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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[176]ナオトとメナヒムの問答

第7章 鉄剣作りに挑む
第5節 メナヒム、再びトゥバへ

[176] ■1話 ナオトとメナヒムの問答
 珍しく日射しが強い朝、エレグゼンが迎えに来て二人でメナヒムを訪ねた。メナヒムが会いたいと言っているという。メナヒムの昔語りを聞き、そのあと、エレグゼンにいろいろと尋ねてからまだ三日と経っていない。
 声を掛けて戸口の織物をめくるとき右の奥にザヤの姿が見えたので、ナオトは目線を移して挨拶あいさつした。ザヤがこれまで見せたことのないような表情をした。

「すると、鉄はここでも作れるのだな?」
「ただの鉄ならば山の端の鉄窯でいくらでも作れます。砂鉄や木炭などの材料はすべてここで揃います。鋼にならないものかと、三か所の違う砂鉄をわずかな量ですが焼いて試してみたところ、鉄はやはり熱して叩くと別のものに変わるようです。そのうちの最後のものがこれです」
 そう言って、メナヒムに黒い小さな塊と鉄の小棒、それに、竹筒に入れた砂鉄を手渡した。いつも枕元に置いてあるものだ。
「その塊が鋼のもとです、おそらく」
「トゥバで手にしたものと同じようだな。すると、砂鉄からこのような鋼の素を作り、次に鋼まで鍛えるのはここでできるということか?」
「そう思います。しかし、その鋼の素を使っていろいろ試してみたのですが、いま一つうまくいきません。叩いて鋼にしようにも、粉々に砕けてしまうのです。鋼についてはまだまだわからないことばかりです。
 何よりも、これを続けていけば、その鉄の棒から剣になるような鋼にまで本当に行き着くのか、その一番肝心なことがわかりません」
「そうか。ならば、わしも少し調べてみよう。ところでナオト、鉄窯を置いたいまの場所はどう思う?」
「……。山の端と呼んでいるあの場所は草原が山へと変わるところです。山に当たった川がよどんでぐるりと回り、その山の奥にはまた別の山が続いています。山の西側の流れを少し遡ると谷になっています。
あの地は、第一に木が多い。これが何と言っても大事です。砂鉄を焼くときには、ちょっと信じられないほどに薪と木炭を使いますから。
 それに、近くに森と山があると、山から降ろしてくる風が利用できます。冬は風が冷たくて使えないでしょうが、いずれにせよ、砂鉄を焼くのは雪が降るまでと、いまのところは考えています」
「なるほど、あそこの山は確かにマツの木が多い。それにこの冬の牧地からもそれほど遠くない」

 それまでは専らナオトとメナヒムのやり取りを補うようにしていたエレグゼンが、珍しく口を挟んだ。
「鉄作りを伏せておくには、牧地に紛れているというのが大事かと思います。ぽつんと離れて煙が上がっていたのではあからさまですから」
 メナヒムが、「うん、うん」と言うようにうなづいた。
 ナオトが続ける。
「牧地の移動がちょうど終わったところなので、ここから数か月間はこの地にとどまると聞きました。衛所にしようとエレグゼンたちが山の端に建てたゲルで寝泊まりしてよければ、試すのに十分なときがとれます。
 もとになる砂鉄は鉄窯の脇のケルレン川で採れます。他に、トーラ川のものも試してあります。エレグゼンと仲間が探しに行って、川べりにいくらでもあると確かめてくれました。試しに焼いてみたのですが、どちらかといえばトーラ川の砂鉄の方がいいかもしれません。その竹筒の中身がそうです」

 メナヒムが顔を向けたので、エレグゼンが口を開いた。
「西から流れて来たトーラ川が北に向かって大きく曲がる辺りで採ったものです。ここからは少し遠くなりますが、山の端にはより近い」
「なるほど。トーラとケルレン、どちらの川の砂鉄も使えるということか?」
「そうです。たとえば、ここで水場にしている小川には水草が生えています。その根元に黒いものが集まっています。砂鉄です。引き抜くと根にくっついてくるのでめてみると、丁零の川にあった砂鉄と同じです。トゥバのとは少し違うかもしれませんが」
「なぜ、そのようなことまでわかる?」
「色と味が少し違うのです」
「味か……?」
「その小川はケルレン川に注ぎます。おそらく、この辺りはどこも砂鉄があって、それで水草の根元が黒くなっているのだと思います。
 黒い砂鉄はいくらでも集められます。ただ、いまのところはトーラ川から運んできた砂鉄を使ってみようと思います。荷馬車を使っていいのであれば、遠い方のトーラ川が凍る前に大量に運んでおこうと思うのですが……」
「荷馬車などいくらでも使えばよい。兵も出す。あの辺りは左賢王の牧地だ。話しておこう。竹なども一緒に伐り出して、戦さに備えて材料を運んでいると装えばいい」
「わかりました。ありがとうございます。この砂鉄を、火加減を変えて、これまでよりも多めに焼いてみます。どの鉄がどういう使い方に向いているか、試してみないとわかりませんから。後で紛れてしまわないように、焼き方や採った場所ごとに文字を刻んだ竹片を付けて、エレグゼンが棚に揃えてくれています」
「それでいい。そのまま続けてくれ。ずいぶんと手際てぎわがいいな、エッレ」
「恐れ入ります。まあ、頼まれた通りにやっているだけですが……」

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