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やはり50代独身ミスKの主張は間違っている

たびたび保育園で働いているのだが、園児同士でこのような口論がたびたび起きる。



例えば、A君が掲示物を破ってしまいそれを隠したとする、そしてそれをB君が見つけA君を咎めた。


B「ねぇわださん、さっきAがアレこわしたんだよー」
A「え、違うよ、Bだってね、この前ね、コレやぶったんだよ!」
B「え、でもね、、、、あのね、、、、」


このケースは簡単でAの論点のすり替えであり、全く関係のない話を持ち出してBを責めている。
結果としてBは以前の罪悪感に駆られ黙ってしまう


「あのねA、今はあなたの壊したことについて話しててBが破った話は関係ないよね、まずは壊しちゃったんだから先生たちに言って一緒に直そ。でBには終わったことを持ち出して責めて嫌な気持ちにさせちゃったんだからゴメンナサイしようね」


「Bは教えてくれてありがとうね、全く悪くないから落ち込まないで大丈夫だよ、この前の話はこの前にちゃんと先生に怒られたもんね」


と、このようにAに関しては論点を修正し自分が招いてしまった結果に対しての処遇をし、Bに関しては自身の正当性を評価すればいいと思っている。


このようなケースは時々見られ、その都度丁寧に注意と説明とフォローをしているのだが、責められた側(今回でいうB)は、またあの件を引き合いに出されたら、、、と物怖じし自己主張ができなくなってしまう可能性があり、なんかあまり良くない論法だな~と若干のしこりを残していた。


そして、この現象は精神的に成熟しておらず、自分の非を認めることが出来ない幼児期∼学童期にある現象だと思っていたのだ。


子ども特有の話し方だと。



僕の課には個人的に大嫌いな50代独身クソばばあミスKがいる。


あ、まったく本件とは関係の無い話だが僕は北海道という地に住んでいるということもあり、ゴールデンカムイが好きだ。
漫画もアニメも拝見し、夏にはゴールデンカムイ展にも行った。


