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最近の学び。そして、私が最近気づいたこと。
精神疾患を患っている私が最近考えてみて、気づいたことについてつらつら書いていこうかと思います。
メモ書きのようになってしまったらすみません。
でも、皆さんの参考にもなれたら幸いです。
○ 感情に支配されない、感情を支配する
双極性障害を患っている自分の感情は暴れ馬だから、どう支配するかがポイント。
「悲しい」「何でこうなんだろう」「何で生きてるんだろう」
そう思うようになり始めたら負のスパイラルになっていることにも最近気づいた。
客観的に自分を見て、考えたところで何も得られない負のスパイラルに入り始めた、と思ったら考えを断ち切る。
好きなASMRの動画見るでも、動物の動画見て癒されるでも、寝るでも、何でもいい。
逆に、感情が昂りすぎている時も落ち着くようにする。
ストレッチ、深呼吸、瞑想。
そうすることによって、自分の感情をコントロールすることができてくるのではないかと思った。
ただ、今はまだ自分の体で試験中である。
○ 休みは本当に自分のしたいことをする
なんでもいい、寝るでも。ゲームでも。出かけるでも。
とにかく「したくないことをしないこと」が大事、ということに気づいた。
私は、何で休みの日に限ってこれをしてるんだろう、という日があったら、今度は会社にお願いして有給を使うことにしようと決めた。
その日を「やることが決まっている日だから」、ということにしようと思った。
ただし、休みの日でも人間として最低限の生活はする。
歯を磨く、食事、風呂、寝ること。
自分のしたくないことをしない、けど、セルフネグレクトもしない。
○ 自己犠牲をしない
自己犠牲からくるものも相手のための優しさになる、
と勘違いしていた。
自分が傷ついてしまっているから、相手は自分と同じように傷ついている人がいるかもしれないと思い込んでいる節があった。
だから、その相手のために自分は「身を粉にしてでも」頑張ろうと思ってしまっていた。
自分は絶対に幸せになれないから、と思い込み、相手だけでも幸せになってほしいという思いを込めた上で。
今思い出そうとするだけでも、かなり当時の感情に引っ張られそうなくらい、つらかった。
もはや、「自己犠牲」をすることで「自傷行為」しているも同然だった。
つまり、自分が傷ついてしまっているのにも関わらず、
全世界の困っている人間に対してかなりの広範囲にわたって、頑張って手を差し伸べようとしていたのである。
話は変わるが、
自己犠牲のうえでの優しさは相手にどう受け止められるだろうか?
果たしてそれは本当に「相手のための優しさ」だろうか?
極端な例だが、足を骨折して、自分より大怪我をしている人間から、介抱されて家まで送ってもらって嬉しいだろうか?
真っ当な人間は罪悪感しか感じないと思う。
だからそれは「相手を思う優しさ」ではない。
つまり、「自己犠牲」から「相手を思う優しさ」は生まれない。
まずは自分を大切にすること。
ただ、まだ何をどうすればいいかわからない。
セルフネグレクトをしないこと、それ以外はわからない。
でも、試行錯誤していけば、「自己犠牲」からくる「自傷行為」のようなものもなくなると感じた。
もっと、「自己犠牲」ではなく、「溢れ出る優しさを与えられる人間」になりたいと感じた。
○ 誰にでも、自分にしかない強みを持っている
ここまで書くのは言い過ぎだろうか。
言い過ぎではないと思いたい。
ただ、これだけは言いたい。
自分が今まで経験したこと、得た知識。
それが、そっくりそのまま他人と同じことはまずないと思っている。
経験も、知識も、できることも。
それすらも、全く同じことはないと思っている。
例えば、デザインができます、だけで見たら、上には上がいるかもしれない。
ただ、自分ができることすべてと照らし合わせてみると、どうだろう。
自分にしかできないこともあるのではないだろうか。
パーツで見るより、全体を見る。
パーツ自体は良い悪いあるかもしれない。
でも、組み合わせて、全体で見たら、とても個性的でユニークな良いものになっているのかもしれない。
私はそう考えた。
人それぞれ。いいところも悪いところも含めて人間。
自分のできる、全体を見てみることで、「自分にしかない強み」を見出せるのではないかと思った。
終わりに
いかがだったでしょうか。
かなりメモ書きのようになってしまっていたかもしれませんが、今の私にはこれが精一杯と感じました。
noteを書く上で、「相手に読んでもらうから、相手に読みやすいように」とか、いろいろ相手を思いやる方々がいっぱいいらっしゃって、そこまで頭が回るのはすごい、と感じることもあります。
ただ、一方で、そこまでには到底できないと感じることも多々あります。
上ばかりを見て、首が痛くなることもあります。
そういう時は、前を向いて頑張ろうと思い、このnoteを書いた次第でした。
もし、このnoteが誰かの参考になれば幸いです。
拙い文章でしたが、読んでいただき、ありがとうございました。
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