地獄へ道連れにする。
農民も農作業が嫌だから、坐って聞くだけなら長い方がいい。
クドクド長ったらしく無意味なだけなら良いけど、実際は背教や偶像崇拝を物体の十字架やステンドグラスでやるから、有害である。
そもそも、教会へ集める意味はない。
信者の体が教会だとパウロ自身も言っている。
指導者は、自分から農地へ行って一人一人に神の教えを説明しないのか。

前に書いたけど、パウロは聖書引用でも省いたりして意味が全く変わる事をする。次のような変な引用をする。
まず引用元のダビデの詩篇から。

いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

詩篇 32章1節2節 新共同訳

次に、このダビデの詩篇を引用したパウロの説明。

同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、
幸いである。
主から罪があると見なされない人は、
幸いである。」

ローマへの手紙 4章6節から8節 新共同訳

ダビデの詩篇32章では「心に欺きのない人」が書いてあるのに、信者パウロは書いていない。
心に欺きのない人とは、発達障害や精神障害を指していて、自分を騙せない人の事である。
感受性がなくて、神に気付く能力が生まれ付きで欠落しているから、神に背いても罪があるとは見なされない。
健常者は、偶像崇拝をする知能があるから、天の主を崇拝する知能もあると見なされるため、健常者が偶像崇拝をすると罪があると見なされる。
健常者は、一度でも神社仏閣やクリスマスなどの悪魔崇拝をしたなら、天の主を崇拝する知能と感受性がある証拠になる。
しかし、発達障碍者が偶像崇拝をしても、知能や感受性がないから仕方がないと見なされて、罪にはならない。
しかし、パウロは割礼の有る無しをローマ4章で書いていて、心に欺きの無い人について何も書かないから、訳の判らない事になる。何でそんな引用の仕方をしたのか、サッパリ判らない。
こういう間違いを指摘して注意してくれる友達が居ないのだろうか。

金持ちの息子が苦行をしていたら、厭味ったらしいから止めろと、まともな友達なら注意する。
いつでも金持ちの実家へ帰れるのだから、苦行をしていても、貧乏人から見れば、ムカついて仕方がない。
特権階級の自分が布教活動をしてはいけないと自覚できない。
人間は、自分と同じ境遇ではない他人の言う事を聞かない。
パウロは、何をもって人が話を聞くのか判らないのだろう。
親が市民権の特権階級だから、弱者は権力者を怖がって従った振りをする。しかし、パウロは弱者が上辺だけ従っているのが判らなくて、自分が説得できたと思っている。
対等な相手や、上の相手をしないと、こうなる。
こんな性格でも自分より上の偉人の本でも読んで従えば、割とマシになる。

せっかく聖書という原料・材料があるのに、組み立てる事をしない。
法律で例えるなら、全く法律の解釈ができなくて、どうやって運用したらいいか判らない状態だ。
建築で言えば、ピラミッドみたいに石積みしかできないようなもの。鉄筋や柱を組み合わせて色んな建物を作れない。
ローマ帝国のスパイに洗脳されているから、ローマ帝国に都合が良い人口調整などを強調した物言いになっている。

2、八百長
パウロは皇帝に上訴したけど、皇帝や総督の権力は、市民権の集団に比べて、そこまで絶対的ではない。
軍人が皇帝を暗殺して、皇帝を変えるぐらいだ。
皇帝の半数ぐらい暗殺されている。
毒殺されたり、自殺に見せかけて殺害される。
皇帝を相手にしても、自分より上を相手にしたとは言えない。

使徒言行録は、使徒ルカが宗教史をローマ帝国へ提出するためだから、ローマ帝国のスパイに囲まれたパウロを否定すると、ローマ帝国が受け取らないから、パウロを否定するようには書けない。
パウロを否定しないように書いて、スパイの手柄と、ローマ帝国のメンツも立てる必要があるから、パウロは皇帝と面談できなかったのだろう。
面談して、パウロと皇帝のどちらかが論破されても、ローマ帝国にとって不都合だから、面談が描かれなかった。
パウロが論破されたら、せっかく作った偽装キリスト教団が潰れる。
皇帝が論破されたら、ローマ帝国の威信が崩壊してしまう。
当時、ローマ帝国で比較的で一番に偉いのは皇帝だから、その皇帝に挑んだという箔付けを、パウロの周りに居る弟子の振りをしたローマ帝国のスパイが、パウロに対してやりたかったのだろう。
結局パウロは皇帝と会ったのか判らない。聖書で書かれていない。
面談するとローマ帝国に不都合だから、使徒言行録を受け取るローマ帝国の偉い人であるテオフィロが受領を拒否したのだろう。

テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

使徒言行録 1章1節2節 新共同訳


だから、使徒ルカは、面談の部分は書かなかった。
そういう訳で、使徒言行録は、パウロを否定せず、スパイのメンツを立てて、ローマ帝国と皇帝のメンツも立てる必要がある書き方になっている。

パウロは自分でも言っているけど、カイザルに背いた事はないと言っている。

新約聖書:使徒行伝:25章:8節
パウロは「わたしは、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、なんら罪を犯したことはない」と弁明した。

パウロは皇帝カイザルに対して、何も挑んでいない。
何も挑んでいないから、上を相手にした事にならない。

神であるイエス・キリストは、カイザルに対して「カイザルのモノはカイザルに、神のモノは神に」と言ったり、カイザルに税金を治めてはいけないと言ったり、王としてカイザルに挑んでいると言われている。