そんなゴールデンカムイの個人的に好きなシーンを紹介しようと思う、突然で大変申し訳ない

ゴールデンカムイ 3巻23話

ぬははは 以上だ

さ、話を戻すとしよう

ミスKと面と向かって話す機会が起きてしまった。


きっかけは僕のサボりである


K「わださんいつも何やってんの?なにもやっていないように見えるけど」

僕「はい、指示された業務に関してはとっくに終了させました」

K「それだけ?他は?」

僕「ないです」

K「なら自分で考えて仕事探さないとなんじゃない?」

僕「さようですか。考えてもわかりませんでした(もう辞めるので新しく業務を作る気は無い)」

K「でも、それで給料もらってるんだよね。それってどうなの?いいと思っているの?」

僕「どうなの?については答えかねます。いいと思っているの?については振り込まれている以上是と思ってます。」

K「ホントに自分で考えて動いたりできない?」

僕「ハイ、難シイデス。僕モ頑張ッテ働キタイノデスガ、自分ノ頭デ考エルコトハ困難デシタ。明確デ具体的ナ指示ガアレバ、一生懸命働キタイデス」


・・・・・・・・・・・・・・・・


とまぁ、全体的に僕の返答が相手を舐めていることは置いておい
て。


法 VS 社会倫理
  のふりをしたKの思い込み


を中心に舌戦が繰り広げられるが、喰らわない僕に対して自身の正論で説き伏せたいKは僕の今までの仕事の成果や人格に対して言及し、感情的な口喧嘩へ発展する


そんな中こんなやり取りがあった


僕「Kさんはいつもそうやって、人の意見とか気持ちを全く受け入れようとしないじゃないですか、だからコイツに何言っても無駄だ
なーってまともに話さないんですよ」

K「いやでも、それは貴方も同じじゃないの!!」

僕「あ、そうでしたか!!それは気づきませんでした、ご指摘ありがとうございます。”僕は”その事実を真摯に受け止め改善に励もうと思います」

・・・・・・・・・・・・・・・・


このような論点のすり替えは、幼い保育園児のみが用いるものではなく、いい年したおばさんも使ってくるのであった。


そしてそれは”お前だって論法(お前も同じ型論法)”という名称があった。


お前だって論法を否定する


UN SEEN(不可視)の能力に焦がれていたのに発言したのは
UN SOPHISTRY(否詭弁)みたいだ。


こんな能力は対パリ在住借金踏み倒し4chトゥイッターおじさんへの対抗にしか使えない。


唐突な言語変化についていけず、ユニオンにもアンダーにも属せず、1人さみしくラグナロクを迎えるしかない。


先ほどのお前だって論法についてザッと検索するとWikipediaではこう述べられている。

お前だって論法は、次のようなパターンをとる。
1.人物Aが、Xを主張する。
2.人物Bが、Aの行動や過去の主張などは、主張Xに沿ったものではない、と主張する。
3.したがって、主張Xは誤りである。
(中略)
相手の道徳上の性格や、行動は、一般的に議論の論理性とは無関係であり、これは誤謬である

またこれらは人身攻撃論法の1つとも述べらている。

人身攻撃は、ある論証や事実の主張に対して、その主張自体に具体的に反論するのではなく、主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。人格攻撃論法ともいわれる。論理性や合理性を持って判断するクリティカルシンキングにおける論理的な誤りである誤謬のひとつ。

他にも”言語学とクリティカルシンキング-誤謬論を中心に(2012.塩谷)”では論点ずらしについてこう述べられている。

※(2-5)=論点をずらす論法

(2-5) のようなタイプの議論をしないように教育的にも努めて行く必要はあろうし、これらがするべきではない議論の方法であると多くの人が 会得すれば、(2-5) のようなたちの悪い議論も少なくなっていくと思われる。ただ、世の中、競争、ストレス、匿名性の信用できないメディア情報などがある以上は、そうすぐには無くなるものではないので、絶えず警戒をする必要はある。(2-5) のような誤謬をしないこ とこそ、真面目なコミュニケーション活動の第 1 歩であろう。

塩谷英一郎.言語学とクリティカル・シンキング-誤謬論を中心に.2012.p91

と、このように論点をずらす論法については

人の個性や信念を攻撃する

教育的にも努めていく必要がある

悪い議論

絶えず警戒する必要がある

と痛烈に批判されている。

また、”論より詭弁 反論理的思考のすすめ”では人身攻撃論法を”人に訴える議論”と言い、こう述べられている

ある発話の内容が真であるかどうかは、それを発話した人間とは関係がない。
(中略)
私が咥え煙草で道を歩いているとき、同じく咥え煙草で歩いてきた男が私に「咥え煙草はいけませんよ」と注意したとしても、その注意の正当性は、男の行為とは関係なく成立する。
要するに論理的思考では、ただ発話の内容のみが問題となり、発話者は単に発話をなすための中身のない記号、装置にすぎない。
「人に訴える議論」は、本来検討すべき発話内容の問題を、関係ない発話者の問題にすり替えている。
”論点のすり替えという虚偽を犯している”
のである

香西秀信著.論より詭弁反論理的思考のすすめ.p96-97


では、あの時「いやでも、それは貴方も同じじゃないの!!」
と言われた僕はどう返せばよかったのだろうか…

同じく”論より詭弁”では咥え煙草の件についての回答をこう述べている

私に期待される論理的行動は、恥を入って慌てて煙草を消し、それを携帯灰皿に収めることだ。そうしてこそ、初めてこちらも、その男に対して「あなたも、咥え煙草で道を歩いてはいけません」と注意し返すことができるのである。

香西秀信著.論より詭弁反論理的思考のすすめ.p101


つまり、「あ、そうでしたか!!それは気づきませんでした、ご指摘ありがとうございます。”僕は”その事実を真摯に受け止め改善に励もうと思います」


と相手の主張を認めた僕の反論は正しくあると言える。



しかしながら、このままではKは論点をずらす論法、人の個性や信念を攻撃する、教育的にも努めていく必要がある、悪い議論、絶えず警戒する必要がある。と言われている悪しき論法に対し、その邪悪性に気づかず使用し続けるだろう。


