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曽野綾子 醜さの自覚は精神の解放

しかし人間は、

ある部分は隠せても、

全部を

隠し通すことはできない。

隠そうとしても

どうしても

見えてしまうものがある。


隠そうとしなければ

もうそれは

丸見えに近い。

むしろ、

自分の中にある

醜い部分、嫌らしい部分を

はっきりと意識して、

自分の中にある

醜い部分

嫌らしい部分を

はっきりと意識する。

自覚する。

自分で自分を分析することができる。

客観視できる。

そのことに

悲しみを持つ時、

そして

その醜さに

嫌らしさに

自分でも

悲しいと思えるようになる時


それは

本当に悲しいことだから。

自然、
その人の精神は

解放され、

すると

自分の精神が

その醜さ、嫌らしさから

そして

悲しみからも

解放される。


悲しみの

さらにその先に

進むことができる。

精神の姿勢も

よくなる、

それで

精神の姿勢がよくなるのだ。


ある種の諦観。


それが

精神を解放し

精神の姿勢を正す。


自分の弱さを

自覚することで

強くなるというのと

同じ。

と私は思うのである。

精神が解放され

精神の姿勢がよい人を見ると

安心する。

『悲しくて明るい場所』

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