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【ホラーSS】喫茶店の不気味な客

 その喫茶店は、都心を走る大きめの路線の駅に程近い高架下に店を構えている。
 古びた煉瓦造りの外壁には蔦が這っていて、その様子は遠目には大きなヒビのようにも見えた。焦茶色をした背の低いドアと波打つガラス板の嵌まった窓は、時代を二つか三つ超えてきたような恰好をしている。

 一つ隣の駅には私鉄が何本か乗り入れていることもあって、ここは隣駅への乗り換えがしやすい駅として、通勤や通学での利用客が多かった。
 ちょうど住宅地とオフィス街の境目のような土地なので、駅周辺に常に人は多いものの、大半は流動的で、ここらに留まる人の数は少ない。駅を出てすぐの並びにはいくつかのファストフード店もあるから、学生たちの溜まり場はそちらに役目を奪われている。
 この喫茶店には、僕のような常連客や、ハプニングで足止めをされたサラリーマンが時間潰しにやってくるのがほとんどだが、不思議と寂れた雰囲気はなかった。

 駅から徒歩10分のところにある、築40年ほどの古アパートに住んでいる僕は、週に三回ほど、この喫茶店にノートパソコンを持ち込み、薄暗い店内のさらに奥まった壁際の席に陣取って、コーヒーを啜りながら仕事をしている。
 ここに通い始めてもう半年になろうかというところだが、僕の父よりも少し若いくらいの店主は、特別馴れ馴れしくもなく、これと言って会話もない。
 それでも、店主が僕を常連として認識していると断言できる行動が、一つだけある。

 この喫茶店には、たまに不気味な客が現れる。

 それは特定の一人ではなく、年齢や性別、背格好なんかもバラバラにもかかわらず、その全員が、揃って赤いフードを被っているのだ。
 その客はみんな、うなだれるように下を向いていて、どの客もハッキリと顔を見たことはない。僕のいる奥まった席ではなく、客の回転が速い入り口に近い席に座って、ボソボソと聞き取りづらい声で店主に注文をする。そうして、店主はいつも、一つのコーヒーカップをその客の前に置くのだ。

 初めて見かけたのは、ごく普通のスーツを着たサラリーマンの男性だった。
 赤いフードの下にネクタイがチラリと見えたのが奇妙で、様子を窺うようにじろじろと見つめてしまった。顔を見てやろうと思っても、フードを目深に被っているのか、異様に真っ黒く影が落ちていて、チラリと顎の先が覗くだけだ。
 ますます不思議に思って、少し目を細めた時、視界を遮ったのは、いつの間にか僕の近くまで来ていた店主の白いシャツだった。
 ハッとして見上げると、いつもの穏やかな表情を貼りつけて、店主が僕の座る席へとやって来る。その手には、あの不気味な客に出したのと同じカップが携えられていた。
 注文はしていない。けれど、僕のために用意したのだろうということは、店主の顔を見ればわかった。

 コトン、と目の前に置かれたそのカップに入っていたのは、コーヒーではなく、透明な液体だった。水か白湯だろうか。カップの四分の一にも満たないくらいの量の、透き通った液体が入っている。
 一応ペコリと軽く頭を下げてから、そのカップを持ち上げるとほのかにアルコールの匂いがした。
 カップの中に入っているのは、どうやら日本酒のようだった。
 怪訝に思いながらも、僕がちろりと舐めるように、カップに注がれた日本酒を口にすると、店主は、いつもと同じ一言を落としていった。

「——ごゆっくりどうぞ」

 それ以来、赤いフードを被った不気味な客が現れると、店主は僕にもカップを運んでくれる。
 それが数回続いた頃、僕はその客の正体が何なのか、そして何故店主が僕にくれるのは日本酒なのかということも、わかってしまった。

 その客が、静かに店のドアを開けて入って来る時、ドアの隙間から、決まって、機械的な駅員のアナウンスが聞こえるからだ。

『——〇〇線上り方面をご利用のお客様にご案内いたします。えー、先ほど〇時〇分ごろ、隣の××駅との間の踏切で人身事故が発生したため、〇〇線は、ただいま運行を取りやめております。えー、走行中の車輌が歩行者と接触したとの情報も入っており、運転再開の目処は現在立っておりません。繰り返します。〇〇線は、現在運転を取りやめております——』

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