小説や文章から人工知能を考える

過去に、小説なり文学なりを味わい、生きる苦痛や苦悩はなんだろう?と、読むことで、その核に近づくというのがあった。

現代はSNSを通して、人間の苦悩というのが、より直接的に分かるようになり、文章を読むより、現実の苦悩の多さの方が上回り、文章を味わうどころではなくなった。

要は生きている数だけ苦悩がある。

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本の帯に「泣いた」とか、沢山の人が感動した、などが載るようになったが、大多数が泣くように誘導される文学は偽(つく)り物である。

U師匠などは、現代の小説は読めないといった。
また、ある人は文章などではなく感情を書いているだけだ、ともいう。

好みや時代に適した作品が出るのは仕方ないにしても、彼等の言いたい事は深みや、練りが欲しいと言うことかもしれない。

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正直、わからない。

苦悩というのは、しなければしない方がいいし、為になったり、頑張りようがあるなら苦悩の道に行ってもいい。

村上さんは、古代の哲学者を例に出し、苦悩…不運というのは、主人公の勇敢さに近づいて来てしまうものだ、と小説に書いていた。

まぁ、同時に不条理な暴力性の存在についても、エッセイなどで時々、考察しているから、苦悩や不運は磁石のように人間に向こうから来てしまうものかもしれない。

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SNSの情報の速さにしても、最近の人工知能による文章を作成にしても、人間が興味を持ちそうなことは狙って書けるのだから、あとは読み手の問題である。

Googleを辞めたヒントンさんは、人工知能将来発生する危険性と、その予防じたいが分からないといった。

気候変動なら、炭酸ガスを止めればいああが、未知なものが次々湧いてくるような代物に対して、刹那的に対処しなくてはならず、その対処すらも理にかなっていなければ、対処しようがなくなる、といいたいのだろう。

まえに、真贋について技術が進みすぎて、目利きが効かなくなるという話が、あったが、たとえば機械に書かれた文章は「本物」であっても、いくらでも誰かが書いた!といえるのだから、それについて、果たして対処しようがあるのだろうか?

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人工知能はアメリカより中国が強いという。

技術をドンドン進ませ、人工知能について解説とまとめサイトしかない、この国など遙か先に行っている。

しかし彼の地が技術に熱を入れる姿を見ると、真贋に拘らない姿も浮かんでくる。

四半世紀前に、オーブンで焼いて創った翡翠の紛い物が騒がれたが「詐欺師だけは本物」という言葉が今も耳から離れない。

または「卵が美味けりゃ親鳥は何でもいいじゃないか」というのもある。

彼の国の強さはここにあるのだろう。

クローンベイビーなど、妙なこともやっているが「その代わりに〇〇などできる」として代用を幾らでも思いつくのは強い。

法規制…云々よりも先に進む発想の速さは不可能を可能にしていく。

そういえば、18未満の天才児を集めて、人工知能の開発に乗り出していると聞いた。

「何が重要で何が優れているか?」のポイントを当たり前のように抑えている。

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