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3/11 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た

面白かった。
これまでのすべてのエヴァの総決算として、新しい劇場版として、大満足だった……が、これまでずっと、散々「ちゃんとしろ!」「ちゃんと説明しろ!」「ちゃんと終わらせろ!」と言われてきたエヴァが、こうもちゃんとし、ちゃんと説明され、ちゃんと終わらされちゃったために、「ちゃんとしちゃった!!」って気持ちがなくもない。まあ俺はぎりぎりエヴァ直撃世代ではない(地方民だったし、早起きはできなかった)のでそこまでエヴァに深刻な思いを寄せてはいないのだけど、それでもエヴァというのはこう、未完成だったり、不完全だったり、無理解の余地が残ってしまっていることじたいがひとつの醍醐味であったようなところがあり、今作においてそれらがすべて消えて無くなった……ということはないのだろうが、一通りのけじめがついてしまったことに一抹の未練があるっていうか。でもそうした『エヴァ』な部分が決着され、エヴァがエヴァでなくなってしまうことは『エヴァ』の終わり方としてこれ以上ない大正解だとも思うし。結局、一つの作品として大きすぎてうまい抱え方が最後まで思いつかない、という感じか。ジブリは一つ一つは別物だし、ガンダムは同種でもシリーズごと小分けにパックされてるし、ヤマトは俺はよく知らないし、やはり一つの作品でこれだけ長く巨大に膨れ上がってる作品は、エヴァだけなんじゃないかと思う。
『シンエヴァ』だけとって観ると、ある意味、エピローグだけを延々とやっていたような気さえする。ぶっちゃけ、第3村でトウジと再会した時点で、もう十分だって人はいたんじゃないかとさえ。後はもう、あるべきものがあるべきところへ自然と収斂していく様を、これまでの四半世紀を思い返しながら眺めていく2時間あまりだった。だからこそ、最後のマリとのエンディングには新たにこみ上げる思いもあった。ああ、そういえばなんだかんだでずっとこの二人は触れ合いがあったよな、とか、新劇場版を作って、新たにマリというキャラクターを投入したのはこのためだったんだな、とか。アスカやレイとの関係も、ゲンドウとの決着も、すべてこの長い年月の間にシミュレーションされたものとそこまで違えるものでなかっただけに、こうして想像された結末と想像だにしなかった結末を同時に得られたことは、感動だった。
まあ言うて、議論するべき謎も解釈もなんなら更なる続編可能性も、まだまだ存分に残されていて、とても「さらば」とは言えない状況は今後もずっと続くんだけれど、「やり直し」だけはさすがにもう必要なさそう(「反復」などはあるだろうし、あっていいよね。あとスパロボなどによる「再現」とか)。ひとつの時代の結節点。とてもいいものを観た。

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