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ラン&ついでの自由学習~飯田橋~

左はTATTA 右はガーミン。 TATTAの方が、周りに何があるかわかりやすい

走った日:2022.5.3
走った距離:18K
押した駅:飯田橋 水道橋 池袋 目白 高田馬場
大塚まで行ったのに押さなかったのは、おめあての『ぼんご』が3時間待ちなので、断念し再訪を決意、そのための人質( ? )として押しを回避(笑)

スタートは飯田橋


JRスタンプラリーwith RUN 3回目。
飯田橋の駅ロッカーに荷物を置いてスタートしようといったのはこの私。 理由は簡単明瞭。 打ち上げを神楽坂でしたかったから。 それだけ。
JRの駅スタンプは、絵解きが楽しいですよね。 その駅が置かれている町のシンボルとか、言い伝えとか、誇りとか、とにかく町の人が感じているその町の有形の価値が凝縮されているわけですから。
さて、飯田橋。 モチーフは古書街と舟。 古書街はまあおいといて、下の。 これ、何? これは荷足船といいまして、「にたりぶね」と読みます。 これは、調べないとわかりませんでした。
ちなみに、こういうサイトがあるんです。

これをみると、飯田橋の駅スタンプはこのようにリニューアルされているわけですよね。

左がリニューアル前 右が今


いきなり脇道。見附について。


リニューアルの前は牛込橋モチーフ。 これは牛込見附、つまり、江戸城外郭門のひとつである牛込門ですから、とってもわかりやすい。 
ちなみに、見附(見付とも書きます)とは、見張りの番兵をおいた軍事施設で、主な街道の宿場の入り口なんかにも設置されていた。 江戸城では、 お城を守るため、堀に沿ってこの見附がおかれていた。 いまでも『赤坂見附』とか、『四谷見附』など、駅名や地名として残ってますね。  桜田門とか乾門なんかの『~門』も見附です。 主なものだけでも三十六、こちらにわかりやすく載っていたのでお借りします。 (いきなり脇道、新しいランコンセプト浮上。 今度はこの三十六見附のラン制覇ですかね。)


そして、荷足船


新スタンプのモチーフの荷足船。
まず、荷足船って何か? いくつか説明があるけれど、これがいちばんすんなりと腑に落ちる。


関東の河川や江戸湾で小物の運送にあたった小船。川船奉行の支配下にあり、長さは同じ茶船類の猪牙船(ちょきぶね)と同程度だが幅が広く荷を積むのに適した船型をしていた。荷足。〔諸造船式図(古事類苑・器用二五)〕

https://kotobank.jp/word/%E8%8D%B7%E8%B6%B3%E8%88%B9-1192720

で、そんな由緒正しき牛込見附のある牛込橋(見附はそもそもお堀に沿ってつくられるから、橋とセットになりますよね)を差し置いての、主役交代、こんなちっぽけな舟、いったいどういうことでしょう?

で、調べてみました。

舟というからには水運、水運なら水路、水路なら橋。
飯田橋という橋、飯田橋という町、そして飯田橋という駅について。ちょっと地味で長くなります。

飯田橋という橋:外堀と神田川の関係

調べている中で出会った画像を私が合成させていただいたものをまず載せます。出典はこのパラグラフの末尾をご参照ください。

外堀と神田川が飯田橋で出会っている

江戸から明治にかけて、この付近(飯田橋駅があるあたり)が神田川の終点とされていました。終点が隅田川に吸い込まれる柳橋ではなくてここ飯田橋あたりであると言われていたことがミソですが、それは今はちょっと置いといて。
神田川のこの地図にある船河原橋から上流は当時は江戸川と呼ばれていた。(今、東京都と千葉県の境になっている江戸川とはです、念のため。) 船河原橋で川が大きく曲がると同時に、川の呼ばれ方も江戸川から神田川に。そしてほぼこの曲がっているところに直結しているのが外堀です。外堀のこの部分は今は暗渠になって、その上をラムラが入っているビルがそびえたっています。その地下水路が地上にちょっとだけ出ていて、そこにかかっているのが飯田橋という橋です。 つまり、この部分は、神田川と江戸川と外堀の3つの川や水路のジャンクションで、外堀の上にかかっているのが飯田橋です。もう本当に小さくて目立たなくて、東口改札を出たら知らないうちに渡り終えている感じ、でもそこに飯田橋という橋があるのです。
ついでにいうと、この江戸川(今では神田川)のさらに上流は神田上水と言われていました。つまり、上流から下流にむかって、神田上水→江戸川→神田川と呼ばれ方が変わる。上水ですからね、上水。今の井の頭公園を源泉として両国で隅田川に流れ込む神田川は、幕府の命によるそれはそれは壮大な治水事業のたまものなのです。ですがこの話は大きすぎるのでまたの機会に。

揚場河岸と神楽河岸

飯田橋駅周辺の地図を丹念にみると、神楽河岸という地名があります。そしてお堀の反対側(新宿区側)は揚場河岸とかつて呼ばれていました。今はその名前はないですが、付近の揚場町という住所にその名残があります。つまり、ここいらは河岸であり揚場だったのです。 揚場とは船荷を陸揚げする場所のことです。
隅田川から神田川を経由して運ばれていた物資がここに集まり揚げられる。(もっといえば、同じように隅田川から分かれて神田川の南を流れる日本橋川もこのすぐ手前で神田川が受け止めているし、さらにもっと言えば、隅田川には、東から小名木川が流れ込んでいて、この川がもっと東から塩なんかを運んでくる)
ここはそういう水運のターミナルだった。だから駅スタンプに荷足船。で、このあたりが神田川の終点と言われていたのは、そういう水運視点なわけですね、と個人的に納得。

