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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[201]剣を研ぐ技

第8章 風雲、急を告げる
第5節 閃き

[201] ■5話 剣を研ぐ技
 山の端の鉄窯には、トゥバからやって来た、切ったり刻んだりに使う道具――利器――を専門とする特別な工人たくみが集まっている。メナヒムと話し合いながら、イシク親方が自ら選んで声を掛けた工人だ。研ぎの工人もそうだった。
 何本もの剣を一気に削り、磨き、研ぎ上げることになった工人たちの仕事ぶりを側で見ていて、ナオトは驚嘆した。
 ――見事だ……。ただの鋼の平たい棒が剣に変わっていく。
 研ぐというだけならば、他にも工人はいるだろう。しかし、
「バハルーシュは他とは違う」
 と、親方がナオトに言った。確かにその通りだと思う。
 バハルーシュは剣身全体を磨いて刃を研ぎ、剣格けんかく――つば――とつか、それとさやを作って、剣にまで仕立てる。剣に合わせて、二本の鉄の小棒から剣格を作るときには、つかを握る手を守るというだけでなく、剣を両手で持ったときの前後の重さまで考えるそうだ。
 長い剣を研ぐのは初めてだというのに、そのようなことにまで思いを巡らせる工人がそうそういるとは思えない。

 そのバハルーシュは、山の端では、やる仕事に合わせていろいろな削りと研ぎの道具を使う三人の工人たくみをまとめていた。このたびは、その三人がときを同じくして、目の前に運ばれてきた粗削りな鋼の剣身に取り組んでいる。
 ナオトはその三人の削りと研ぎの作業を、毎日、山の端の寄り合い所に寝泊まりして見せてもらった。いよいよ明日あたりではと心待ちにしていたナオトが、五日目の朝、待ちきれずにイシク親方を訪ねた。
「一緒に見に行こう。もう仕上がっていると思う」
 と言って親方が先に立った。
 バハルーシュが、削り、磨いて粗く研いだと言う四本の剣身をイシク親方の目の前に広げた大きなシカの革の上に並べた。後ろに他の二人の工人が控えている。
 親方は一本ずつ持ち上げて刃に光を当てて確かめ、曲がりはないかと改めてから元の場所に置き、振り返ってナオトを見た。三人の工人たくみの目がそれを追う。
「……」
 そこにいたみなが、無言のままのナオトがどう感じているかをその目付きから知った。
 ――やはり工人たくみは工人だ。これまでに積み重ねてきたことが違う。使う道具も違う。やり方は工人によっても違うようだ。だが、最後はバハルーシュが改めて、仕上がりを決めるという。仕事は、それを極めたバハルーシュのような人に任せておけばいい……。
 そう考えたナオトは、研いだ剣を改め終わると、思わず、ヒダカ人がするように深く頭を下げた。

 翌早朝、焼き入れと焼き戻しをした。ナオトにとっては、何本もの漢の剣を焼き入れして以来だった。しかしこの度は、おのれが自ら鍛えた剣だ。
 イシク親方は夜明け前に起きて、細長い桶に水を満たし、火床に炭火を用意した。その日に使う短く切った木炭はすでに近くの竹かごに山となっている。
 みなが鉄囲炉裏に集まってきて、水桶をぐるりと取り囲む。近づきがたいと感じてか、みな、親方から少し離れて立っている。
 イシク親方の顔付きは、昨日までとはまるで違っていた。
 ――漢兵の剣に焼き入れしたとき、焼き入れをなぜするのか、親方が話してくれた。そのとき、「心の持ち方がそのまま剣に出る。心して取り組め」と教えられたが、あのときは何のことかよくわからなかった。
 しかし、いまならわかる。心するというのは、ここまでどうやって辿り着いたかをよく考えるということだ。おのれも、剣も……。
 バハルーシュが研ぎ場から剣の形になった剣身を持ってきた。受け取った親方が、手元の鉢に入れた泥を剣身の上半分に塗る。
 水をいっぱいに張った縦長の水桶に手を差し入れ、程よいというように頷いた親方が、赤い炭火に剣身を横たえた。
 火床で燃える炭火の火勢はそれほどではないが、剣身全体を熱するためだろう、炭火の火床は炉からはみ出すほどに拡げてある。
 同じことなのか、親方は剣身の色のばらつきを見ては、小ぶりのテコに炭火を載せて剣身のところどころに被せている。しばらくすると、これよりもさらに熱くするのは避けたいというように、鉄棒で炭火を火床から掻き出した。
 切っ先から尻の棒まで同じように赤くなったところで、変わった形の鉄ばさみを両手で持って剣の尻をつかみ、気持ちを整えて、水桶に一気にけた。ジュッという音がして、焼き入れはあっけなく終わった。
 次に、剣を火の側に横たえて焼き戻しした。これを一晩掛けて冷ましてから、バハルーシュがさらに研ぐのだという。
 計四本の焼き入れが終って一息ついた後に、疲れ切った顔のイシク親方がささやくように言った。
「ナオト、磨くのと研ぐのとは別のものだそうだ。バハルーシュは、昔、『研ぐとはこの焼き入れの後の作業のことで、その前は磨くという。研ぎを経てはじめて刃はよく切れるようになる』と言っていた。トゥバで小刀を何本かまとめて作ったときの話だが……」
「そうなのですか……」

 数日後。
 バハルーシュは何かの油に浸した麻布で四本の剣をぬぐい、シカの薄革でき取ってからイシク親方の目の前に並べて置いた。
 いつもと同じ作りの厚いウシの革を二つ折りにした鞘に納めると、「仮りに作ってみました」とバハルーシュが言い添えた。これもいつもと同じだった。
 鉄囲炉裏で鍛えた平たい鋼の棒を荒く削って刃を付けただけのものと、磨かれ、研ぎ上げられて、剣格とつかが付いて戻ってきた剣とは、ナオトの目には全く別のものに映った。
 ――研ぎは大切な技だ。これがなければ剣はできない。ただの平たい鉄の棒のままだ。吾れは初めて、磨きと研ぎの作業を初めから終わりまで見届けた。バハルーシュに教えてもらって、いつかは一から自分でやってみたい……。
 これは後になって考えたことだが、ナオトは最初に一人で作ったやや細身で短めの剣が一番気に入っていた。
 ――あのときは、イシク親方が選んでくれた鋼のうちから白い部分をよくよく見極めて使った。やはり、鋼が大事なのだ……。
 みなで打ちはじめる前に作り置いてあった鋼の小板の出来具合や、二人の打ち手の大鎚の振り下ろし方が、おのれ一人でやるときとは違っていたのかもしれないとは、ナオトは考えなかった。
 山の端で打った四本の剣を研ぎ終えた後に、バハルーシュも同じように感じた。
 ――前にナオトが作った剣は素晴らしい。研いでいてすべり方がまるで違った……。
 後の四本が鮮卑センピから来た鋼でできていると知るバハルーシュは、剣身が違っている理由わけをナオトとは別に考えていた。

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