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上手な「並」の先生は喜怒哀楽のオンオフを大事にしてる。


昭和に育った 自分は学校の先生と言うと
割と感情のままに話をしてこられる先生が多かったように思います。
その頃はそういう先生が多かったし、人情味のある話が
巷でたくさんあったりもしたので、熱意のある先生という感じで
そんな先生方が大事にされていました。
また我々子どもも一生懸命やってくださる先生に感謝をしていました。

ところが 時代は変わり あまり プライベートなことに
首を突っ込むのが良いことではないという風に言われるような
世の中になってきました。
また昭和の先生のように 熱血で子どもたちに関わると
かえってしんどくなってしまうような人も出るという状況も
出始めて関わり方というのが変化したように感じます。

端的に言うと 上手な波の先生はある程度
場面を絞って一生懸命 何かを伝えるということをされるようになりました。
それ以外の部分は子ども主体の教育というのが始まったことも相まって
ある程度 先生は自分を出さないようにされているように思います。
今日はその辺のお話をしたいと思います。

子どもがやってることに合わせて喜ぶ

上手な波の先生を見てさすがだなと思う場面に
子どもの喜んでいる姿を見たら
すぐにスイッチを入れて同じように喜ぶ 先生が多いことです。
特に子どもから「今日こんないいことがあったんだよ」っていう
話があると同じぐらいのテンションで「それはいいなあ」というように
返されてることがあります。
ここで ポイント なのは 同じぐらいのテンションということです。
あまり喜びすぎるのも今度は子どもが萎縮してしまったり
冷めてしまったりします。
逆にテンションが低すぎると子ども達が
 喜びを共有できない人だという風に判断し
すぐに去って行ってしまいます。

逆の場合も変化していて
昭和の時代だと先生の方が「いい話があったんだよね」っていう風に
話し始める ケースも多かったのですが
今の時代 それは流行りません。
というのも価値観が多様化したので育ってきた生活環境によっては
先生が思ってるように 子どもが受け取らないケースが
圧倒的に多いからです。
だからこそ 子どもたちが持ってきた 嬉しいニュース というのは
共有したり一緒に喜ぶ必要があります。
また先生を笑わしたろうと子どもたちがボケたりすることもあります。
子どもがすることですので 大人が笑うような
レベルのものでもないかもしれませんが
こういう時も上手な「並」の先生は とりあえず笑っておられます。
で、その後 下品だったりレベルが低かったりしたら
一言「もっと上手にならんと次は笑えんかな。」なんて
お話をされます。
上手な「並」の先生は喜んだり笑ったりする時は
同じぐらいのテンションでするというのが上手です。

上手な「並」の先生はたくさんの場面で自分が前に出ないように
されているのですがその最たるものがこの喜怒哀楽のレベルだと思います。
実はもう少し書きたいことがあるので
またこの話の続きを書こうと思います。
そちらも併せて読んでいただけますと幸いです。

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