新約聖書:ルカによる福音書:23章:2節
そして訴え出て言った、「わたしたちは、この人が国民を惑わし、貢をカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」。
新約聖書:ルカによる福音書:23章: 3節
ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」とお答えになった。
新約聖書:ヨハネによる福音書:19章:12節
これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。

皇帝は神より下だけど、人間の身になっているイエス・キリストにとっては上になるから、神は自分より上の存在に挑むモデルになっているから、信者も自分より上の強者に挑む姿勢が必要になる。
神であるイエス・キリストは非信者の暴徒に挑んで殺されたから、信者も非信者の暴徒に挑んで殉教する必要がある。

3、苦行
苦行を見せつけるな、施しを見せつけるな、と聖書に書かれている。

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

マタイ福音書 6章1節 新共同訳

それなのに、パウロは次のような事を言う。

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

コリントへの手紙1 15章10節 新共同訳

パウロは、自分が苦労して多く働いたと主張するけど、善行なのかどうか知らないけど、善行を主張する。
いくら神の恵みで働いたと言っても、ワザワザ自分が使徒よりも働いたと言う必要性はない。

わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます

フィリピへの手紙 4章9節 新共同訳

自分の事ばかり主張するパウロ。

4、両建ての擁護
変な擁護をする人は、贔屓の引き倒しで潰したいから依怙贔屓して、火に油を注いでいるのだろうか。
こういう両建てのコウモリを追放しないと食い潰される。
裏金問題で擁護する人は、それで政治家が潰れたら、サタン側に貢献した事になるのだろう。潰れなければ忠誠心があるとして出世する。
サタン側にとって、政治家の代わりなんかいくらでも存在するから、常に入れ替えたいとすら思っている。

他人が成功しても失敗しても利益になる両建て戦略の生き方している人間が居ると、人々が苦しむ。

5、生前携挙の廃止
生前携挙はない。
イエス・キリストが苦しみで死んで復活してから天へ昇ったように、信者も迫害に苦しんで殉教する事で天国へ入れる。
天国へ入るためのルールが磔刑で示されたから、生前携挙は廃止された。

6、中国
中国人の外国での個人犯罪を取り締まらないから、中国全体に対して報復している。
経済的に締め上げている。
サタン側の権力者とはそういうモノ。
個別に対応してやる義理がない。
自主的に個別に反省する必要がある。
サタン側が個別に配慮するのは、天の主の信者に対してだけである。
信者を殺すと神が激怒して最後の裁きが前倒しになって、地獄へ落とされて焼かれ続けるか魂が消滅するから、信者を殺さないように個別に配慮する。

サタン側は、非信者の犯罪の責任を全ての非信者に取らせる。

7、犯罪者を更生させる理由
犯罪者を更生して欲しいと、天の主の信者が願うため、犯罪者をその場で射殺しないで、更生施設を作る。
もし、信者が居なければ、その場で軽犯罪者も全て射殺するから、信号無視とかでも簡単に射殺される世界になる。
非信者が安心して生活できるのは、信者のおかげである。

8、自分が先に示す
マスコミを信用できないと言っている人は、自分が信用に値する人間だと思うのだろうか。
非信者の考える事は、自己中である。
神に対して罪を犯しておきながら、知ろうともしないから、非信者は信用に値しない。
他人を信用に値する人間になれと要求するなら、まずは自分が信用に値する人間になる必要がある。

9、努力
他人の努力が判るなら、どんな事業でも成功できるのに、他人を努力不足や自己責任と言う奴は、まともに事業を成功できない。
他人の努力不足が判るのは、他人の心が読める事になる。
他人の心を読めるなら、どんな商売でも客が欲しいモノを知るから、売れるモノだけを作るから100%儲かる。
他人に責任を擦り付けているから、何もかも失敗する。

10、汚い清潔社会
最近、世の中を奇麗にしようという動きがあるけど、完全に地獄へ落ちる暴走である。
天国へ入りたいなら、神の掟の内に留まる必要がある。

新約聖書:ヘブル人への手紙:8章:9節
それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:24節
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。


神の掟を超えたルールを作れば、それは神に背いた事になるから、地獄へ落ちる。
神のルールで婚外性交などを禁止にしたからと言って、必要以上に夫婦の成功まで禁止にするのは、神の掟を超えた人間の勝手なルールである。
悪人を叩けば正義になったつもりになるように、不潔な人間を叩けば自分が清潔になったつもりになるけど、それは間違いである。
悪人を叩いても免罪符にならない。
悪人を叩いても自分が正義にならないし、不潔な人間を叩いても自分が奇麗にはならない。
自分の悪行を赦して欲しいなら、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と罪を犯さない生き方が必要である。
自分の不潔を奇麗にしたいなら、自分の汚い部分をキチンと認識して、公言して、どうやって奇麗にするかを考えて、実際に洗う必要がある。

自分の目の丸太を取り除いて、兄弟の目のおがくずを取り除けるようになると、イエス・キリストは言った。
他人を奇麗にしたいなら、まず自分が奇麗になる必要がある。

自分の手の汚れを落としたいなら、手を洗う必要がある。
他人の手の汚れを非難しても、自分の手の汚れは落ちない。
まず自分の手を洗ってから、他人に手を洗うように言う。
自分の手が汚れていないと叫んでも、他人は手を洗わない。

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