見出し画像

『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[178]トゥバ再訪

第7章 鉄剣作りに挑む
第5節 メナヒム、再びトゥバへ

[178] ■3話 トゥバ再訪
 ナオトが山の端の鉄窯近くのゲルに移ろうかという日に、メナヒムが再びタンヌオラを越えていくと聞いたエレグゼンが「ちょっと行ってみよう」とナオトに声を掛けた。
 ――トゥバに行くのならば、他にも話しておくことがあるに違いない……。

「メナヒム伯父、剣にするのにさや剣格けんかくはどうします?」
「木や革で作る部分は何とでもなる。鉄で作る部分は、いま使っているのと同じものを丁零ではないどこかで先に作りおくのがいいと思う。
 ただの鉄ならば、丁零でなくとも匈奴のうちに作っているところはある。短甲よろいに使う鉄の小札こざねは単于の牧地で作っている。いまならば、これほどの数をといぶかることはあっても、まさかこの地で鉄剣を作ろうとしているとまでは考えないだろう。
 左賢王に話を通せば、こうしたものは容易に手に入る。それに、革や木の細工も含めて、トゥバのニンシャ人に任せることもできる」
 ニンシャ人と聞いて、そうか、またトゥバに行くのかと納得がいって、ナオトが口を挟んだ。
「それならば、フイゴもお願いします。前にお話ししましたが、鉄を焼くのに一番肝心なのはフイゴで送る風です。鋼を作るためにも何か工夫がいると思っていましたが、ニンシャ人に話されてはどうでしょうか。すでにいいフイゴがあるのでは?」
「ナオト、よいところに気が付いた。わしは小さいときに、そのフイゴで遊んだことがある。まだ幼かった弟がいたずらをして、フイゴの吹き出し口をわしの顔に向けて開け閉じしては、それがもとで喧嘩けんかした」
 おのれの父の話が出て、エレグゼンが、
「そのような話は、初めて聞きました」
 と言うと、メナヒムは平然と応えた。
「お前の父カーイの話は、これに限らず、話したことがない。お前の戦士への憧れを断つためだ」
 ――どういう意味だ。フイゴと何かかかわりがあるのか?
 そういう顔をして、エレグゼンがナオトの方を見た。

「ナオト、お前は好まぬと聞いたが、それでも尋ねる。仮りに、はがねの作り方が固まったとき、できた鋼をどのようにして剣にまでする?」
「それについてはいろいろと考えてみました。しかし、いまのところは熱して叩くしか手がありません。そうしてできた鋼の棒を磨くつもりです。
 そのために、ハミルで求めた鉄の鎚と同じようなものをトゥバの鍛冶に頼んで大小揃えていただけないでしょうか。それと、よい形の鉄ばさみも。長い鉄の棒が何本かと、つちを下で受ける鉄の大きな塊も手に入ればと思います。トゥバの二番目の小屋にえてあったものです」

「よくわかった。どれも手配する……。あの鉄の台は、わしが幼い頃に近所のイシクの家で見た覚えがある。確か、金床カナトコと呼ばれていたと思う。どうやって作ったものなのかと、ずっと気になっていた」
「カナトコ……」
「んっ……。鎚に合わせて、木の柄も長短揃えよう。ぎはどうする。何か考えはあるか?」
「はい。うまく鋼の棒ができればですが……。フヨの入り江でヨーゼフの世話になっていたとき、くすんだ緑の石で小刀こがたなを研ぐところを見せてもらいました。研いだら確かに切れるようになりました。
 それと似た石をトゥバの川原で見つけたので、拾って来て手元にあります。それと、ハミルのバザールで見つけて持ち帰った違う色の石も一つ。自分の小刀で試したところ、やはり、少し切れるようになったかと思います。
 しかし、この間のお話では、ニンシャ人の中には研ぎをもっぱらにする工人たくみがいたとか。それならば、トゥバのニンシャ人にもそのわざを受け継ぐ人がいるのではないでしょうか。小刀は日々の暮らしに欠かせないでしょうから」
「いま、匈奴の兵の多くは、手元の剣ややじりを石や革で研いでいる。ナオトが言う緑色の石を使う者もいる。この牧地でも同じだ。しかし、あのトゥバの窯場のようにして打って鍛えた鉄の棒を磨いて剣にまで仕上げるというのは、ただの研ぎとはまた別の技ではないかという気がする。
 とりあえずは、トゥバに着いたら刃物を研ぐ工人たくみを探してみることにしよう。もしいなければ、シーナの涼州から連れてくる。あそこなら、ニンシャ人のうちにおそらく何人か見つかるだろう。それに、なんと言っても同族だからな」
「……?」
「……!」

「それと、ナオト。実はそのトゥバなのだが、この間お前たちと訪れた際に、ニンシャの鍛冶が短い剣ならば作れるかもしれないと言っていた。わしの古くからの知り合いでイシクという者だ。昔、金床を見たのはその家の鍜治場でだ。何でも、テュルク人の間に昔から伝わるやり方で小刀を作っているという。
 その小刀を見せてもらったが、なかなかの出来栄えだった。わしは、短くてもいいので剣を一振り、試しに作ってみてくれと頼んできた。どう思う?」
「それはよいお考えと思います。それならば、材料の鉄と鋼までをここで作り、そのニンシャびとに道具をたずさえて来てもらって、ここで鋼を鍛えて剣に仕上げるようにしてはいかがですか。ここの砂鉄から作る鉄が、はたして鋼にまで仕上がるものかどうかも教えてもらえるのではと思います。
 このまま続けるならば、鉄剣を数多く作るようになるまでにはおそらく五年、十年と掛かります。それよりも、いますでにある技を生かすのがよいかと思います」
「それは、確かにそうだな……」
「狙いが、この地で鉄と鋼を作り、武具まで仕上げることならば、それが一番早いと思います。そのとき、この間のお話にあった漢の将軍のように、この地に招くニンシャ人を手厚く護ればいいのではないでしょうか。そうすればきっと、喜んで来てくれるのでは?」
「なるほど、その手があったか。すると、鉄剣作りが五年は縮まるというのだな?」
「はい、少なくとも五年は早まると思います」
 傍らで聞いていたエレグゼンが口を開いた。
「メナヒム伯父、そのときには剣を作るためにニンシャ人を呼び寄せたと周りに知られることのないようにご配慮を……」
「うむ、確かにその通りだ」

第5節4話[179]へ
前の話[177]に戻る

目次とあらすじへ