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曽野綾子『魂の自由人』「遠慮深い姑」
その家族は、いわゆる二世帯住宅に三世代が暮らしている。
老夫婦が一階に住み、二階三階に彼らの長男夫婦が二人の男の子たちと暮らしている。
当節では羨ましい家族形態である。
もっとも、どの家族にも、痛ましい部分がある。
老婦人はリューマチを患っている。
どうにか自分のことは夫に手伝ってもらってやっているが、料理ができない。
それで、止むを得ず、食事は長男の奥さんに作ってもらうようになった。
当時は狂牛病があった時で、長男の奥さんは危険を避けるために牛肉の献立をなくしていたという。
しかし、その老婦人は時にはステーキが食べたかったらしい。
けれども、食事を作ってもらっている手前、また狂牛病のために言い出せないでいたという。
外食するといっても、
長男の奥さんの料理に対する当てつけとなるとか、
その奥さんが食費を取り込んでいると自分が考えているのではないか思われる
と推測するらしい。
ややこしすぎるほどの想像力。
素晴らしい想像力だ。(皮肉です)
邪推を始めると取り留めがなくなるのだ。
ただ、老婦人が長男の奥さんにステーキが食べたいのだけれど、と話をするか、自分達は週に一度は外食をしますと言えばいいのだ。
けれども遠慮深い?姑はそのように話すことができないので、余計に不満が溜まるというというのだ。
私にはよくは分からないが、
週に一度は外食にすることで
長男の奥さんに食事において気を遣わさないで済むと考えると、
外食は
むしろいいこととなると思うけれども。
私たちは、相手の心を完全に救ったり、相手にまちがいのない情報を与えたりできる、と思う方が思い上がっているのである。
相手のことを考える以前に、世界は日本人が理解できる限度を超えて利己主義なのであり、決して利己主義であることを隠さない。
日本人は、利己主義であってはならない、利己主義の片鱗も見せてはならない、などと思うから嘘をつくことになる。
それで自分も相手も幸福にならない。
嘘をついたほうも、つかれたほうも、その信頼関係はやがて崩れていく。
幸福になることはできなくなる。
自分がいい人だと思われることをやめるだけでも、魂はかなり風通しがよくなるのである。
いい人とは、相手にただ合わせることができる人ではない。
自分の意見を持ち主張することができ
そして
相手の意見もよく聞くことができ
理解しようと努力できる人だと思う。
いい人の基準が時代とともに変化しているのだろう。
自分のしたいことを説明することができること。
相手がいる場合には
その人との間で話し合い
ところどころは折り合いをつけながら
譲れるところと譲れないところの基準が
自分でもよく分かっていることが
魂を自由にする。
自由に生きることができる人は
幸福となる。
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