なので適切に批判し、断罪するべき必要がある。


よって、僕の返答の理想はこうだ


K「いやでも、それは貴方も同じじゃないの!!」


僕「えっと、僕の主張から僕自身の性格について論点を変えましたよね?”論より詭弁”って本だと論理的思考において発話内容と発話者は関係ないと述べられているんですよね。なので、あなたは正当性があるように見えて全く無関係な主張をしたわけです。
加えてその論点を発言者にすり替える方法は人身攻撃論法と言われる誤謬の1つであって、塩谷英一郎氏のレポートではその論法に対して、悪い議論、教育的に努めていく必要がある、絶えず警戒する必要があると痛烈に批判されています。つまりあなたは全く無関係で教育的に努めていかねばと批判されている発言を僕を攻撃するためだけにしました。今後このような悪しき論法を使わない事を願います。
しかしながら、全く関係ないあなたの主張に付き合ってみると僕にも改善するべき所があるやもしれません。善処いたします。」

引用を添えているため、ポール・グレアムの反論のヒエラルキーも高いカ所にある。


それでもって、全く関係ない主張に関わらず受け入れる懐の深さも垣間見える、

まさしく完璧な返しだ!

今度同じような事があったならば、この研いだナイフを使ってやろうと思う。


おわりに、健全な議論をしよう


詭弁論理学という本で正しい議論をするための原則が書かれている。要約するとこうだ

【原則1】無理やり説得しようとするな

無理を通そうとすると議論がもつれる事がある。相手を尊重しろ、自分の考えも尊重しろ

【原則2】時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな

議論は一歩一歩お互いに一致できる点を確かめながら進めろ、言葉の解釈に違いが無いように具体的な例に当てはめて確かめろ。
ただ、相手が詭弁を弄してきたら正しい議論は望めないので即打ち切れ

【原則3】結論の吟味をわすれるな

結論の現実性はハッキリ認識しろ、また健全な常識に反する結論は勇気をもって捨てろ

【原則4】わからない事を恥じるな

わからない事を恥じる人は詭弁に簡単に騙される。いつでもわかった所まで戻り、議論をやり直してもらう逞しさを身につけろ


以上である


ここまで読んでくれた方ならお気づきであろう


今回つらつらと語ってきたが、決定的に間違っている所がある


これは口喧嘩だということだ


しかも舐めた口調で僕からけしかけている。


僕「Kさんはいつもそうやって、人の意見とか気持ちを全く受け入れようとしないじゃないですか、だからコイツに何言っても無駄だなーってまともに話さないんですよ」

この発言に関しては確実に相手を攻撃しようと発している。
親子ほど年の離れている相手に対し面と向かってコイツとか言ってるし。

【原則1】であった”相手”への尊重”など最初から持ち合わせておらず、全ての返答において挑発をしている。

確かに、Kの論点のすり替えは愚にも等しいが、相手を煽るだけ煽って揚げ足を取る僕は愚以下だ。

卑劣極まりない。

長文の反論なぞしようものなら

相手が虹村億安であれば
「てめーの都合だけしゃべくってんじゃねーぞ!!
このタコがッッ!!!」

とザ・ハンドで攻撃されていただろう



僕は削り取られたくないので今回の反論は用いないようにしよう。


あくまで、Kの主張は間違っているのだが

そもそも一切の尊敬をしていない相手に対しまともな議論を行おうとしない方がいい

ムカつくからって相手を煽って揚げ足を取るようなマネをするものじゃあない。

・ムカつく相手とは議論しない、議論にならない

・議論するならば【原則1~4】を守る


そう心に決めた一件であった。



えっと、僕の主張から僕自身の性格について論点を変えましたよね?”論より詭弁”って本だと論理的思考において発話内容と発話者は関係ないと述べられているんですよね。なので、あなたは正当性があるように見えて全く無関係な主張をしたわけです。
加えてその論点を発言者にすり替える方法は人身攻撃論法と言われる誤謬の1つであって、塩谷英一郎氏のレポートではその論法に対して、悪い議論、教育的に努めていく必要がある、絶えず警戒する必要があると痛烈に批判されています。つまりあなたは全く無関係で教育的に努めていかねばと批判されている発言を僕を攻撃するためだけにしました。今後このような悪しき論法を使わない事を願います。
しかしながら、全く関係ないあなたの主張に付き合ってみると僕にも改善するべき所があるやもしれません。善処いたします。


355字ある


こんな事を夜な夜な考えるなんて精神衛生上悪い行いをするものじゃあない。

くれぐれも皆さんはしないよう願う。

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