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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[163]鉄を鎚で打つ

第7章 鉄剣作りに挑む
第1節 砂鉄を焼く

[163] ■2話 鉄を鎚で打つ
 砂鉄を溶かすには、やはり、強い風を吹き付けてとにかく炭火を燃やし続けるのが大切だとわかった。そうしないと鉄の塊はできない。
 それならば、フイゴはこのままではだめだ。もっと強い風が出せるように大きくし、鉄窯の穴に合わせて風の吹き出し口を細くするなどの工夫がいる。それに、何といっても木炭が足りない。
 ないものをあれこれ言ってもはじまらない。とりあえず、焼いてできた鉄のような黒く重い塊を使って、トゥバの二番目の小屋で見た作業をやってみようとなった。

 一日休み、その次の朝に二人で戻ってきて、鉄窯の隣りに平らな場所を設けた。これを鉄囲炉裏と呼ぶことにした。小川の岸から二人で転がしてきた大きな石を二つ、並べて置いた。その間を炉のようにして炭火を燃やす。
 左の石の下に隙間を空け、細い溝を掘って丸石で守り、炉の底に向けて風が通るようにした。フイゴを置いて試してみると、風は確かに炉の真ん中まで届く。
 炉の手前に座る位置を定め、見つけておいた硬そうな平たい石を右脇に置いた。熱した塊をその上で打つつもりだった。
 薪にするには太すぎると放ってあった木を炉の手前まで転がしてきて、座り心地を確かめ、ハミルで求めた大小の鉄のつちと鉄ばさみ二つを後ろに置いた。
 二日前に焼き終えて鉄窯の中にある黒い塊はまだめ切っていない。鉄窯の壁の一辺を崩して、黒い塊のへりを大鎚で欠き割り、拾い上げてよく見てから、すべすべしているところをぺろりとめた。
 ――なるほど、こういう味か……。
 それをエレグゼンが興味深げにじっと見ている。
 いくつかの欠片かけらからとくに光るものを選んで鉄囲炉裏に戻り、二つ石の炉の脇に置いた。
 ――待てよ。このままでは吹きさらしだ。せっかくの熱が逃げてしまう。それに、フイゴを扱うエレグゼンが炭火の熱をもろに受ける……。
 そこで、炉の左側の石の脇に高めに土をって、熱を防ぐつつみにした。
 その後に、倒木を枝ごと馬に引かせて持ってきて、二人で力を合わせて鉄囲炉裏の四方を囲むように置いた。
 顔を見合わせ、
「少し休もう……」
 と、ナオトが言った。
 日はまだ高い。塩の利いたエーズギーを口に運び、ぐいっと水を飲んで一息ついた。見ると、エレグゼンには自分なりの休み方があるらしい。

 トゥバで見た通りに、竹籠に入れておいた木炭を同じような大きさに切って、炉の中にまとめて入れた。堤の陰にいるエレグゼンがフイゴで風を送り、石と石の間から炎が上がりはじめたところで、大きい方の鉄ばさみで挟んだ黒く光る欠片を炭火の間にねじ込んだ。エレグゼンがさらに強く風を送る。
 木炭は炎を上げていよいよ燃え盛り、小さな塊と一緒になって黄色に輝いている。ナオトは恐るおそるその塊を鉄ばさみでつかみ、平たい石の上にそっと置いた。手を休めたエレグゼンは堤の向こう側に胡坐すわり、息をらして見守っている。
 熱が顔まで届く。
 エレグゼンにちらっと目をって軽くあごを引くと、座ったまま、ナオトが小ぶりの鉄のつちを振り上げた。両手には冬の遠出のときの手袋を付けている。
 鎚を軽く打ち降ろすと、こぶしの大きさの熱した塊はばらばらに崩れた。そのうちから親指よりも少し大きなものを選び、残りは平石から払い落として続ける。
 三回目のとき、強く叩きすぎたためか、何かの熱い欠片かけらんできて左膝の内側を打った。「ちっ」と思わずヒダカ言葉が出た。すぐに側に置いてあった手おけの水を掛けて冷やす。危なかった。
 もう一個同じものが足元に転がっている。その小さな欠片にも水を掛け、少し冷めるのを待って拾った。めてみるとさっきとは少し味が違う。
 ――やはりそうか。トゥバで見たのと同じだ。熱い鉄を打てばこれが飛び出す……。
 目の前の成り行きに見入っていたエレグゼンに、
行縢むかばきと膝当てを二つずつ持ってきてくれ。それと鹿の脂《あぶら》も頼む!」
 と、声を掛けた。遠出のときに太腿ふとももに掛ける行縢は大きな鹿しかの皮でできていて柔らかく、扱いやすい。
「よし、わかった!」
 と言って、エレグゼンはゴウに飛び乗った。
 後姿が見えなくなると、ナオトは足早にさわに下りて行って火傷やけどの手当てをした。
 岩に腰を下ろして流れに傷をさらし、しばらくじっとして冷やした。岸辺に黄色の五つ花びらを探し、その対になって出ている葉っぱを何枚も摘み取った。それをんで手のひらに吐き出すと、傷に当て、二つに折ったフキの大きな葉で覆い、革紐を巻き付けて留めた。
 ――火傷やけどは、小さくても軽んじてはだめだ。エレグゼンが戻ったら鹿の脂を塗っておこう……。

 ナオトに声を掛けられてはっとしたエレグゼンは、手綱を握って営地に急いだ。まだ出会ってもない頃にナオトが「もの作りは厳しい」と言っていたことを思い返していた。トゥバでもそうだった。先刻さっきのナオトもそうだ。
 ――やつらは、やはり戦士だ。あの鉄囲炉裏は戦場だ……。
 エレグゼンが持ち帰った行縢むかばきに穴を穿うがち、革紐を通して首に掛け、体の前を覆った。足首まで届く膝当ても付けた。
 ――そういえば、トゥバの工人たくみもこんなふうな姿をしていた。そのうち、前に掛けるものを作らなければ……。
 そう思いながら、ナオトは先ほどの作業に戻った。
 木炭を足してフイゴを使い、先ほど打っていた小粒の鉄が再び黄色く熱するまで待った。今度は小さい方の鉄ばさみで端をつまみ、強く抑えつけたまま叩いてみた。同じ目には遭いたくないので、鉄ばさみの持ち方と叩く位置、打ち下ろす角度を工夫した。
 鉄ばさみが邪魔になり、小さすぎて当てにくい鉄を、何度も、次第に強く叩く。ずいぶん小さくなったと思いながら炭火の中に戻し、風を送らせ、黄色に輝くまで熱したところでまた叩く。これを延々と続けた。
 汗だくのナオトの形相は、エレグゼンには近づきがたいほどだった。
 ――下に敷いた平石はこのままでは割れてしまう。これでは思い切り叩けない。鉄の台がいる。ハミルから運んで来た鉄の板を使ってみるか。あのラクダはどうしたっけ……?

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