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映画鑑賞記録:ジョジョ・ラビット(ネタバレあり)

ポップな色彩と戯画化したようなテンポの世界観は、少年の目から眺めた世界のようにも見えた。そのような作風の中に露骨な残酷映像無しに少年に自爆を促すような戦争の残忍さや吐き気を催すような命の軽視をも描かれていて胸が締め付けられる。
キャプテンKとジョジョ、ロージーとエルサという大人と子供の対比に目を向けて鑑賞した。

敵か味方かわからないキャプテンKの含みを持った問いかけは、最後まで見る事でジョジョを気遣う大人としての行動だという事がわかる。味方だとわかった上でキャプテンKについて観察してみる。長身のゲシュタポと並ぶと鍛え上げられてはいるがやや小柄な身長、匂わされるフィンケルとの関係性、幼い頃心の中にコニーという空想の友人がいた(頻繁にベッドで寝しょんべんをする)………。
現実的に満たされている少年が心の中に空想の友人を作るだろうか?
エルサに「戦争ごっこの仲間に入りたいだけ」と断じられたジョジョのように、キャプテンKもまたマッチョな戦争ごっこの仲間に入りたかった優しく内気で繊細な少年であった可能性は無いだろうか。
ジョジョが書いてるというユダヤ人の秘密を暴く本のアイデアを嗤ったキャプテンKはジョジョに『いいもの』を見せる。敵の侵略に備えて新調する軍服の案だ。とてもジョジョを嗤うことなど出来ない稚拙で子供じみた発想の衣装。初見では馬鹿げたナチスを嘲笑うギャグのようにも見える。しかしどうだろう、登場時からドイツが勝利する見込みがないという戦況を真っ当に把握していたキャプテンKは、終わりを見据えた今、幼い頃の戦争ごっこのヒーローであろうとしたのではないだろうか。彼が真にそうでありたいと願った姿に。
遂に街に連合国軍が到着し当惑するジョジョの前に、戦場に不釣り合いな派手なコスチュームを身に纏いキャプテンKは颯爽と現れる。部下のフィンケルを伴い、ナチスが同性愛者に着けさせたピンクトライアングルを胸につけて。彼は、子供の頃彼が夢見たヒーローになったのだ。そして、子供の夢を叶えた後、「大人」として…ユダヤ人の少年に唾を吐きかける卑劣なナチ野郎の汚名を被りジョジョの命をを救って死んでゆくのだ。
祖国という政治的にも感じる言葉の解像度を上げる時、そこには愛する街が、物が、人が、必ずある。キャプテンKは作中でジョジョに何度も家族を守れ、姉さんを守れと繰り返し伝える。守るというのは何も戦闘しろということばかりではないだろう。キャプテンKは、ジョジョに語りかけ勇気づける。彼の母への想い、ジョジョの本を嗤った謝罪。大人があのような些細なからかいを覚えていてきちんと詫びること、そこからも彼の繊細な人柄が感じ取れる。彼は彼なりの方法で愛する教え子を守り、冒頭で自身が述べていたような名誉の戦死を遂げる。
エンディングに流れるデビッド・ボウイの「HEROES」は誰のことを指すのだろうか。苦難を乗り越え大人へと向かうジョジョやエルサ、子供の頃に憧れたヒーローであろうとしたキャプテンK、彼女にできることを続け誰もがダンスを踊ることが出来る世界を取り戻そうとしたロージー……。

娘のようなエルサを命がけで匿い、見ることのできなかった娘インゲの大人になりゆく姿を見るように優しく見守るロージー。ふたりが共に時間を過ごせるのはけして長くはない。ジョジョが寝てからの束の間、語らいの時間を持つ。大人の女について問われたロージーは、エルサに答える。
嬉しいときも悲しいときもシャンパンを飲む、車を運転して、ギャンブルをやったり、ダイヤをもらったり、銃を撃って、モロッコにいったり、男と遊んだり、男を振り回したり、虎とにらめっこしたり、恐れずに相手を信じる事それが大人よ。
その中でロージーが本当にはやらなかったと言う「トラとにらめっこ」この後エルサはそれを経験する。家に飾られた二匹の虎の絵を眺めた後のシーン、彼女はトラのように自分を喰い殺そうとするゲシュタポの連中と対峙するのだ。不法侵入しているユダヤ人を炙り出すべく忍び寄る捜索の手に、恐れを乗り越え自ら名乗り出るエルサ。キャプテンKの手を借りながらも彼女は自らの機転により「トラ」を退散させる。
ジョジョとエルサはヒトラーユーゲントとユダヤ人という水と油の関係だ。母親でさえジョジョは変わってしまったと気に病みエルサの存在を秘密にしている。
初めは脅しのようにして始まった敵同士のふたりの関係は、エルサのフィアンセであるネイサンからの手紙をジョジョが渡すという遣り取りを通して深められる。しかし、手紙はネイサンのものではなくジョジョが捏造したものだし、ジョジョは知らないがネイサンは既に結核で死んでいる。嘘にまみれたふたりの遣り取り、ただ手紙を送りたい/受け取りたいという思いだけが本物だった。エルサが語るユダヤ人の真実だって子供だましの大嘘だ。だけれどジョジョを楽しませたいと思った気持ちはほんとう。重ねられる嘘と嘘、そうしてふたりはお互いを信じはじめる。
「恐れず相手を信じる事」ロージーは体制に疑問を投げかけ自らもできる活動をする女性だ。無思慮に何かを盲信しているような人間ではない。エルサに信じるに足る相手か見抜く方法を訊ねられたあの日、ロージーは述べる「ただ信じる…」
裏切られてもいい、ただ身を投げ出すように信じたいものを信じる。それが大人の強さだ。裏切られたら相手に平手打ちくらい食らわすかもしれない。でも大丈夫、また立ち上がり信じられる。何度だって信じる。それが大人の強さだ。
映画の最後、エルサはジョジョに小さく裏切られる。戦争に勝利したドイツから逃げる為外に出る、自分と偽ネイサンの作戦を信じろとジョジョに告げられるのだ。これはエルサに出て行って欲しくないジョジョの恋心、そしてすこしの悪戯心。しかし、命を脅かされながら潜んでいた彼女にとっては手酷い裏切りだ。エルサはジョジョに平手打ちを食らわす。しかしその後微笑みをたたえて共にダンスを踊るのだ。
人と関わるということは裏切られ傷つく事だ。相手が意図するとしないとに関わらず裏切りを避けることはできない。それでも大丈夫。何よりも自分を信じることが出来ているから。多くの出来事を経て、ロージーの言葉に力を借りて、彼女は自分を信じる強さを身に着けつつある。
かつて子供であった大人が、きちんと大人として子供を守る。それはかつて子供であった自らを守りたいという願いでもある。ロージーやキャプテンKに愛しさを感じるのは、きちんとした大人のペルソナの隙間に何度も傷つき立ち上がった痕跡が見えるからだろう。

冒頭に流れるビートルズ、当時のドイツ人少年にとってヒトラーはビートルズのようなアイドル的存在だった。そんな少年が心の中にヒトラーを空想の友人として心に持つのは不自然ではない。ビートルズたるヒトラーとの友情。そして皆が熱狂したビートルズを壊したのはジョン・レノンたるジョジョのオノ・ヨーコたるエルサへの愛だ。

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