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曽野綾子『晩年の美学を求めて』「掘り出されたままの原石」より 完全とは

ヘブライ語学者の前島誠の言葉


「人はいつ完全と言えるのでしょうか。

自分のありのままを自分で認めた時です。


飾らず格好を付けることなく、

ありのままの自分を『これがわたしです』と

心から言えた時、

人は完全への道にあるのです」

・・・

見栄を張ることなく

自分を隠すことなく

生きることができるようになれば

それは

完全

そして

健全に生きてゆくことができる。

・・・

曽野綾子は

「人の世にあることはすべて自分の上にも起こり、

人の中にある思いはすべて私の中にある」

と思っているので、

何事にも悲しみはしても驚かないという。

様々な経験から得ることができた境地なのだろう。

そこには

揺るぎない生き方がある。


それが誤解されることも多いけれども

曽野綾子の言っていることは常に理性的なのだ。


・・・・・・

自分だけが特別に苦しんでいると感じる時

孤独となり

心が病むのではないかと思う。

だから

グループカウンセリングなどをすることで

自分と同じように人も苦しんでいることを知り

心が癒されるのでなないだろうか。

・・・

多くの人が

実に

様々なことで日々悩み苦しんでいる。

・・・

苦しみにおいて

悩むことで解決できることと

どうにも解決できないことに

区別することで整理する。

・・・

また

過去の出来事においては悔やむだけでなく

そこから何かを学習する機会であったと解釈するようにする。

・・・

さらに

自分の問題と他人の問題とを区別をする。

そして

基本的に他人の問題には

自分から積極的には関与するべきではない。


緊急事態の問題においては

それは別物であるが。

・・・

そう考えると

自分が考えるべき問題というものが

厳選されてくる。

・・・

そして

そのためにどうするのかと考えてゆく。

・・・

頭の中の悩みを整理すると

気持ちも落ち着いてくる。

・・・

そして

自分のありのままを

自分で

良いところも

そうでもないところを

自分だと素直に認めることができた時

気持ちが軽くなる。

・・・

いい意味での

この諦念こそが

完全ということなのだろう。

・・・

ポジティブな諦念が

自分を軽くし

自分というものを

完全に

受け入れることができるものとなる。


多くの悩みからの解放となる。

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