パウロの言葉 コリント人への第一の手紙
「確かに、体は一つの部分ではなくて、多くの部分から成り立っています。
たとえ、足が『自分は手でないから、体に属していない』と言ったとしても、
それで体に属さないということではありません。
また、たとえ、耳が『自分は目でないから、体に属していない』と言ったとしても、
それで、体に属さないということではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。
もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
それですから、神はお望みのままに、体にいちいち部分を備えてくださったのです。
もし、全部が一つの部分であったら、体はどこにあるのでしょうか。
ところが実際、部分はたくさんあっても、体は一つなのです。
目が手に向かって、『お前は要らない』とは言えず、
あるいはまた、頭が足に向かって、『お前たちは要らない』とも言えません。
それどころか、体のうちでほかよりも弱いと見える部分が、むしろずっと必要なのです。
また、わたしたちは、体のうちでほかよりも見栄えがしないと思われる部分を覆って、よりいっそう見栄えがするようにします。
また、不体裁なものは、もっと体裁よくします。
体裁のよい部分には、その必要がありません。
しかし、神は劣っている部分をよりいっそう見栄えよくし、調和よく組み立ててくださったのです。
体のうちに分裂がなく、かえって、各部分がわけへだてなくお互いのことを心し合うようにしてくださったのです。
それで、もし、からだの一つの部分が苦しめば、すべての部分も一緒に苦しみ、
もし、一つの部分がほめたたえられれば、すべての部分もいっしょに喜びます」
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コロナの時代において、私たちの生活が多くの人の労働で成り立っているということを、深く感じることができた。
体において必要のない部分がないように、一人ひとりに重要な役割がある。
多様な人の存在や、また生物の多様性があってこそ、私たちは存在することができる。
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弱い部分を補うこと、すべての人が生活できるように支えていくことで、私たちの生活全体を成り立たせていくことが大事だということ。
それが、長期的にはみんなの生活を支えていくことに繋がるということ。
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そして、体の部分の一つが苦しむとすべての部分が苦しむように、体の部分の一つが褒められれば、すべての部分が一緒に喜ぶように、
私たちは多くの事を共有して、ともに支え合い、ともに苦しみ、ともに喜び合う一つの生命体としての自覚をする時であると感じている。
今現在、ともにこの地球に暮らしているという自覚を持つことができる機会となっている。
このコロナの時代を生きるということは、すべての人の健康と幸福を考えることになる。
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