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必要な時間

昨日社内で行われた全員参加の慰労会に、ちょっと顔を出しただけでとても気持ち悪くなってしまい、ほとんど何も食べずに仕事部屋に帰った。その様子を見ていた上司に「無理だった?」と聞かれて思わず「無理」と返してしまったので、その時の自分はそれなりの形相になっていたのではないかと思う。
部屋に戻ってちょっと残業をして、どうしても頭がもうどうにもならなくて、いつもより早く帰った 。帰ってすぐ私がやったのはマーマレード作りだった 。

知人から毎年、愛媛の美味しいデコポンが送られてくる。今年もデポデコポンは甘くてパリッとしている。皮を切ったり茹でこぼしたり、キッチンで作業をしていたら
「私は平日にもジャムを煮るような時間がないと生きられない」
という言葉が浮かんできた。

贅沢だという人もいるかもしれない。そんな暇はないという人もいるかもしれない 。
その時間があれば勉強できるよ。確かにそれらの言葉は正しい。けれど、その時間があるかないかで、心のゆとりや魂の安定が違ってくるならば、それは無駄ではなく大切な時間ではないだろうか。

ジャムを煮るような時間。
コトコトと音を立てている白いホーローの鍋。そのの側面に砂糖で線が引かれていく。湧いては消える泡を眺めながら夫の帰宅を待つ。そんな時間が私を私にしていたのだ 。その時間を自分から奪うと、私は多分何も出来なくなるのだ。
自分を構成する大事な要素は、それがなくならないと気づかない。今日やらなかったのことがそうかもしれない。明日やろうとするそのことがそれになるかもしれない。歪むような 毎日の中でも、私は何かを保って生き続けようとしている。

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