佐久早清臣から考える死生観

ちょうど一年前にハイキューのアニメをアマプラで一気見して(白鳥沢編に関しては1日1周は見てた)、稲荷崎編のあとから漫画(kindle)で買って読み読み。

そしていきなり最終巻の45巻、佐久早清臣という選手が出てくるんだけど、彼の話をします。

佐久早は潔癖(と見せかけてそこまででもない)で、体調管理にもストイック。無口で、友達100人てタイプじゃなくて、でも中途半端ができなくて、一度始めると止まらない。パズルとかバレーボールとか。

そして東京都第一代表の強豪校のエース。

そして全国3本指に入る唯一の高校2年生エースでもある!!!


きちんとしてるから、きちんと結果が出て、ちゃんと生きてるから、ちゃんと結果がついてくる。なんにでも。


それでも、どうしようもないことが起きるから、それを知ったから、


飯綱さんが言うのを聞いて、「理想の最後」というものを考える 運良く生きのびて、”運良く”人に会い、運良く今日もバレーをやる
「笑って終わりたい」「勝って終わりたい」その方が良いけど、どうでもいいとも思う
ただ、今日も明日も最後の前の日も、注意深く手を尽くし、運良く「いつ終わってもいい」と思っていたい

(集英社『ハイキュー‼』45巻 古舘春一)

という言葉が出てくるから、私もそうありたい。


運良く生きてこれて、運良く今日ここまで、運良く努力を遂行でき、運良く前を向いている。


私にとって、最善で最良の心地よさは、注意深く生きることで、時に緩めることも大切だと知りながらも、私が目指す最善の生き方に後悔がないようにするには、きちんと生きていたい。

敷かれたレールを自分で補修し、改良し、そのレールをひた走る。

そういうのはどこか、情けなく、恥ずかしく、かっこ悪いことだと思っていたけれど(だいぶ最近まで)、そのレールに沿って生きると決めたのは私自身で、

私の意志で、その道を歩むと決めました。


どんなときも最善の選択をしたい。

最善の選択は、後から最善ではなかったと気づくかもしれないけれど、常に最善を目指し、きちんとしていたい。強制されない、自分の意志。

いつ終わってもいいと思うためには、いつ終わってもいいような最善を選択し続けたほうがいいと思うから、

いつ終わってもいいと思いたい場合、そうすることが間違っていないと、佐久早のおかげでより身に染みた。


最善を尽くし、終わらせる。

最善を尽くしたから、終わってもいいと思えるからです。


おしまい。


2021.11.11









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