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本当の“赦し”の話しをしました

■毒親への先入観がなくなりました


セラピスト心月です。

「愛しか残らない世界でいちばん美しい法則〜投影についてエトセトラ」を受け取ってくださった方、ありがとうございます!

さて、この記事では「投影を知る最大のメリット」についてわかりやすくお伝えしたいと思います。ぜひコラムと併せてお読みくださいね。


では、本題です。

投影を知る最大のメリットというのは、ズバリ、
どんな現象でも自分の思いこみを外せることではないでしょうか?

特に、人間関係は劇的に楽になります。

これはどういうことかと言うと、目の前の相手にどんなネガティブな感情を抱いていたとしても、どんなに苦しい現実だとしても、自分自身が「その一部」である事実に気づけることができます。

この視点に立つことができると、つい拒否したくなるようなタイプの人や、心から尊敬できない親や、自分をコントロールしてくる不安でさえ、すぐにその本質を理解しやすくなるんですね。

すると、一見困った人として扱っていたタイプの人への偏見が晴れる
ということも多くなります。
というか、困った現象ですらなくなるのです。

ちょっとお話が逸れますが、個人的なことでいうとボクも長年、親に対して悩ましいことがありました。

ですが、この法則に気づいたとき、いわゆる毒親への先入観がいっさいなくなったんです。

小さい頃、家でお酒を飲んでダラダラしている母に対して、不幸せそうでカッコ悪くて、こんな人間になりたくないな、嫌だなーってずっと思っていました。

でもどうすることもできないなって。

なんでお酒ばっかり飲んでるんだろう、どうやったら辞めれるんだろう。
ボクのせいなのかな?って心の奥で、自分も母のことも責めていました。

でも、今ならわかります。
母はきっと不安だったんです。

■孤独なのはだれ?

その原因が何かはボクもわかりません。

大人になり、当時のことを振り返って理解できていることそれは、母はネガティブな感情に飲み込まれて、援助を求めることもなく、どうしようもなくて、そこから抜け出せずもがいていたんだと思います。

それはそれはツラくて孤独だったんだろう、って。

心の相談ができる人もいなくて、理論的な脳のしくみことも知らなくて。
きっと周りの人もそういった知識がなかったんじゃないかって。

だから、どうすることもできなくて生きづらさを抱えていた。自分の負のエネルギーから逃げるようにお酒の量が増えていってしまったんだなあ、と。

感傷的にではなく、ごく、ニュートラルにそうイメージしているんです。

その母はとうの昔に病気で亡くなってしまったのですが、もし今生きていたら、コラムで解説しているワークを一緒にやってみたかったな、っていうのがボクの本音なんですね。

ボクの母だけじゃなく、おばあちゃんも、おじいちゃんも、そのまた両親も…… カルマのように引き継がれた「なにか」にがんじがらめにされていたのだとしたら、結局のところ誰のせいでもないし、原因探しも必要ないってことがわかると思うんです。

で、ここまでのボクの話だと、「ああ、そうだったんだね」って耳障りのいい話に聞こえるかもしれません。

でも、実は、精神世界ってもっと次の展開があります
せっかくなのでシェアしますね。

■過去の残像とどう向き合うか

ある日、母との記憶を思い出していたときにハッと気づいことがありました。ボクが昔から、母を軽蔑をしていたことが湧き上がってきたんです。
それはそれはリアルな感覚でした。

実の母に向けて、強い軽蔑と、嫌悪感、同時に、恐怖心や強い疑いの気持ちを抱いていた、という記憶。
そのときの激しい感情が走馬灯のように一気に流れてきたんです。

驚きました。今までもなんとなくそんな記憶はあったのですが、感情までしっかりとリアルに捉えられていなかったのだと思います。

その感覚というのは、大人になった自分が感じている軽蔑心ではなく、《幼い頃の自分の感情》だったんですね。

いわゆる、トラウマという分別されるものかも知れません。
頭では分かっていたのですが、体感を通して現れたその感情はとてもピュアで、嫌な感覚はしませんでした。

そうして幼い頃の感情を感じているうちに、ふと、ボクの中に罪悪感が出てきたんです。

頭の中で このような声がします。

「自分の母親なのに軽蔑ってしてもいいの?」
「それって人間としてどうよ。ヤバくない?」って。

一瞬、拒絶したくなるような言葉ですが、ボクはすぐわかりました。
ああ、これって脳内だけの過去ストーリーだって。

コラム本編で書いた《脳内で映し出されている映画のワンカットに過ぎない》と。

ボクは脳内ストーリーどっぷりの中でドラマティックな主人公をやらされているんだ。

■軽蔑感や恐怖心、罪悪感のお別れ

ボクはこの時すかさず「過去の残像」に言い返しました。

「いいに決まってるよ。だって当たり前じゃん!
ボクの感情をどうしようとボクの自由だし、軽蔑してたってそれだけのこと。誰にもコントロールされることなんてないんだ」って。

その時、何か今までとは全く違うような体験をしました。

細胞レベルではっきりとわかったんですね。
これまでボクは、赦す、というのは、相手や出来事に対してだと思っていたことに、“そう思いこんでしまっていた”ことに、気づいたんです。

けれど、違いました。

ボクにとって最後の赦しは《自分が感じることに対する赦し》でした。

母に対して抱いていた軽蔑感や恐怖心に対して、もう罪悪感は必要ないだよ、と。ボクはそう感じて良かったんだって。

だから、相手を許すとかこの感情を癒すとかじゃなくて、母に感じた本音を忘れるのでもなくて、この自分の中の素直なエネルギー と一緒になろうって、そう思ったんです。

すべて受け入れてボクの中で交わってしまおう、と。

そのとき、6歳頃の自分の感情がようやく帰る場所を得たんですね。
ぽっかり空いたままの穴が塞がり、昔感じた悲しみや辛さを“抱いたままのボク自身”でいることに安堵感を感じたんです。

それから、ボクは「赦す相手」が明確になりました。

「赦す相手」というのは他者でも、昔のツラい出来事でもなく、自分自身の感情だったんだ、って。


■戦わない勇気があれば

ここに辿り着くまでに必要だったのは、自分自身を正しく観察する「勇気」を持つ、それだけです。
もちろん、無理に自分を奮い立たたせるような根性論でも、なにかと闘うようなエネルギーの向け方でもありません。

あくまでボクの一例なので正解はないのですが、あえて言うならば

「過去の原因探しをやめる」
「残像と戦わない」

こういう感じです。

もし、このページを読むあなたが、同じような体験としてリンクすることがあればと思ってお届けしました。

「投影のしくみ」を知っているかいないかは、人生において大きな違いがあると考えています。

ご興味のある方は、この機会にご自身のために赦しのスキルを持ってみてくださいね。きっと生きるのがさらに楽になりますよ。

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