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映画『わたしたち』

人間は

自分ではどうにもならない苦しみを抱えた時

自分に一番近い優しい人や、やり返さない人に

甘えて

辛さを発散しようとする。


この映画の主人公のソンは

まだ10歳。

余計に自分では何ともできないので

苦しい思いが積み重なっていく。


子どもの時には

特に一人ぼっちにされることに恐怖を感じるものだ。

生き延びるための本能だろう。


一人の方が気楽ということが分かるには

年をとり

経験を重ねることが必要となる。


小学校の体育の授業のドッチボールで、じゃんけんをして誰をチームに入れるかから、この映画は始まる。

残酷な場面。


この担任の先生は鈍感だから残される子どもの気持ちなんて理解していない。

だから、いじめの存在にも気づかないし、問題となった時にも根本的に解決しようとすることもなかった。

何のための学校なのだろうか。


父親はいつも遅くに帰り、いつも飲んでいて、自分の父親に対する苦悩のことで頭が一杯で、子どものことには目がいかない。

まだ未熟で自分中心なのだ。


母親も店の仕事がきつく、ソンの話を十分に聞く時間もない時もある。

弟はまだ小さく手がかかる。

主人公のソンは、弟の面倒を見ながら両親のことを気にかける子どもでいられない存在。

夏休みに転校してきたジアと仲良くなるけれども

ジアは塾で知り合った同級生からまた苛められないようにするために

休み明けに

ジアはソンにつれない態度を見せる。


お互いに本当は仲良くなりたいのに

傷つけ合うことばかりしてしまう。


この負の連鎖を止めてほしい。

大人が介入してよく話し合ってほしい。


大人たちも戦争を止めることができないのだから

難しいことなのだ。


弟の言葉が響く。

やられたらやり返すけれど

もう一度やられたときには、やり返さない。


どうして?


そんなことをしていたら

いつ遊ぶの?

ぼくは遊びたいんだ。


本来の目的を考えると

いじめをしている場合ではない。


いじめとなる原因を解決できるようにして

お互いに仲良く過ごしたい。


何のために生きているのか。

いじめで無駄に時間をつぶしている場合ではない。


けんかしている場合ではない。

戦争をしている場合ではない。


仲良くできないのなら

関わらない方がましだ。


でも

できることなら

ごめんなさいが言えるといいよね。


最後の場面で

ごめんなさいという感じだったことが

救いだ。


こんな心理戦の中で生きている子どもたちは

なんて大変なのだろう。


残酷な世界だと感じた。


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