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隣の芝生が青いので自分の庭に移植したいという話

物事を深く考えるのが好きだ。
そしてそれを自分なりに何かしらの方法で表すことが楽しい。

楽しくはあるのだが、漠然とした概念ではなく何か考えの対象が明確にある時、どうにも自分の読解力・考察力・知識量の低さを実感してしまい、やるせなさを抱えてしまうことがある。
あらゆる一般的な物事に対してそう思うこともあるし、もちろん芸術作品に対してもそうだ。

ただやはり一番無力感を抱いてしまうのは、そういった己の能力の低さに気づかないまま、あるいは気づいていても修正する方向すらわからないままに、なんとなくでわかったつもりになったものを、自分なりにも分解・解析・理解せずに雰囲気で語ったり、使ってみたりする時だ。

もっと具体的に言うと、舞台作品やドラマ、アニメ、小説等々、自分が知っている創作物に対して、他の人が、自分が想像だにしなかった感想を述べている様子を目にした時(これは目から鱗っていうやつ)や、自分で自分の創作を見返した時に、自分でも意味が通らないことを改めて自覚する時(これはプロットとかの構想段階で感じた違和感をなんとなくいい感じと評してそのままGOしてしまったパターン)。
他人の感想に関しては、ひとつの作品から一度にすべてを読み取るのは不可能だし、他人のそれだって正しいかどうかわからないのに、そういう状況をどうしても、高い障壁のように感じてしまう。

明白に言葉で言われているものに関しては、その裏を読むか読まないかに留まりそうなので、ちょっと特殊な独自解釈と言って逃げる道があるのだけれど、言外に何かで表現する手法を見聞きしたとして、その雰囲気を気に入って自分の何かに落とし込もうとする時、なんというか……幼くて未熟だと思わざるを得ない。
肌感で感じ取ったものを、そのまま見た目だけ真似をするというか……
本家本元は、何かしらの意図を組み込んでそういった手法をとっているにも拘らず、どうにもそういう情緒的な、行間を読むといったことのレベルが一向に育たず、ずっと、目に見えるものをそのままに受け取って、咀嚼しきれない部分をさも自分にはわからない“余韻”や“個性”のように魅力的に感じて、そのまま飲み込むことしかしていない。
だから、そういう表現に憧れを抱いて見よう見まねだけで実践してみても、一体何を言っているんだ? というものにしかならないのである。

たとえば、一枚の絵画に、永遠に夜が明けない世界を青空模様の列車が走る様子が描かれていたとしよう。
「夜が明けない真っ暗な世界を走る一筋の明るい青の異質感」や「青空が人々の希望になる」というところが肝であるのに、ただ単に「青空の模様をした列車が走っている画がかっこいい!」と、そこだけを切り取って、自分で表現する際にそこだけを真似て、一体なぜこの列車は青空模様なのか?という肝心要の部分が伝わらない、といった具合だ。
(この例え合ってるか???)

何においても新たな引き出しを作るには、まずインプットしたものをある程度自分に理解できる程度に細分化して、咀嚼し受け入れることが必要だと思っていて、実際そういうインプットをしている自覚があるよということを過去にnoteで書いている。

さすがにこればっかりは、自分好みの技巧的な表現をたくさん見聞きし、どういう意図であるかを学び(この場合は他人の感想が一番頼りになる)、理解し積み重ねていくしか解決法がないような気がする。
このままの幼い吸収方法でもって自分の武器にしていくには、圧倒的に知識量・経験値の低さが露呈してしまう。

そもそも、どうしてそうやって、噛み砕いて自分の中に落とし込めていない自覚があるのに、そういうものに惹かれるのだろうかと考えた時、“知らない”ということに対して、漠然とした不安と得体の知れない期待を抱いているのかもしれないと思い至る。

憧れと言っても良いかも知れない。

とにかく自分が今持っていないものを羨んでは、他人の持つ能力を欲しがって、とりあえず真似をすることでなんとなくの達成感を得ようとしているような、そんな感じだ。

表立ってないものねだりをするのが嫌で「絵が上手くなりたい」と言わないタイプの人間なのだけど、絵については諦めがついているからそういうスタンスで居られるという自覚があったが、他の面で諦めの悪いところがあったのだなあと着地してしまった。
歴史ものを楽しむには歴史に弱すぎるし、権力がどうこういう世界観を操るには世の中の動きに対して無関心がすぎる。
弱い自覚があるからといって免罪符にするのも、自分にとってマイナスにしかならない気がする。

自分の稚拙な部分と向き合うのってつらいよね〜という気持ちを明言化したかった書き出しだったのだけど、灯台下暗しだな…って感じの着地点に落ち着いてしまって正直少々バツが悪い気分だ。

他人の感想がすごくて圧倒されるという点に関しては、羨むだけじゃなくて自分の中に取り入れれば良いしそもそも他人の感想が目に入る環境があることは貴重で良いことだよなとも思っているのだけれど、創作の表現方法については、ちょっとちゃんと向き合わねばな〜〜〜と重い腰を上げるか、上げないか、未来の自分に期待、ということにしておこ〜

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