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カルチャーショックリハビリ日記その2「『無くても死なないもの』に埋もれて」(2003)

在英中の私の口癖は「金がない」であった。

日本でこしらえた貯金もすぐ底をついた。イギリスにおいてEU(ヨーロピアン・ユニオン)以外の外国人学生は、週20時間を上限に働くことを許されているが、それでもらえる給料などたかが知れている。私の場合、給料は日本円にして月8万いくら。その大半が家賃と交通費に消え、残り少々を食費や雑貨に回すわけだが、毎月赤字だった。 

そう言う生活の中での私のポリシー、それは「無くても死なないものに金を使わない」。その定義は人によって違うと思うが、私の場合は洋服と化粧品、それにCD以外の雑貨類であった。新しい服は殆ど買わなかったし、顔もいつも洗いっぱなしだった(女なのに…)。必要な雑貨類は人からもらうなどして極力出費を避け、手元にあるものを工夫して使う知恵がついた。貧乏は人を賢くする。そこで何とかお金を都合して、(私には)無いと死んでしまう食と音楽に費やしていたのだ(それでもかなりケチっていたが)。 

今回めでたく極貧生活を終えて日本に舞い戻ってきたわけだが、今は家族と同居なので家財道具は全て揃っているし、まさしく「無くても死なないもの」だらけ。電動歯ブラシなんて贅沢の極みではないか。だが、街に繰り出しても、特に欲しいと思えるものに出会えなくなってしまったのだ。私には物欲というものが無くなってしまったのか?! 

イギリスでの日々は貧乏ながら楽しかった。でも買いたいものを買えない生活は、やはり何処か心がカサカサしていたと思う。おかげで街に出てウインドウショッピングなどしていても「ああ、このような高価なものは私には買う資格がない」としょっぱなから諦めモードになる癖がついてしまった。だがそれと同時に、その品物が本当に必要なのか、それとも所有欲を満たすためだけなのかを見極められるようになったと思う。渡英前はとにかく衝動買いの鬼で、買っても使わないものが家にゴロゴロしていたものだ。それに、アンティーク好きのイギリス人は古いものを大切にして、何度も何度も修繕して使うし、いらなくなったものもチャリティーショップ(売上金を途上国支援団体などに寄付する、リサイクルショップ)に出せば、買いに来る人がいる。そのような、モノを大切にする精神を知らず知らずのうちに学んでいたのだろう。

とこじつけてみたが、実は私は生来のドケチ。それを遠慮無く発揮しているだけのこと。でもやっぱり昔はまわりが気になって気前のいいふりしてたけど…イギリス暮らしで本来の自分を取り戻すことが出来たのかな、と自分に都合良く解釈することにしました。

今の私の楽しみは100円ショップを徘徊すること。改めてその素晴らしさに感服している。そこで「無くても死なないけどあったら助かるなあ」というモノを厳選して小銭を使っている今日このごろである。と言いつつ、今一番欲しいモノはハードディスク付きDVDレコーダー…その前にきれいな服でも買いなさい、と言う声が何処かから聞こえてきそうです。

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