見出し画像

曽野綾子『燃え盛る薪』

人生の半分を生きて、これから後半のさしかかると思うと、好きでないことには、もう関わっていたくない、とつくづく思う。

それは善悪とも道徳とも、全く別の思いであった。

一分でも一時間でも、きれいなこと、感動できること、尊敬と驚きをもって見られること、そして何より好きなことに関わっていたい。


人を、

恐れたり、醜いと感じたり、時には蔑みたくなるような思いで、

自分の人生を使いたくはない。


この風の中にいるように、

いつも素直に、しなやかに、

時間の経過の中に、

深く怨むことなく、生きて行きたい。

わたしは、もうすでに人生の半分以上を生きている。

かなり苦しい思いで生きてきたように思うけれども

実に多くの経験ができたとも思う。


あらゆる人間の醜さを経験した曽野綾子さんは

これ以上はお断りで

きれいなことや感動すること、尊敬できること

そして好きなことに関わって生きたいと書いてある。

しかし

運命は

曽野綾子さんにさらなる重荷を負わせてきた。


現在は

ほんとうに自分らしく生きておられるのだろう。


わたしは

道徳的に納得のできるものが

重要だと思っている。


その過渡期に生きているので

何が道徳的に良くて

何が悪いのかの

その判断基準が

まだ曖昧だ。


若い世代の人たちで多くを学習してきたした人たちが

その基準を示そうとしていると思う。


その道徳的規準が世の中に浸透していくことを望んでいる。


そうすれば

きれいなことや

感動できること

尊敬と驚きをもって見ることができるものが

増えてくる。


そして

わたしも

清々しい風を感じていたい。


また

人を怨むことなく

生きていきたいのだ。


よろしければサポートをお願いします。