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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[177]山の端の鉄窯を護る

第7章 鉄剣作りに挑む
第5節 メナヒム、再びトゥバへ

[177] ■2話 山の端の鉄窯を護る
 はたして大量の鋼作りにまで進むかどうか、いまのところはわからないとナオトは言う。しかしメナヒムは、鋼作りをどう守るか、それはいまから考えておこうと思った。
 ――実際に作りはじめてからでは、遅かろう……。

「匈奴の国の中には漢人がいる。漢の小部隊がやってきてせっかく作った鉄窯を壊されるということを、これまで繰り返してきた。どのように防いでも、鉄作りはいずれ漢に知れてしまうだろう。そこで、仮りに知られても、いまの場所をしっかりと護るよう手配する。ナオト、心配はいらないぞ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「山の端の鉄窯は、南からの侵入への備えとしてはよい位置にある。まずは、あの小山の西の原を配下の者の牧地にして、鉄作りの気配が紛れるようにしよう。のちにはあの一帯に匈奴兵の営地を置く。土城に見えるように、四方に土堤どてを築いてな……。
 山の端の近くにもう一つ、東からの襲撃に備えて別の土城を置いた方がいいだろう。そちらでも、紛れのために時折り煙を上げさせよう」
 エレグゼンが小さく頷いた。山の端の西の原の牧地に移りたいという者たちはすでに募ってある。
「百歩四方ほどならば、土塁どるいを積んでも大したことはない。十日と掛からない。早速、麻袋を用意させよう。土をいじるのを嫌がる兵は多いだろうがな」
「それは、吾れに指揮させてください」
「それがいいだろう。エッレ、お前は穴も掘り、木炭も焼く匈奴だからな……」
 そう言ってメナヒムが笑った。ナオトはメナヒムが歯を見せて笑うのを初めて見た。のちにエレグゼンが、メナヒムが無駄なことを言うのは初めて聞いたと言った。自分たちの周りで何かが変わってきていると、二人は感じた。
「わしがいつも言っている『匈奴は匈奴たれ』というのと違うではないかなどと言い出す者が現れような……。いずれ、山の端の周囲は左賢王の支配地のうちでもとりわけ大事な土地となるだろう。兵が定住を嫌がろうと、どうしようと」
「……」
「……」

「他にりようなものは何だ。道具はどうする?」
「ハミルで仕入れてきたもので、まずはこのまま試してみます。ただ、片手で扱えるほどの小さな鎚がいくつかあればと思います。他に、形のいい鉄ばさみとつちを受ける鉄の台をと思いますが、どういう形に改めればいいか、まだはっきりとしません。そのうちにお願いしようと思います」
「よし、わかった。では、このまま続けてくれ。エレグゼン、よくぞ気が付いてハミルまで出向いたな」
「ありがとうございます」
「……。砂鉄や土塁はいいとして、炭焼きはどうする。誰か、頼む当てはあるか?」
「仲間のムンフに手伝わせて、すでにはじめています。この先の一月ひとつき、ナオトが鉄を三日おきに焼いても使いきれないだけの木炭が揃えてあります。伐り出したマツの木は、先ほど話に出た土城を作る材料のようにして数か所に集めておくことにします」
 そう言ってエレグゼンが胸を張った。

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