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曽野綾子『晩年の美学を求めて』孤独

人は孤独な時間を持たない限り、自分を発見しない。

人は二つの場面で自分を見つけるのである。

群れの中にいる時と、自分一人になる時とである。
人中にいる時も、辛いことがある。


自分が何気なく言った言葉で

相手を傷つけてしまったのではないかと思う時や、

自分の能力や配慮のなさが

相手との対比の中で際立って見える時である。
そういう時には、自分一人になりたいと思う。

一人なら、

相手も傷つけないし、

比べられることもないし、

バカ丸出しのような失敗もしなくて済む。

曽野綾子さんがいかに誠実な人であるのかが分かる。

人に対する配慮ができない自分が辛いというのだ。

配慮できる人なんて、なかなかいないのが現実であるのに。

見えすぎることで辛い思いをするのだ。

・・・

孤独は集団の中でも感じるという。


その集団の中で自分の存在が

その数の一つになってしまうときには

もはや自分という個性の存在はかき消されてしまう。

さらには

集団内では同調圧力が働き

規格外のことはできなくなっていく。

集団内に埋没しているうちは大丈夫だけれども

そこから出る杭となると

途端に四方八方から叩かれまくる。


孤独が辛いなどと思えるうちはまだいい。


自分が他者によって支配されるようになると

今度は

これなら

孤独の方がましだということとなる。


落ち着いて暮らすためには

他者との適度な距離感を保つことが必要なのだ。


それぞれがそれぞれの人の自由を認めていることが大事。


そう考えると

孤独って

一人って

快適なのではないだろうか。


今の時代

孤独でも十分に生きることができる。


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