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続:エース編からの違和感 ~ルフィと母性について~

えー、前に「1060話で微解放されるエース救出編からの違和感 ~ルフィの母性希求~」とかいう謎記事を挙げたんですけども、まーびみょい!
あれ間違ってるよ、うん。
自分で見ても「う~ん、なんかごちゃごちゃしてて分かりにくいな」という印象。
エース編におけるルフィの仲間に対する不義理な行動と、ワノ国編後でのルフィのビビ救出発言の一貫性の無さを混同してるからすごい分かりにくい。
ネックとなってしまっているルフィの発言が同じだからややこしい。

書き直すのは面倒だし、そもそもまだよく理解できてないから反省と修正の意味も込めて続編みたいなのを書く。

前にも言ったとおり、冒険の対義語は母なんで、子供の冒険譚であるワンピースは主要キャラたちの親についてあんまり描かれない。
(親離れ、特に母親)

でもワンピースに出てくる子供たちって大体親を求めているんですよね。
というか普通、子供は親を求める。
例を出すと、ロビン、ボニー、ビックマムなど。

ONE PIECE 41巻(第396話"サウロ”)
ONE PIECE 67巻(第658話"ビスケットルーム”)
ONE PIECE 103巻(第1037話"酒龍八卦”)
ONE PIECE (第1099話"平和主義者”)
ONE PIECE 86巻(第867話"HAPPY BIRTHDAY” )

しかし、ルフィは求めてない!(たぶん)
元から両親がいないから概念としてないのかもしれない。
俺自身、父親が元からいなかったからマジで父親という概念がなく、よく分からない。なんとも思わないし、あんまり考えたことないって感じ。
ルフィもそんな感じなのかな?
ただ、俺は全く父親を求めなかったかと言われたらそうではないし、ある程度の孤独?を感じていたとは思う。
だから、元から居なくて、概念がなかったとしても、親を求めると思う。
両親とも居ないなら尚更。

NARUTOにわかの俺が言うのもなんですが、元から両親の居なかったナルトは、やっぱりずっと両親に会いたがってたし。

NARUTO 53巻(第498話”母ちゃんの赤い髪)

ルフィとナルトは結構違うけど、普通はナルトみたいに親を求める。

ただ、ルフィは親を求めているとこ見たことない。だからなんか不自然。

これについて、山田玲司っていう漫画家がやっている番組「ヤングサンデー」で面白いこと言ってて、山田玲司はワンピース全然読んだことないにも関わらず、ルフィに対して「どっかで母性を求めてる気がする。母を求めているけど、求めようとしてない。どっかバグっててストレートに求めに行ってない気がする。バグった母性感。」とこんな感じで言ってた。
山田玲司がどこまで読んでいるのか分からないが、全然知らんのに「ルフィ」と「母性」を繋げたところは素直にすごい。

ルフィのバグった母性希求についてもっと掘り下げて欲しかったのだが、すぐに終わってしまった。
マジでどのシーンでそう感じたのか聞きたい。

僕は前の記事で言った通り、エース編でそれを感じる。
僕が、ルフィは完全に母性を求めていないわけではないと思うシーンが、59巻のエースとの会話の時。

ONE PIECE 59巻(第584話"ポルシェ―ミの一件” )

親を求めているのか、求めていないのかは分からないが、しっかりと孤独は感じているし、孤独になることは絶対に嫌だということが伝わってきます。

NARUTO24巻(第217話”大切な者のために”)

ルフィがここまではっきり自身の孤独について話すのは珍しいというか、たぶん幼少期のルフィの時しか言ってないような気がする。
(読み直さないと分からん)

なんていうんすかね、ここでの「母性」というのは”女性特有の母親としての性質、本能的特質”ではなくて、”心の拠り所”という意味合いに近い感じですかね。山田玲司がどういう意味で言ったのか分かりませんが、僕が言ってる母性とは違う可能性が高い。(その場合、俺が間違っている)

だから心の拠り所になってたエースは、ルフィにとって一言では表せないような存在で、特別な感情を抱いていたはずです。(友、目標、兄、父、母、色んな要素が混ざってる存在?)
エースはエースで、ルフィに対してまた変わった感情(弟を超えた存在に対する感情)を抱いていたと思う。エースにとって、ルフィは生きる存在意義の一つ。

ONE PIECE 59巻(第584話"ポルシェ―ミの一件” )

ワンピース上、ルフィの母親はダダンですが、正直俺はエースが母親って言っても過言ではないと思う…さすがにそれは過言か。

また、「ヤングサンデー」の中で奥野晴信って人が、さっきの山田玲司の発言に対して「ルフィはピッコロ大魔王を倒すまでの悟空なんですよ。尾田先生は少年編までのドラゴンボールがたぶん一番好きで、あの時のドラゴンボールが一番純粋結晶で面白いと思ってるからあんな感じなんですよ」みたいなことを言ってて、なるほど!と思った。

確かに、原作のドラゴンボールでは両親は全く出てこないし、悟空は両親を求めている、孤独を感じている描写はほぼない。気にも留めてないって感じ。マジでカラッとしすぎてる。

唯一あるのは、パッと思いつく限りで、死んだおじいちゃん(孫悟飯)に会った時ぐらいで、孤独とまではいかないけど、一応寂しさは言わないだけで感じてるっぽいっすね。

DRAGON BALL 9巻 (第108話"孫悟飯")

でも、感覚で言いますけど、悟空は突き抜けてて結構メリハリある感じだけど、ルフィに関してはまだよく分かっておらず、あやふやって感じですね。
17、19歳なのにすごく大人っぽいと感じるときもあれば、めっちゃ子供っぽいと感じるときが多すぎる…。
そこがバグなのか???

まー、よく分からんけど、ルフィの母親って出てくるんですかね?
個人的には出してほしくないな。
いや、母親はダダンなんですけど、エースみたいに事実上の親は〜です、みたいな展開がなくもない、みんなやりがちだからね、トリコみたいに。
出しても良いけど、それなりにストーリーがないと納得できない。

ただ、全く出さない方が少年漫画なのかなと思う。

編集者の鳥嶋和彦が、落合陽一との対談で漫画について語ってて、

子どもには力がないんですよね。家に親が居て、色々文句を言われる。
学校に行けば先生が居て色々文句を言われる。クラスの仲間は固定されてて、人間関係に変化はない。勉強ができる子はまだ生きていける。
運動ができる子も生きていける。見た目も悪くなければいい。
ただ、これ3つともなかったら辛いじゃないですか。大人になるまでこのストレスをどう凌ぐかって言ったら、束の間の時間何かを見ることによって、救われることによって元気になる。不自由な時間の時に自分を励ましてくれるものは、やっぱり漫画だと思うんですよ。アニメだったり、ゲームだったり。想像の翼を読者に与えて励ますものが漫画である。

WEEKLY OCHIAI 『伝説の編集者』と大ヒット漫画の条件

この理論から、親が居ないということは、親が居ない読者、子どもたちの救いの要素にもなるんじゃないのかなと思うんですよね。
だから、出さない方が良い。変に考えすぎですかね。

うーん、ここまで書いてきたけど何書いてる分からん。
ルフィのことマジで分からない。

初めから独りっきりだったおめーに!!
オレは何を、、、。




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