時間を大切なひとに

最近、友達っていいなあと思うことがあった。

スクールバスで学校へ通っている娘が、朝のバスに乗りそびれ、
すでに家から車で45分の職場で、仕事に取り掛かっていた私にメッセージを送ってきた。

「ママー、バスに乗り遅れちゃった。どうしよう(T_T)」

嫌な予感はしていた。
前の晩、反抗期真っ盛りの娘とお風呂に入るタイミングについて、ものすごい口論になり、夜遅くまで、理解してもらわなければ困ると思ったことをどうにかして伝えようと、泣き続ける娘を前にずっと話していたのだから。

良く眠れていないうえに、前夜にたくさん泣いた娘の目は腫れている。
ただでさえ、毎日マジックで書いたように真っ黒に眉を描き、マスカラを塗りたぐったメイクを施さなければ私は醜くて出かけられない、と言っているような娘が、そんな状態で学校へ行きたいわけがなかった。

私も仕事を抜けられないし、今日はもう欠席にしてもらおうか・・・。
でも最近、病院の予約などで早退したり、お腹や頭が痛いと欠席したりがあったし、その上にこんな遅刻や欠席が重なると、学校からは警告の手紙が届いたり、進級も危うくならないかと心配になる。かといって、こんなことで仕事を抜けてばかりいたら、私の仕事もままならない。
困った。

少し悩んだ後、わりと近くに住んでいて、専業主婦をしている友人に助けてもらえるかダメもとで聞いてみることにした。以前にも一度、同じお願いをして助けてもらったことがあり、彼女だって毎日忙しいのに本当に申し訳ない、けど仕方ない。
「無理だったら全然いいよ!でももし大丈夫だったら、家から学校まで、娘を連れていってもらえないかなあ?」
すると、友人は快く引き受けてくれた。
本当に本当に助かった!

仕事の傍ら、メッセージで何度もお礼を言いつつ、最近本当に難しくなってきた娘との付き合い方について、少し、不安や愚痴を漏らしてしまった。
友人は私より年下だけれど、彼女の子供は、大学生と高校生の姉妹で、子育てについてはずっと先輩だ。そんな彼女は、私の愚痴を優しく受け止めて、自分の経験も交えながら、「大丈夫、モコさん頑張っているよ」と励ましてくれた。

そんなやりとりをして、とりあえず娘も無事学校へ送り届けてもらい、ホッとして仕事に戻った。するとしばらくして、彼女からメッセージが入っていた。
「すっごいお節介だと思うけど、私が子育てに悩んでいるときに、すごく考え方を変えてくれた本があって、すごく私はそれが役に立ったから、その本をモコさんの家の玄関の前に置きに行ってもいい?」
仕事していて、メッセージに気が付いたのは受信してからしばらくあとだった。お礼のメッセージを送り返したころには、もう彼女は私の家の前に本を置いて行ってくれていたようだ。

夕方、帰宅すると、「モコさんへ」とマジックで書いた紙袋に本を2冊入れて、玄関のドアにかけて行ってくれたものを、娘が学校から帰ってきたときに見つけて、ダイニングテーブルのうえに置いてあった。

改めてお礼のメッセージを送ると、友人はこういった。
「友達ってそういうものだと思ってるから。困ったときには助け合って。私もすごくみんなに助けられてるの。」

ああ、なんてあったかい言葉。

なんだかすごく長い間、こういう気持ちに触れず(気づかず?)に過ごしてきた気がする…。

友達っていいなあ。

・・・・・・・・・・・

友達かあ。

・・・・・・・・・・・

友達

・・・・・・・・・・・


しばらく、じわじわと心に残るあったかい気持ちにひたりながら思いを巡らせていた。まるで本当に長い間、友達っていうものを忘れて暮らしてきたみたいに。

大人になってから、というか子供のママなってからなのか、
子供のころや学生時代の友達のような、純粋に自分という個人と相手という個人のつながりでできている関係よりも、知人、顔見知り、夫の知り合い、子供の学校の知りあいなどのように、自分の選択でつながっているわけではない人間関係に取り囲まれるようになり、自分が主体的につながっている、つながっていたい、と感じるような人脈がほとんどなくなっていたような気がする。

気が付いたら、主体的に関わりたいと思っていない関係性がクモの巣のように、自分の周りに糸を張り巡らせているような状態になっていた。
好きとか嫌いとか、気が合うとか合わないとか、そういうこと以前に
何かの時に役に立つようにとか、自分や家族が困らないようにとか、いつの間にかそんなことばかり考えて、大人の人付き合いとはそういうものなのだ、と思おうとしていたのかもしれない。

彼女が私を「友達」と呼んでくれて、友達というものが私の心の中にぴょっこりと戻ってきたような気がした。

口だけならなんとでも言えるし、うまいこと言える人もたくさんいるだろう。だけれど、彼女が私に示してくれたのは、「時間を使う」ということなのかもしれない。

忙しい日常生活の中、娘を学校へ送り届けてくれただけでも本当にありがたいことなのに、さらに私の愚痴を聞いてくれたり、優しく励ましてくれた気持ちも本当にありがたい。でも、私にとって最も心に刺さったのは、彼女の行動だ。私の助けになるんじゃないかと、以前に同じように悩んでいた彼女を救ってくれた子育ての本をシェアしたいと、そんな風に私のことを考えるのに時間を使ってくれたこと。そして、「今度会ったときね~」とかではなく、その日のうちに私の家まで届けに来てくれた。そういう時間を割いて行動してくれたことが、本当に本当にすごいと思った。

それが、彼女が思う「友達」のありかたであり、彼女の人柄や生き方が本当に心の奥まで届いてきたように感じた。

自分にとって大切な人とは、自分のために時間を使ってくれる人だ。だから、私も自分にとって大切な人と、しっかり向かい合ったり、つながっていられるように時間を使って、関係性を築いていきたい。


時間の使い方を本当によく考えていこうと思った。大事な人のために、大事なことのために使えるように。どんなに忙しくても時間は作るものだとかっていうけど、本当にそうかもしれない。大切なひとのために時間を使えるようにするには、正しい選択をしていかなければいけない。詰め込むには限界があるのだから、大事なものを守るには、あきらめる必要のあることもたくさん出てくるだろう。

毎日毎日、時間に余裕のある人などいないと思うけど、そんな限りのある時間だから、1日1日大切なところに配分していけるように。大切な人に、大切に思っている気持ちが伝わるように時間を使おう。


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