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ラン&ついでの自由学習~駒込巣鴨とソメイヨシノ~

走った日:2022.3.26
走った距離:9k ☔雨につきやむなく?🏃から🍺へ

とっくに通り過ぎたころにソメイヨシノの話を。
というのも・・・・
3/26予定の『JRスタンプ押しラン』、スタートを駒込にしようと切り出したのはこの私、六義園の枝垂れ桜をいちど見たかったのです。 
ちょっと早いかな? でも咲き始めてるかもしれないな? って。

で、駒込駅を降りたら、
いや、迂闊でした。 知らなかった。
ここ、ソメイヨシノ発祥の地なんだと!
そして、なんというタイミングの女神! 
前日までまだ桜は早咲きがちらほら? だったのですが
この日はちょうど開花初め? もー、桜🌸のランだったわけで。

で、調べました。

 改めて。 ソメイヨシノのこと。

まずソメイヨシノの理科的基本的なお勉強から

ソメイヨシノといえば、桜のチャンピオン的な存在ですよね。
日本で見る桜の80%がソメイヨシノだそうです。
で、これは、自然界にもとから存在していたわけではなくて、
オオシマザクラを父(台木)、
エドヒガンザクラを母(接ぎ木)
とする交配種、俗にいうクローン桜です。
お母さんのエドヒガンザクラのキャラ? を受け継いで、葉っぱがでるまえに花がいちどにばあっ! と咲く、
しかもその咲き方、いちどに密集して木を埋め尽くす感じでカタマリ咲きみたいに咲くので見映え良いことこのうえなく!!

そして、
お父さんのオオシマザクラから受け継いだキャラは、成長が早く、20年くらいで木の横の広がりが20メートルくらいに達する、若いころから花をつけ始め、しかも大木になりやすい。

この両親の、いいとこどりなので、戦災復興事業とかでこぞって植栽が進んで、今は日本の桜の80%という寡占状態(笑)

そして、そもそもクローンだから、みんな、同じように成長する? から、開花予想も立てやすい
したがって、標本木なんかにもなる。
そんな『よいこさん』なんですね。

続いて、ソメイヨシノの社会科的民俗学的なお勉強に

ソメイヨシノの誕生は江戸時代に遡るそうです。
そして話は駒込に戻ります
江戸時代、駒込から巣鴨にかけて、『染井村』と呼ばれていました。
今も、駒込から西北西に延びる染井通り、その行きつく先の染井霊園、そして染井霊園のちょうど手前あたりにある東京染井温泉(スーパー銭湯)に『染井』の名が残っていますね。 (ちなみにこの染井温泉に併設? されている東京スイミングセンターは、あの北島康介さんを輩出した、超エリートスイミングセンターですが、その話は横道なのでこの辺で。)
この染井村、腕の良い植木職人さんたちが集まって住んでいる、植木屋さんの村でした。 その中には、江戸で一番、つまり、全国一として名高い『伊藤伊藤伊兵衛』も。 (この名前は世襲で代々受け継がれるので、特定のたった一人をさすわけではないようです。)
で、この染井村に住む植木屋さんたちは、単に『職人さん』というにはあまりに優れた技術を持つ『最高峰の技術者集団』研究を重ねながら品種開発や継承に取り組んだ、まさに『植木文化のリーダーたち』、この染井村はそんな文化の発信地、ローマみたいな存在だったわけですね。
後にソメイヨシノと言われるようになった桜も、このような染井村の職人さんの手でつくられ、売り出されました。 
そして大人気。 (だと思う。 そういうふうには何を見ても書いてなかったけど、たぶん(笑))

当時、桜といえば、奈良の吉野。 その憧れの名前をつけて「ヨシノザクラ」として売り出されたんだそうです。

ところが。 

これは混同を招くので良くない!
ということで、彼らのテリトリーである『染井』を頭につけた。
だから『染井吉野』
これが発祥として有力。

此辺染井村 植木屋多シ とありますね。 その下が染井通。

https://itot.jp/interview/wp-content/uploads/2017/04/219725_IMG_9487re.jpg

この地図はこのサイトから拝借。 複数のサイトでこの地図に遭遇。


染井霊園のソメイヨシノ。こんなタイミングで出会うことができたことに感謝です
このあと巣鴨の地蔵通りに着いた頃には急に☔雨


なぜ染井村に最高峰植木職人が集まった?

ということになりますよね? 答えは参勤交代にありました。
江戸幕府は、全国の大名に参勤交代を命じましたよね。 
で、諸大名は幕府から授かった江戸の土地に屋敷を構える。 
それが大名屋敷です。 
大名たちは、藩の&自分のプレゼンスを示そうと、競って豪華な庭園をつくる。 これがいわゆる大名庭園。 
こうして江戸の街に庭園文化が花開いていくわけです。
 
で、この屋敷の配置も幕府の都市計画に基づいていて、上屋敷(藩の政治・経済・外交の本拠地にして場合によっては将軍様をお迎えお屋敷)は江戸城に近いこのあたり(今でいう丸の内界隈)、中屋敷(隠居した大名や次の大名の家族が住む)はその外側、そして、主に別邸としての下屋敷はさらにその外側などと配置されます。

駒込巣鴨あたりは、日光街道や中山道に通じる要所で、そういった下屋敷が集まっていました。 もちろん、六義園もそれです。 (六義園は柳沢吉保の別邸でした) 
で、付近に住む農民たちが、大名庭園の手入れをしているうちに、お百姓さんよりも植木屋さんの方が本職化していく。

なにせ、大名たちは自らの威信をかけてこぞってすごい庭園をつくろうとしているわけですから、手入れされればされるほど、もっともっともっとすごい庭園にしたい、職人さんたちはさらに腕を磨く、そしたら大名はもっともっと、職人さんたちももっともっと・・・という連鎖で、ここに、華やかな大庭園地帯にして植木職人の最高峰エリアが形成されていったようです。

そしてそんな技術力の高い職人さんたちが生き続け、やがて、大名だけでなく、お金を蓄えたり力を持ちだした町人のみなさんも植木を買ったりたしなんだりするなかで、ソメイヨシノが生まれたわけですね。

というわけで、ソメイヨシノに戻りますと、駒込巣鴨には染井吉野の発祥の地をアピールするものがいろいろとありまして、もちろん、駅スタもそれをフィーチャーしないわけがありません。 そして、走ってみれば、うつくしき桜地帯なわけでした。
走りながら撮った写真を入れておきます。

六義園全景です。築山の上から撮りました。
六義園にはこんな素敵なお茶とお菓子をいただけるところがあります 桜もお菓子もお茶もすべて一緒に愛でられる至福の一服
枝垂れ桜。この桜を見たかったのが始まりでした。
駒込駅すぐそばの橋です。
駅を出てすぐのポストです


とっちらかったのでまとめておきます

まとめ

  • ソメイヨシノは、駒込・巣鴨界隈(旧染井村)の植木職人さんたちによってつくられた交配の桜である。

  • なので、このあたり(駒込・巣鴨かいわい)はソメイヨシノの発祥の地と言ってよい。

  • このあたりは、最高峰の技術をもつ植木職人さんが集まっていたが、それは大名屋敷→大名庭園と大きく関係する。

あとがき
都内名だたる名所、もともとは大名屋敷だったところがたーくさんあります。 それをつぶしてみたいという、スタンプラリー熱が出てきて今困っています。
しっちゃかめっちゃかの記事をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
参考にしたサイトは以下です。



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