ここまでの情報は以下を参考にしました。



https://kotobank.jp/word/%E8%8D%B7%E8%B6%B3%E8%88%B9-1192720


飯田橋という町


さて、今度は地名としての飯田橋の話です。
徳川家康がお江戸入りしたのは、関ケ原の10年前、1590年でした。家康は、秀吉から、小田原征伐で北条氏から奪ったこの関東の田舎を与えられたのです。太田道灌がたてたときから時が経ち、城主も変わったり、いなくなったりして、荒れ果てたぼろぼろのお城に、家康は駿府城から移ってきたのです。
そして、ほどなく、江戸城周辺の視察を始める。 ここいらへんももちろん視察範囲内です。
その時に家康を案内したのが、このあたりに住む飯田喜兵衛さん。家康は喜兵衛さんの丁寧な案内ぶりをいたくお気に召し、喜兵衛さんを名主にし、さらにこのあたりを「飯田町と呼ぶように命じたんだそうです。

というわけで、この飯田町は、江戸城のおひざ元、武家屋敷が並び(武家のなかでも身分の高い旗本クラス)、お武家様相手の商人、また江戸城で働く料理人などが住むエリアなどもありたいそう栄えた。 

時が経ち、明治維新。 かつての大名たちは駿府にひきあげていきます。 新政府によるこの界隈の再編が進み、その一環として、外堀に橋をかけたのが明治14年。このあたりの町の名前、飯田町にちなんで飯田橋と名付けられました。 この時は、まだこのへんの地名は飯田町。
『飯田橋~丁目』という住所が正式に出来たのはもっとずっとずっと後、昭和になってからのことです。

最後に、飯田橋という駅名

こんどは鉄の話です。飯田橋という
明治初め、甲武鉄道という鉄道が、このあたりを通っていました。 御茶ノ水から八王子まで。後に国有化され国鉄に。中央線の御茶ノ水から八王子までの部分がこれに相当します。
その甲武鉄道に次の二つの駅がありました。
【飯田町】今の住所でいうと飯田橋三丁目、飯田橋と水道橋の間くらい。小石川後楽園の南。
【牛込】飯田橋西口すぐそばの牛込見附跡あたり。
そして昭和3年、この二つの駅が近すぎるということで、統合され、真ん中に、ちょうどそのそばの橋の名前をとって『飯田橋』となった。

西(左)から牛込駅、飯田橋駅(今とついこないだ2020年までのホーム)と飯田町駅
以下から拝借した地図です

だから、鉄道がとおっていた歴史は古いけど、駅そのものとしては新しいらしい。
そして、飯田町は、最近までは貨物駅として現役だったらしいです。
甲武鉄道、国鉄(敢えて国鉄と呼ばせてもらいます)と飯田橋の駅の年表を整理します。
明22(1889)甲武鉄道、新宿-立川間開業 4か月遅れて立川-八王子間開業
明27(1894)  甲武鉄道市街線開業 信濃町、四ツ谷、牛込駅開業
明28(1895)  飯田町駅開業。ターミナル駅となる
明36(1903)  八王子甲府間がつながり、新宿から甲府が一本の線で
明37(1904)  中野-飯田町間で電車(蒸気機関車じゃなくて)開通
これは初めての「電車」の開通
同じ年、飯田町-御茶ノ水が開通し、飯田町はターミナルでなくなる 
明39(1906)  国有化 甲武鉄道は消え、国鉄中央線と呼ばれるように
昭和3(1928) 震災復興事業の一環として貨客分離の複々線化。これにともない、牛込駅と飯田駅が旅客の駅としては廃止その中間に飯田橋駅ができる

もっとも、飯田町駅はその後も貨物駅としては機能。現在はそれも廃止。
跡地はJR貨物本社ビルです。
そばに碑があるということなので、今度行ってみようと思います。写真をトリップアドバイザーさんのページからお借りします。

甲武鉄道や飯田駅などについてはここを参考にしました

https://sakamichi.tokyo/?p=14576


まとめ

またまたいろいろ寄り道しましたが、要するにこういうことです

  • 今の飯田橋駅があるところは、神田川と外堀が交わる水運の要だった

  • 駅スタンプに荷足船がモチーフになっているのはそのためである

  • そもそも神田川というのは徳川によるものすごい治水事業の成果である

  • 飯田橋は飯田町という町の呼ばれ方(正式な呼ばれ方ではない)から来ている。飯田町という呼ばれ方は、家康を案内したこの界隈の住人飯田さんからきている

  • JR飯田橋駅は、かつて甲武鉄道の牛込駅と飯田駅が統合されてできた駅

最後のつぶやき

地味で長い記事におつきあいいただきありがとうございました。
走る➡通ったスポットに興味湧く➡調べる➡そこで知ったことから新しいランコンセプトが湧いてきて走破したくなる

の繰り返しで、今度は江戸城三十六見附(跡も含み)走破を目指したくなっている今です。
でもしばらくはJRスタンプラリーを続けます。
今回は飯田橋駅スタンプにある荷足船にアタマが集中してしまったのですが、JRスタンプラリーランでは、他にも楽しいところをいろいろ寄り道しました。記念に写真だけあげておきますので見てください。文京区新宿区楽しいところがいっぱいあります。
こういうことを一緒に楽しんで走ってくれるラン友達にはいつも感謝です。

今回押したスタンプ。 
鬼子母神
護国寺
鳩山会館 バラとステンドグラス 最初の第一お目当てはここでした
穴八幡  高田馬場の駅スタの流鏑馬はここから
目白駅から目白通り沿いは充実
左からカテドラル、旧肥後細川庭園 学習院の門


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