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曽野綾子『魂の自由人』「ほんのちょっとのお手伝い」

昔から、日本人のいいところなのだろうけれども、よく仕事熱心で体を壊す人がいた。
今私の身近には、若い世代にも、こうした仕事熱心な人がたくさんいる。
そして程度に応じて健康を害している。
一時は大事(おおごと)になったが、手術を受けるような羽目になったのをきっかけに、生活態度をがらりと変えて、後半生を健康に生きるようになった人も多い。
仕事熱心というものは、一つの国民的財産だと思う。
しかしアメリカ人や日本人など、近代的精神を植えつけられ、高等教育を受けた人々の社会には、時々奇妙な人物が現れる。自分が属する会社や組織を深く深く愛する人である。

長時間労働である会社

そんな会社でも多くの人がやめようとはしない。
もちろん大きな理由は、その会社を出ても他にましな職がないからだろうが、そもそもあらゆる瞬間に今の生き方以外に逃げ場を考えておかない、という方が間違いなのである。

日本では転職において

キャリアを認められることが

以前ではあまりなかったのではないかと思う。


転職すると一から始めることとなり

割に合わないと思うのが当然だ。


そうなると社会の仕組みそのものを

変えていくことが必要となる。


現在では以前のキャリアを認めていく方向であると言える。

だから年功序列型の働き方や終身雇用制も変化してきている。

ほんとうに実力が問われるという点では

シビアになってきているのではないだろうか。

逃げ場を考えるという点においても

基本的に生活ができる保証の仕組みである

ベーシックインカム

を取り入れることで

かなり生活の不安がなくなる。


また、所属する会社に依存することなく

自由に生きてゆくこともできるようになり

その結果

ブラック企業と言われるものが成り立たなくなってゆく。


ブラック企業でありながらも

そこをやめることが生活のためにできないということが

ベーシックインカムにより

やめることができるようになるからだ。

・・・

曽野綾子は日本財団の会長を六年間引き受けた。

その際には無償で行うことや、作家としての活動するために週に三日のみの勤務とすることを取り決めた。

その時に

自分が作家活動のために若い時に身につけた

船についての知識や

ハンセン病について学んでいたことや

三十年以上主に南米やアフリカで働く修道女の事業にお金を送る海外法人宣教者活動援助講演会というNGOで働いてきたことが

役に立ったという。

作家であり社会事業家であるのだ。


それが、「ほんのちょっとのお手伝いができた」ということだという。

社会においての役職などは「ほんのちょっとのお手伝い」だという。

しかし、

父母という役割は

「ほんのちょっとのお手伝い」ではない偉大な影響を

子どもたちに残すという。

親という役割は、一人ひとりの人間を育てることであり、偉大で、責任も大きいのだ。

一人ひとりの個性ある人間、そして社会の一員となる人間を育てていくという重大なものなのだ。

私は聖書の世界から「契約」の精神というものを知った。私は日本財団と約束して会長職を引き受けたのだが、同時に着任した時から、自分が関わった組織や仕事を深く愛したりする愚には陥りたくない、と思っていた。

私はいわば神との契約で決めた期間だけ心を尽くすが、やめた後は自分がいた現世の地点に、もはや興味を持たぬことが粋だと思いたかったのである。

ということは

この世の中では

前職にいた人の意見が

依然として力を持っているということだ。


政治にしろ経済にしろそうなのだろう。

そのような有様を見てきた曽野綾子は

「ああはなるまい」と学んだのだろう。

それが「ほんのちょっとのお手伝い」の内容である。小さい時、カトリックの学校に育った私たちは、人間は皆死んでいくものであり、人生は永遠の前の一瞬で、私たちの生涯は短い旅に過ぎず、私たちもまた仮の宿に住み続ける旅人なのだ、と教えられた。
素晴らしい教育であった。
どうせ永遠の前の一瞬なら、やめた職場の行く末など気にするのはこっけいなことになる。
こう思えるだけでも、魂はかなり自由を手にすることができるのである。

こうでなければならない

というようなものはない

と思えるようになることが

魂を自由にする。



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