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さだまさし「檸檬」に思う

久しぶりにさだまさしの「檸檬」を聴いた。

感情が揺さぶられる。

しかし、胃のあたりが重くなる。


歌から感じたことを書きます。


キラキラと輝くさわやかな湯島聖堂の白い階段での風景の中で、盗んだ檸檬に不穏な雰囲気を感じる。

しばらく檸檬を眺めて考えているが、やがてその檸檬をかじる。つややかな檸檬からほろ苦く酸っぱい味がする。

その檸檬を持っている指の間からは青い空が見えて、香しい風も吹いている。檸檬の黄色と蒼い空と吹き抜ける風の色の鮮明な対比。


食べかけの檸檬を聖橋から放り投げると、黄色い檸檬と反対方向からの赤い快速電車が交差して見える。

スローモーションのような映像が見えてくる。

檸檬を高く放り投げ上げて川に落ちた後の川面に波紋が出来ている。捨てられる檸檬と彼女自身、その波紋。どうせ捨てるのならば高く遠くへ上がられる方がいいという思いなのか。いや捨てるというか、付き合いが続けられなくなったことを捨てるといっているのかもしれない。別れるのならばきっぱりと別れるほうがいいという強がりも見える。


スクランブル交差点の雑踏の中で、斜めに横切りながら人に紛れるときに、ふと涙ぐむ。普段は見せない涙。

多くの人の別れがこの街には溢れている。


人との別れというよりも、おそらくは夢が果たせなかったことへの悔しい気持ち。

とすると君とは抱いていた夢ということなのか。

夢はかなうことなく、諦めることしかできない時に悔しくて涙をこぼすということなのか。

さだまさしさんは、バイオリンにおいて期待されて上京したがうまくいかなかったという。

その時の思いを君という形で表現したのだろうか。

その方が共感できる。

バイオリンで生きてゆくという夢を諦めて、別の道を歩むことにする決意も感じることができる。

夢を断ち切る際には、出来るだけ遠くへ投げ捨てる。

夢を諦めた時にはあっけなく終わってゆくものという喪失感や挫折感がある。

しばらくはその気持ちを深く味わうしかない。

そして今度は別の道で花開いていくという。


そんな思いを経験しているから、さだまさしさんは人生を軽く生きているし、謙虚で優しくあり、そして人生を楽しんでいるように見える。

素晴らしい人だ。


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